おかみ神社伝説

□2日目7月26日:蒼池
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前日になんちゃってホラー体験をしたばかりだと言うのに、僕は再び今、尾上神社の前にいる。というのも、他でもないグランマの頼みだからだ。2日目の祭礼で使うお神酒を、代わりに取りに来たのである。

本来受け取りに来る予定だった村人Aが、朝方に突然、ぎっくり腰を発症して動けなくなった。良く分からないシステムだが、「なおらい」以前の祭礼は関係者以外携わる事ができない慣習となっており、元より少数運営の所、空いている手はなかった。我が祖母は実は関係者なのだが、年齢的に山登りは難しい。という訳で、関係者と言えば関係者であり、暇というならこの上なく暇な、更には若手である僕に白羽の矢がたったのである。何だそれは。そもそもここで育った訳でもないのに。訴えると申し訳なさそうにしながら、「他に頼めないのですよ。だって、受け取りは未婚の者と決まっているのです。」とのたまう祖母。じゃあ、どっちみちグランマ無理じゃないか…。

驚いた事に、この村の人口の七割は男で、それも半数は高齢者だという。女性陣は既婚者、もしくは幼子。最初に聞いた時には、過疎化問題以前に「何というバランスの悪さだ」と思った。カガイが廃れるのも当然と言うもの。ともかく、そんなこんなで僕は、また変なモノに出くわさないかとびくびくしながら社務所に顔を出したのだが。

「いらっしゃい。よう来なさったねぇ。」

顔を出したのは、グランマとそう変わらない年代(正確には知らないが)の宮司様だった。柔和な顔立ちに、笑いじわが深い。その温かみのある様子になんだかほっとした僕は、お神酒を受け取りながら何気なく口を開いた。

「今日は、あの若い神官の人はいないんですね。」
「若い神官?」
「昨日ここで会ったんですけど。」
「昨日?こんな場所までわざわざ来たのかい?どうして?」
「まぁ色々見て回りたくて。その時会ったんです。180cm以上ありそうな長身で、夏場なのに色真っ白の。ちょっと猫背で、20代位で、黒髪ぼさぼさに紫の袴をはいた、」
「そんな人はおらんよ。」
「はい?」

宮司様が怪訝そうな表情を浮かべながら首を傾げた。では、僕が会ったのはどこの誰なのか。あんなにもはっきりとしていたものが、幽霊という事もあるまい。しかしこんな過疎の村で、わざわざ夏場に袴姿でいる必要はないし…。例えコスプレにしても。

「ここには私しかいないんだよ。たまに村から食料なりを届けてくれる若い衆以外はね。しかし、聞いた感じ若い衆でもなさそうだしねぇ…。その人とは、境内のどこで会ったんだい?不審者の可能性も捨てきれなかろうし。祭り時期だからね。」
「社殿の前ですけど…、」
「ふぅむ、社殿の前ねぇ…。…、そういえば…、」

何かを考え込んだ後で、宮司様は急に緊張した様子で眉根を寄せた。

「だぁいぶ昔の話じゃけどね。例祭の晩に男の子が一人、行方不明になった事があってな。年は7歳位でね。誘拐か、はたまた事故に巻き込まれたかと、村中総出で探した。が、付近にはおらず、山狩りしても見つからなかった。ひと月位した頃か…、驚いた事に全く関係の無い隣の県の山奥で発見されてねぇ。更に驚いた事に、割合ぴんぴんしておった。落ち着いた頃に話を聞いた。お前はどこでどうしていたのかと。」
「…その子は何て?」
「紫のスカートをはいた大きな男に連れまわされていたそうだ。」
「紫のスカート…?」
「袴の事だとしたら納得はいく。もし、その時の不審者の関係とすれば…。」

沈黙が何となく怖くなって、僕は咄嗟に口を開いた。

「あの、僕もう、失礼します…。今の話、祖母にも伝えるべきですよね、」
「そうじゃな。そうしておくれ。では、お藤さんにくれぐれもよろしくな。」

宮司のもたらした情報は、僕に不安を抱かせた。自分がまみえた人間が、何らかの犯罪者だったかもしれないというのは、ホラー映画とはまた違う怖さがある。

お神酒を抱えて社務所を出た後で、ざわざわとした嫌な気分を払拭するべく、昨日は立ちよらなかった蒼池に足を向けた。漠然と感じていた恐ろしさは、池を眼の前にすると、感動に変わった。息も忘れるほどの美しさだった。

