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□あまのじゃくな愛情表現
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とてつもなく大きな黒い旗が何本も頭の上ではためいているように、真っ黒な空を猛烈に風が吹き鳴らす。そんな日のことだったと思う。

「な、なあカノ‥‥」
「なあに?」
「誕生日‥‥おめでとう‥‥」

頬をみるみると紅潮させて必死になって言うキドに、僕は嬉しさに動かされ、反射的に微笑んでありがとう、と答える。
それっきり、風の向きが変わったように、ふっつりと話をやめたキドに、僕はどうしたの、と問いかけた。

キドはしばしためらったが、今度は勢いづいた声の調子で言葉を発した。

「カノ。お前を一発殴らせてくれないか?」

僕とキドが付き合い始めてから数ヶ月。短兵急にキドから要求された趣意に、僕はこれまで見たこともない光景が眼前に展開されるみたいに、息を呑んだまま唖然となった。

「僕、なんかキドに怒られるような事した?」

キドが僕を殴るのは小さい時に自分から頼んだこともあり、日常茶飯事である。しかし、キド本人から宣言されたのは初めてだった。いつもと違うキドの殴り方の無形の大磐石のような圧迫に恐怖を覚え、少し上目遣いで彼女を見上げた。

「別に、怒ってるわけじゃない。」

早く殴らせろ、と拳を突き出すキドに僕は、はぁ?という締まりのない声をあげた。幻を見たようなあやしい気分が胸をかすめる。
外では、巨獣が吼えるごとくごうごうとたけって吹きあたる風の音がなり止まず、不愉快だった。

「怒ってないならなんで僕を殴らなければいけないの?」

脳裏に浮かんだ疑問を、そのままキドにぶつける。僕だって理由なしに殴られるのは御免だ。
長い沈黙が降りた。洗面所まで歩いて行って、顔を洗って頭を冷やし、また戻ってくるくらいの時間がある。キドは、考えをまとめようとするかのように動かずじっとしていた。

「あの‥‥キド‥‥?」

不意に押し黙ってしまったキドのことを心配するように下からのぞき込むと、キドの顔は永遠の中に凍りついたように見え、薄ら氷に似た羞恥がほんのりと浮かんでいた。

「え‥‥?な、なに‥‥?」

まるで歪んだ鏡に変形して映った自分の姿を眺めているみたいに事態をうまく飲み込めない。先刻まで僕を殴ると言い張っていたキドは、頬を紅潮させてうずくまっている。どうのような流れで今に至ったのか、全くわからなかった。

「ずっと殴り続けてあげるって言ったじゃないか。」

「え?」

どういう意味なの?はっきり言ってよ、と問いただしたいのを我慢し、キドの次の言葉をまった。
窓のそとは絶えず吠えるような風の音が未だに続いていた。

「だ、だから‥‥」

瞬刻、キドは言葉にするのをためらったが、覚悟を決めたように、俺はお前みたいにキスとかで上手く愛情を伝えたりできないんだよ、と声をゴムバンドのように空中に弾き飛ばした。ふんまんやるかたなく苛立っているような叫びが、風の音に負けずまいとして部屋中に反響して駈けまわる。
岩をも砕く波の勢いで、いろいろな思考がめまぐるしく僕の脳の中を駆けめぐり、濃い雲間から時折薄日が射すように、少しずつキドの話が頭に入っていった。

「キドは、僕に誕生日プレゼントとして、キスがしたかったの?」

「ああ。」

「でも、できないから殴ることにしたの?」

「ああ。」

生真面目な顔で答えるキドに、僕は思わず豪快に吹き出してしまい、しまったというようにキドの方に顔を向けると、キドは相当ご立腹のようで顔には怒りの感情を超えた羞恥の感情が現れていた。

沈黙が風のように流れ込み、僕は肺をいったん空っぽにし、少し時間をおいて新しい空気で満たした。冷ややかな空気が無数の棘となって、胸を内側から刺した。それから、シャツの袖を肘の手前までまくりあげた。あやふやな気持ちを虫けらのように押しつぶすように。

「殴って、いいよ。」

怯えもせず、直接先方に射込むようなよく徹る声で返事をした僕をキドは二度見した。なにか言いたげな彼女に硬く視線を絡み付けると、静かな湖に漣さざなみが拡がって行くような笑顔を見せつけた。

「殴るんでしょ?さっきまであんなに張り切ってたのに‥‥もしかして、やっぱり僕に悪い気がしてきちゃった?」

勝ち誇ってように満面の笑みを浮かべる僕に気が触ったのか、キドは「そんな訳ないだろ!いいか、今から本気で殴るから歯を食いしばれ!!」と掴みかかる。それでも、キドは踏み切ろうとしては決心がつかずに尻込みを繰り返していた。

「ほら、目瞑るから。早く殴ってよ。」

お好きにどうぞ、というようにキドに体を預けると、突然脳天に衝撃が走った。ぐらりと視界が回転して、平衡感覚がおかしくなる。

「殴った‥‥ぞ。」
「うん。」
「い、痛かったか?」
「うん。」

やっぱり悪いことをした、というように慌て出すキドに僕はまたあでやかに微笑んだ。

「だから。お返しに、正しい誕生日プレゼント、貰ってもいい?」

正しい誕生日プレゼント?と、疑問符を頭にうかべるキドほ細い手首を掴み、ぐいっと引き寄せるとキドの体は簡単に傾いた。

「な、何するんだよ‥‥」

驚いて離れようとするキドの体をさらに引き寄せ、片手で彼女の顎を捉える。目を見開き、驚きの色を示すキドの顎を上向かせ、そっと唇を重ねた。



ねえ、キド。次はもっと痛くない誕生日プレゼントにしてね。


外の風はいつの間にかやんでいて、洗い清められたような星空があたりに広がっていた。

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