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□ユキノシタの記憶 後編
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「セト、聞いて下さいよ。誰の受け手の見つからない仕事とか、トラブルを抱えたややこしい仕事とか、全部私のところに回ってくるんです。今日なんて、仕事と全く関係ないのに会社の奥にある蜂の巣退治までさせられたんですよ?ほんと、私をなんだと思ってるんですかって思いません?」

やけ飲み。前回酔っぱらって倒れた癖に、懲りないなって自分でも思う。でも、最近は本当に忙しすぎてもう耐えきれないのだ。

そういえば、あの電車のとき以来、鹿野さんとは話をしていない。それくらい忙しかった。

「おかわり。」

ガツンと乱暴にグラスを置く。

「アハハ。疲れている割には元気じゃないっすか?でもまあ、前みたいに倒れないで下さいっすね?」
「当たり前だろ?」

優しく置かれたグラスを奪って一気に飲み干す。
ふう…と一息置いて、もう一度カウンターにグラスを置いて、もう一度おかわり、と口を開きかける。

「やけ飲み、とは好ましくありませんねぇお客さん?」

セトとは違う、聞き覚えのあるこえの主は、俺のグラスを奪った。

「うるさ……」

叫ぼうとすると、視界がびりびりと震えた。

ああ、またやってしまった。

意識は、霧がかかったように遠のいていった。


**

「うっ……。」

目が覚めたら、駅の外のベンチに横になっていた。ぼーっとして焦点が定まらず、脳細胞がまだ起きていない。起きようとするが、寝起きで意識と体がうまくつながっていないらしく、思うように体が動かない。

「起きた?」

鹿野さんの声が頭の中で壊れた拡声器のようにわんわんと響いて、がばっと起き上った。

「鹿野……さん?」

「ねぇ。どうして木戸さんはいつもこうなの?」
「え……?」

「どうして木戸さんはいつも自分の体を大切にしないの?アルコール、そんなに強くないでしょ?」

優しい、澄んだ鹿野さんの瞳が私をじっと見つめる。


「……また迷惑かけて、ごめんなさい。だいぶよくなりましたので…。ありがとうございました。」

では帰りますね、と言って鹿野さんに背中を向ける。これ以上、鹿野さんの顔が見れなかった。

「あ……待って。」

ぎゅっと手を掴まれる。ぎょっと驚いて振り向くと、鹿野さんはごめん、と言って手を離して俯くから、不覚にもきゅんとしてしまった。

「一緒に…帰りますか?」

鹿野さんは目をぱちくりさせて、しばらくしてから、せっかくだから歩いて帰りませんか、と笑った。

雨の降る音に似たせせらぎの音が、日中よりも涼しくなった風とともに頬に当たる。
こうして並んで歩くのはいつぶりだろう。

しばらく歩くと、昔よく一緒になって遊んだ公園にさしかかる。
あのころはよく、2人でキャッチボールをしてたっけ。懐かしいな、と目を細めて公園を眺める。

「木戸さん!キャッチボール、していかない?」

へ?と鹿野さんに視線を移すと、公園にボールが落ちてたからさ、と子供が新しいおもちゃを与えられたときのようにはしゃいで言う。



「いくよー木戸さん!」

投げる前に鹿野さんが言う合図は、名前の呼び方こそ違うけれど、あの時のままで。

「おう。こい。」

あの時と同じように、俺も返事をする。


ポーンポーンと同じようなリズムで行き交うボール。お互い、落すことも、手を滑らせることもない。ただ、相手がとりやすいように、優しく投げる。

「木戸さん、うまいね。」
「昔、どこかの誰かさんによく付き合わさせられたから。」
「そっか。」
「お前こそ、うまいじゃないか。…野球部、だったのか?」
「ううん。ずっとテニス部だったよ。」
「あ、あれだろ?坊主にするのが嫌だった、とか。」

そういえば、昔そんなこと言っていたような気がするな、なんてつい口元をほころばせると、なんで知ってるの?と鹿野さんが目を丸くする。
なんとなくそう思っただけだ、と誤魔化したけれど、口走ってしまったことはもう取り消せない。
…もしかしたら気づかれてしまったかもしれないな。俺が、鹿野さんをカノとして見ていたこと。

「そろそろ行く?」
「ああ。」
少し先には、降りた遮断機と点滅する警報機が見える。
そういえば、カノを追いかけて走ったのはここの踏切のすぐ近くにある小さな駅だったな。
ふっと空を見上げると、夜空にはいくつもの瞬く星。ふわっと心を満たす懐かしい香り。

そうだ。あの時、さよならの他にもう一つ言いたいことがあった。









「好きだったって。」









「えっと…何が?」

鹿野さんが不思議そうに覗き込む。
どうやら俺は思っていたことを口に出してしまっていたようだった。

「お…幼馴染のことだよ。なんだっていいだろう。」

うるさいな、とそっぽを向きかけてハッとする。
だって、今目の前にいるのはその、幼馴染。
これじゃあ遠まわしに告白しているのと同じじゃないか。



ジョリッ、ジョリッ、ジョリッと、嫌な音を立てて電車が通り過ぎていく。




「僕も、幼馴染が好きだった。」




消え入りそうな小さな声。でも、俺にははっきりと聞こえた。



「ってなんで君がそんなに驚いてるの?」

「うるさい。別に驚いてなんかない。」

ずいぶんとバカみたいなことをしているな、と思う。
だって、目の前にいるのは自分がずっと想ってきた幼馴染だ、ということなんてお互いとっくにわかりわかりきっているのに。

君の幼馴染は私だよ。

そんなこと、今更言えるわけない。

頑固で臆病者な、俺たち。




「あ、こんなとこに花が咲いてるよ。」

岩場から生える、白に濃紅色んお斑点の入った小さな花びらを沢山つけた花。

花の名前は、前にセトから教えてもらったことがある。

名前は確か、ユキノシタ。名前はユキノシタだけど、咲くのは5月〜7月にかけてっていう不思議な花。




花言葉は確か……意地っ張り。切実な想い。












「木戸さんさぁーなんか、隠してない?」

「さあ。隠してるのはお前のほうなんじゃないか?」










夜道を歩く女男がお互いに本当の自分をさらしたのは、まだまだ先のお話。

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