潮流盛衰記(うしおりゅうせいすいき)

□第4章:決闘その1
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少し前まで、継承者のパートナーは近藤で決まりだと、そう思っていた。だが、先日その近藤が入門数日の天才に、完膚無きまでに打ち負かされた事により、渚とカルマを取り巻く状況は大きく変わりつつある。当主である渚の父の中で、カルマという存在は頼もしく好ましい存在として不動の地位を確立しつつあった。実息である渚は本人の体格の問題もさることながら、母親の関係であの状態だ。それを暗黙の内に認めざるを得なかった自分に腹が立ってはいるものの、流派の現継承者としての責任もあり、今回の件は正直かなり有難い。だが、困った問題も多いのだ、現状では。

「この人に勝てる自信ある候補者、居る?」

 近藤を道場の床の上に下ろし、「あ、誰か救急車よろしく」とあっけらかんとしてのたまったカルマは、それは爽やかな笑顔で周囲を見渡した。誰一人口を開く者はなく、それはそのまま問いへの答えを示していた。カルマは満足そうに頷くと、驚いた様子で固まっている渚へ手を差し出したのだった。

「渚君ごめん、勝っちゃった。だから俺を、」

君のパートナーにして?

その眼差しは真剣で、対する渚も泣きそうに潤んだ瞳でじっとカルマを見つめていた。そこにいる誰もが、カルマの申し出は受け入れられるものと確信した。だが。

「…ごめんカルマ君!無理!」
「は!?」

 渚は宝玉のような涙の粒を散らしながら、くるりと背を向けて走り去った。その場に残されたカルマは衝撃から立ち直れないのか微動だにせず、何も知らずに現れた当主に事情を訊かれるまで、魂ここにあらずの体(てい)たっだ。無理もないが。
 その後、当主の判断と指名により、渚の意思は関係なくカルマは継承者の片割れとして、正式に周知された。(古参の連中からの批判は、力づくでカルマがねじ伏せた)しかし当事者たちの関係は、未だもって微妙だ。事あるごとにカルマから渚へ「ねぇ、何で?」という問いかけがあり、その度に「何でも!」と顔を赤くして渚が答える姿が、日常と化しつつある。傍から見れば、照れている初々しい若夫婦的光景ではあるのだが、渚が冗談やちゃかしを長引かせる類の人物でない事を知るカルマにしてみれば、根幹にあたる理由に触れられないもどかしさでおかしくなりそうだった。一度2人できちんと話をしたい。受験生という立場上そう長くなくとも、邪魔が一切入らない環境で向き合う時間が欲しい。弱り切った(=半ば困惑し、半ば切れ気味の)カルマの意見に当主が提示した案は、「では、パートナー間の関係強化目的でよく使う訓練場を貸すから、一週間程こもって来なさい。」だった。今カルマは、逆らいはしないが乗り気でもない様子の渚を引っ張る形で、長野の山中にあるその屋敷に足を運びいれた。

「うわ、凄いねここ。江戸時代って感じ。え、風呂も自分で火を焚いて沸かす感じなの?」
「…カルマ君、」

大丈夫かなぁ、俺やり方分かんないけど。渚君知ってる?振り向いたカルマは、やや眉根を寄せた状態で自分を見据える渚と目が合った。お、とうとう何か話すか。そう期待したのもつかの間、「…お茶入れるね…」と伏し目になって傍らを横切ろうとするので、とりあえず捕まえてみた。

「駄目。行かせない。」
「な、カルマ君!?」

上げようとした抗議の声は、互いの距離の近さに気付いた為尻すぼみになっていく。カルマはその間を逃さず、渚を腕の中に閉じ込めた。

「ここまで来て、逃げられると思ってる訳?きちんと聞かせてよ。考えてる事、あるんでしょ。」
「それは、ある、けど」
「ここじゃ当分2人きりじゃん。誰に聞かれる訳でもなし、もう白状したら?」
「……。分かった。じゃあ、ね?」
「うん」

カルマの腕の中で毅然と顔を上げた渚の発言は、カルマにとって今回も意味不明だった。

「とりあえず、僕と決闘して」
「は?」



 2人は屋敷の裏手にある竹林の中にいた。既に互いに道着に着替え、対峙している。カルマはここに至ってもなお呆れたように頬をかきつつ、何度目かになる確認をした。

「ねぇ、冗談なら笑えないよ渚君。ほんとにやるの?」
「冗談で言わないよ、こんな事。」

そりゃそうだろうけどさ。しかし、恐らく誰の目から見ても、渚とカルマでは実力差がありすぎる。互いに(渚が納得していない、という大きな障壁はあるものの)パートナーとして成立した後で、当事者同士が決闘する意味とは、一体何なのだろう。首を傾げるカルマに、渚がゆっくりと口を開いた。

