短編
□厄日と、幸福
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今日は厄日だ。
疲れた体に鞭を打ち、自分の席に辿り着いたと同時に、俺は雪崩れ込むように机へと突っ伏した。
朝、下駄箱に呼び出しの手紙が3通入っていた。全てツッキーに関することだった。
2人、女子に呼び出された。両方ツッキー案件だった。
移動教室から戻ってきたら、「昼休みに体育館裏に来てほしい」という内容の手紙が入っていた。行ってみたら「入れる机を間違えた」と言われた。本来手紙を入れる予定だった机は、勿論ツッキーの机だった。
ツッキーのことを教えて欲しい、といった頼み事は、ほぼ毎日といってあるため、それは別に構わないのだ。
ツッキーはモテる。
俺から見ても格好良いから納得できる。
――だけど、それとこれとは話が別じゃないだろうか。
何も今日だけにこんな集中しなくてもいいじゃないか。
これはただの偶然で、女子達に悪気があったわけではないというのも分かっている。
分かってはいるけど、ここまで被るってどういうことなのだろうか。
俺の体は一つしかないのに。
もう、一人くらい直接ツッキーに聞いてきてよ。ショートケーキの話何回したと思ってるんだ。
(まだ、次の授業まで時間あるな…)
チラリと壁掛け時計を確認すれば、次の授業まで約20分ある。
少し寝てしまおう、と瞼を閉じたその時、
「えっと……山口、君?」
頭上から、控え目に俺の名前を呼ぶ声が聞こえてきて、半ば落ちかけていた意識が一気に浮上した。
慌てて体を起こすと、机の前に一人、クラスメイトの女子が申し訳なさそうにこちらを見下ろしていた。
(たしか……ぼんじょびさん?)
同じクラスの女子だけど、今まで会話を交わしたことは殆ど無かったように思える。
もしかして、またツッキーのことかな…今日はもう休みたいんだけど。
ため息を吐きたい衝動に駆られたが、なるべく表情には出さずに「どうかしたの?」とぼんじょびさんに問いかける。
ぼんじょびさんから「あ、山口君で合ってたんだ。良かった…」と安心したような声が聞こえてきて、少し虚しくなってしまった。名字すら曖昧だったんだ…。
そんな俺の心情を余所に、そうそうこれ、とぼんじょびさんは手に持っていたものを俺に手渡した。
「これ。さっき武田先生が、バレー部に渡しておいてって」
「あ、そうだったんだ…どうもありがとう」
予想していた用件と違くて、少し拍子抜けしながらも、俺は渡されたプリントを受け取った。
恐らく、今度の合宿についての連絡だろう。
「それと、もう一つ申し訳ないんだけど…」
まだ何かあるのか、今度こそツッキーのことを教えろということか、なんて考えながら、ぼんじょびさんの顔を見る。
ぼんじょびさんは申し訳なさそうな顔をしたまま、おずおずともう一枚プリントを出しながら口を開いた。
「これ、あの…池島?竹島君…?何かそんな感じの名前の人に渡してもらえると助かるんだけど…」
「えっ」
差し出されたプリントと、ぼんじょびさんの顔を交互に見ながら、俺は間抜けな声を上げてしまった。
うちのクラスに、池島も竹島もいない。というかバレー部で俺以外の人物といったら、対象となる人物は一人しかいない。
ぼんじょびさんは俺がプリントを受け取らないことで名前が違うことに気が付いたのか、あたふたとし始める。
「あれっ…どっちも違ったか…。えーっと、山口君といつも一緒にいる、背高くて眼鏡の人なんだけど………あ、江ノ島君?」
「うちのクラス江ノ島もいないけど…。もしかして、ツッ…月島で合ってる?」
「多分…?あの人月島君っていうんだ」
感心したように呟くぼんじょびさんに、つい言葉を失う。
ツッキーはモテるし、まさか同じクラスなのに名前を知らない人がいるとは思っていなかった。
「うーん…ごめんね。私、人の名前覚えるの苦手なんだー。自慢じゃないけど、クラスの人の名前9割は覚えてないから。」
「うん。多分自慢しちゃいけないやつだよ、それ」