サファイア、ブルーダイヤ、青めのう、翡翠。そのどれでもあり、また、どれを溶かしてもなお足りないであろう神秘的な青。どこからか湧き出る水は豊富で深く、素晴らしく澄み渡っている。底の方まで見えそうな程だ。よくこんな山奥に、これ程きれいな水場があったものだと感心してしまう。村長の話によれば、この池の水は周辺にいくつもある湧水群に派生するもので、毎分30tという湧水が湧きだすのだそうだ。一日か二日で全体の水が入れ替わる計算になる。個人的な見解で恐縮だが、恐らく日本全国津々浦々を探しても、これだけの池はお目にかかれないだろう。

そういえば、と思う。これは学問的余談だが、泉、潟、沢、池、沼、湖の間には、一応の定義が存在する。6つの内で一番毛色が異なるのが、泉。語源に「出づ水」とあるように、こんこんと湧き出る水場を指す。潟は海の一部が外海から分離されて出来た低地に水がたまった所で、海水が混じり、潮の満干によって現れたり消えたりするものだ。これらに対し、残り4つは一定量の水(多くは淡水)が溜まった場所を指す。定義に厳密さはないが、大きさや水深、動植物の生息の有無から判断していく。沢は「池・沼・湖に比べると小さく、芦やオギ等の生える湿地」をいう。山間の比較的小さな渓谷も沢で良いらしい。池は「沼・湖より小さく、水深5M以下。藻などの植物が少ないもの」をいう。沼と湖は水深5~10Mという点は共通だが、「最奥部まで藻・コケがはびこり、泥土が多いもの」を沼、そうした植物・泥の具合が少ないものが湖とされる。人工的に作られた湖も存在する。何が言いたいかと言えば、要するにこの池、「池というにはでかすぎないか」という事だ。湖でも良い気がする。深そうだし。

ともあれ、あまりの澄明さに、もしかしたら祖母の見た池の主が見えたりするのではと、僕は思わず身を乗り出していた。その背後に、いつの間にか立つ影があった。いつかの時と同じく、また、鈴の音を伴なって。

「そんなに身を乗りだしては、池に落ちてしまいますよ。」

何かに集中している時、突然驚くような事があった場合、どうなるか。大抵の人が予想するパターンを考えてみる。例えば、肩をびくっと揺らすだけの人。叫ぶか、または動揺してバランスを崩す事もありうる。この時の僕は、運悪く後者だった。

「ひっ」

体がバランスを失った瞬間、視界一面が透明な青に染まる。さほど大きな水しぶきも立てず、体が池に飲み込まれた。あまりの事にぱっかり開けてしまった口からがほりと大量の水を飲み込む。息が出来ない。水際から落ちたのだから、すぐそばに岸がある筈なのに、縁すらつかめない。上ろうとする意思に反して体は沈んでいく。ああ、やはり結構深い。まさかこのまま溺れるのかと、一抹の恐怖がよぎる。だが不思議な事に、苦しくは感じなかった。

ああ、ほら。言わんことでない。

水の中なのに、ひどく鮮明な声が耳元で聞えた後で、驚くほど強い何かの力が、僕を水面へと押し上げた。急速に近づく光、なだれ込む空気。貪るように呼吸しながら、自分はやはり空気を欲していたのだと知る。水の中であれほど楽だったのは何故なのだろう。そんな事を思い咳こみながら、生理的涙でかすむ視界の端に写ったものに思考が止まった。何だ、あれ。

「嘘だろ…」

まるで月の光を集めたような、滑らかな光沢を放つ鱗。一枚一枚が成人男性の掌ほどもあり、縁に金の輪が浮ぶ。長いひげは水中にあり、どれ程の長さがあるか杳(よう)としてしれないが、ガラス玉のように透き通った濃紺の瞳の大きさ、水面に少しだけ覗く額の広さを見ても、相当な巨体であると分かる。何より、魚には付いている筈のない二本の角。これが物語るもの、今目にしているものが現実ならば、これは…鯉ではない。祖母の昔語りに出る幻のそれに印象が似ているとはいえ、この世に実在する筈のないものであり、それを認識する事を理性が拒絶してしまうもの。これは、この生き物は。

バシャーン!!
それ(・・)はこちらをじっとみつめた後で、10Mほどの水柱を上げて深く沈んだ。もとよりずぶ濡れの全身に再び大量の雫が降りかかる。池の面が平穏を取り戻してしまっても、僕はそれがいた場所に視線を固定したまま、長い事動けなかった。そして、ふとある事に気付く。

「…あ」

 あいつ、お神酒持っていった。
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