「潮流では、心の内でくすぶっている物事をはっきりさせる前には、必ずそれと真っ向から向き合わないといけないんだ。…僕は、僕の中には今、カルマ君に対する色々な感情があって、それを整理し切れてなくて、ぐるぐるしてる。それは、僕自身が潮流なりの方法でけじめをつけた後でなら言えるんだ、きっと。だから、お願いだからカルマ君。手加減しないで相手して。僕が勝つまで。期限は今日中。」
「…よく分からないけど、死にたいの?(むしろ勝つ気がないようにしか聞こえないんだけど)」
「…死なない程度には加減して欲しいな…。」
「ああああもう、分かった。分かったよ。君がフルぼっこにされたい気持は良く分かった。でもルールは設けよう。お互い使うのは棒術用の棒だけで、格闘技は使わない。そこに俺のイタズラ道具が詰まった袋があるから、そこから色違いの蛍光塗料を出して、それぞれの棒の先端に塗布する。組み合う中で、それが先に付いた方が負け。どう?」
「それでいいよ。」
「よし。―塗った?」
「…塗った。じゃあ、僕から行くね。」

とん、という軽い音と共に棒を携えた渚が躍りかかってくる。動き自体はそう速くない。それこそ蝶か何かのような軽やか過ぎる、カルマには良く見えすぎる速度で彼は一撃を打ち込んできた。こうなったら希望通りにしてやろう。カルマは瞳を閉じ、次には一切の情感を抜きにした眼差しでパートナーを見据えた。

「後悔しないでよ?」

堅い棒同士がぶつかり合う音が響く。つばぜりあいしながら動く2人の目が光る。

「しないよ。そうでないと、進めないから」



対戦は、やはりカルマの一方的な攻撃が続いた。本人の希望とは言え、カルマの「死なない程度に手加減した加減の無い攻撃」は、渚には強烈すぎる。何度も意識を飛ばし、その都度攻撃を加える本人に助けおこされ、やはり何度も「もうやめない?」と提案される。日暮れ前まで粘ったが、渚の攻撃は結局かすりもしなかった。カルマは自分が大概あくが強い人物だという自覚があるが、渚の頑固さもなかなかのものだと思う。打ち身を大量にこさえ、ふらふらとした足取りで母屋へ向かう後ろ姿に、何故そうもかたくななのだと歯がみした。

「渚君ってさ、実は俺の事、大嫌いだとか?もしくは跡目を奪われる事を警戒してる感じ?」
「そんな訳ない!」

即答だった。今日初めて、闘う以外でまっすぐな視線とぶつかる。夕空の燃える炎を映した青い瞳は、いつも以上に神秘的で。彼が必死に紡ぐ台詞の一つ一つに、変に意味を求めてしまいそうだ。

「僕は跡継ぎに執着なんてないし、君の事が大嫌いなんて天地がひっくり返っても有り得ない!むしろ僕はカルマ君が―…」
「…渚くん?」

何か酷く重要な事を言われる気がして、カルマは思わず一歩前に踏み出した。途端にはっとした様子で口をつぐみ、渚は「…先に帰ってお風呂入れるね」と、足早に立ち去っていく。期限は今日中と言いながら、この調子ではもう今日の内に仕留められる事はなさそうだ。肩すかしをくらったようで、カルマはその場にどっかりと腰を下ろした。自覚してしまった分、耐えるのは至難の業だ。

「あーあ。早く許可が欲しいだけなんだけどなぁ」

(君と共に歩むのは、これからも俺じゃなきゃ嫌だって。きっと認めて欲しいだけ。)

「それにしても渚君は、一体何を考えているんだろう…」

 その夜、持ち寄った品で簡素な食事を済ませた2人は、渚のたてた風呂につかって早々に休む事にした。あっけない初日の終わり。これで2人きりの滞在時間はあと6日に減ってしまった。予想外に計算外。五右衛門式の湯船の中で、一気に疲れが出た様に体が重い。もう考えるのも億劫だが、2人きりの静まった空間を改めて意識してしまっているのか、先にあがった渚は今何をしているのかと、とりとめなく思考が巡る。それを、読みとった訳でもあるまいに。

「カルマ君?」
「―え、渚君?」

すりガラスの向こうに、白い人影が立つ。からりと戸を開けて入ってきたのは、湯帷子(ゆかたびら)をまとった渚だった。結いあげた髪から覗く真っ白な襟足がなまめかしい。とっさの事に反応が遅れたカルマは、渚が「背中、流しにきたよ…」と言って近づいてきてもなお固まっていた。ちょっと待て。こっちは裸なんだけど。湯船につかってはいても。まずい、心の準備が出来てない。…やっぱ駄目だ。色々なものがもつ気がしない。

「渚君、有難いけど俺もう上がるから今日はもう、」
「黙って…」

言いかけた唇を柔らかく1本の指が制し、青色の深い瞳が覗き込んで来る。何だこれ、いきなりどうした?言いたい事は沢山あるのに、どれ一つまともに出てこない。渚の手がカルマの頬に触れ、覗き込む彼の瞳が笑みの形に歪められ、そして。

「…僕の勝ち。」
「―は」

 ゆっくりと頬から離された彼の指先には、彼専用の色として決めた空色の蛍光塗料がついていた。一拍遅れて、はめられた事に気付いたカルマは、怒りに身を震わせた。

「なんだそりゃあああああああああ!!」

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