「ちゃんと松島君の名前は覚えたし大丈夫」
早速間違えてる。
多分この子、覚える気が無い。
「ぼんじょびさん、月島だよ」
「あー月島君か。惜しい」
ちょっとどの辺が惜しかったのか教えて欲しい。
マイペースなぼんじょびさんに苦笑しながら、ふと疑問に思ったことを口に出す。
「そういえば、何でぼんじょびさんは俺の名前覚えててくれたの?」
正直、俺とぼんじょびさんとの接点は0に等しい。
だからこそ、どうしてぼんじょびさんが俺の名前を覚えているのか、不思議で仕方がなかったのだ。
ツッキーの名字を全く覚えていないとなると、尚更。
「んー………」
先程の問いに、ぼんじょびさんは暫し考える素振りをみせたが、少ししたら、こちらに目を向ける。
「さて、何ででしょう?」
そう聞き返すぼんじょびさんのイタズラっぽい笑みに、思わずドキリとしてしまった。
「それ、答えになってないよ…」
小さく反論する俺に、ぼんじょびさんは「確かに」と言いながらクスクスと笑う。
「うーん、そうだなぁ……山口君のこと、よく見てるからかもしれない」
「えっ!?」
驚く俺を余所に、ぼんじょびさんは言葉を続ける。
「山口君、よく困ってる人のこと助けたりしてるでしょ?今日だって、週番の子が持ってたノート、半分持ってあげてたし」
「えっ、見てたの!?」
「うん。それに友達に勉強を丁寧に教えてたり、高島君…?をクラスに馴染めるように間取り持とうとしてたり」
「そ、そんなとこまで…」
ぼんじょびさんから次々と出てくるカミングアウトに、俺の頬は次第に熱を持ち始める。羞恥で真っ赤になった顔を見られたくなくて、思わず机に突っ伏した。
まさかそんな姿を、誰かが気にして見ているとは思っていなかった。それを改めて言われると、何だか恥ずかしい。
やけに視線を感じて、そろそろと顔を上げると、ぼんじょびさんは俺の顔を無言でまじまじと見つめていた。
「えっと………どうかした?」
視線に耐えきれず声をかけると、ぼんじょびさんは「うん」と納得したように頷いた。
「他の女子は、つ…つ……津島君?ごめんもう名前忘れた。あの眼鏡の人の方が格好良いって言うけど、私は山口君の方が格好良いと思うなぁ」
「――――――へっ!?」
「陰ながら誰かを支えられて、それを鼻にかけない人って凄く素敵だよ。山口君見てると、私も頑張ろうって思えるんだ」
ぼんじょびさんの手放しでの誉め言葉に、冷めたと思った熱が、またぶり返す。
こんなの、耐えられるわけがない。
日向とかなら気にせず笑ってお礼を言えるくらいの余裕がありそうだけれど、俺にはとてもじゃないけど出来そうにない。
こういう時、日向の能天気さが羨ましく感じる。
ぼんじょびさんが突然「あ。」と、声を洩らす。
視線の先を辿るとその先にはツッキーがいて、訝しげな表情をしながらこちらに向かってきていた。
「ありゃ、津島君来ちゃったね。お邪魔だろうし自分の席戻るねー。じゃあ山口君、また話そうね。津島君も」
「えっ、あ………」
俺が止める間も無く、ぼんじょびさんはヒラヒラと手を振って、自分の席へと戻っていってしまった。
「えっ…津島って僕のこと…?」
ツッキーの呟きに答える余裕も無くて、俺はただ、ぼんじょびさんの言葉を頭の中で反芻していた。
――私は山口君の方が格好良いと思うなぁ。
ぼんじょびさんは、何だかとても不思議な人だ。
ぼんじょびさんと話す前まであんなに疲れていたのに。今はもう、全く疲れなど感じていなかった。
我ながら単純だとは思うけど、それでもぼんじょびさんの言葉に、やるせない気持ちが少し救われたような気がした。
(少しなら、俺も自惚れていいかな…?)
緩む頬を抑えながら、俺はツッキーに顔を向ける。
「はい、ツッキー。これ武田先生からだってぼんじょびさんが」
「ねぇ、それより津島って誰のこと?まさか僕のことだとか言わないよね?」
「ごめんツッキー!」
「答えになってないんだケド」
今日は厄日だったけれど、それ以上に良いことがありました。