潮流盛衰記(うしおりゅうせいすいき)

□第3章:カルマの制裁
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潮流一門にとって彼の存在は、恐らく彗星のごとく現れた救世主にも等しかった。「天賦の才」という言葉がある。実際目の当たりにするまで想像もつかなかったこの言葉は、だが、決して嘘や誇張ではないのだという事を渚に知らしめた。

「おああああ!」
「っと、遅いよ、お兄さん」

 現在、カルマは渚と共に道場にいた。他の門下生たちもそれぞれの練習に取り組みつつ、しかし視線はカルマの試合に吸い寄せられている。丁度、段位で言えば中の中くらいの青年が、槍に見立てた棒をカルマに振り下ろした所だった。
 カルマはうっすらと楽しそうに笑みを浮かべ、ほぼ上体を動かさず僅差で棒を避けた。と、同時に相手の懐に入り、敵がひるんだ隙に力一杯相手を殴り飛ばす。俊敏さ、体力、頭脳の鋭利さ。それだけではない。度胸の度合いや圧倒的な格闘能力が、同年代より頭1つ分抜けている。コツコツ基礎を学んできた事が馬鹿らしくなるよな、と誰かが呆れ半分、嫉妬半分でつぶやく声が聞こえたが、渚自身頷ける感想だった。切れのある身のこなし、しなる筋肉の動きが目に眩しい。何故急に入門を決めたか知らないが、開始2日の内に基礎から応用まで一通りの術を習得し、有段者との練習を積極的にこなしている。渚の父いわく「天下の逸材」だそうだが、確かに間違いではないと思える。

(いいな、すっごいカッコいい…)

思わずうっとりと見詰める渚の視線に気付いたか、華麗な回し蹴りを決めたカルマが手を振って寄こした。「少し休憩〜」と言って、隅の方に座っていた渚の隣に腰を下ろす。鞄をあさってパック飲料を取り出し(毎度パッケージに踊る『いちご煮オレ』の表記に、どんな味なのか気になって仕方がない)、ストローを口に含む一連の様子にまでじっと見入る渚に苦笑し、「何か変?」と髪をくしゃりとかき回された。…汗をぬぐう姿まで様になるなんて反則だ。またため息が漏れてしまう。

「いいな、カルマ君は。何でそんなに強いかな…。父上はカルマ君にある意味ぞっこんだよ。凄く期待してる。僕より君が息子なら、一門は安泰なのにって、顔に書いてあるもん。」
「マジで?渚君のお父さんが気に入ってくれるなら好都合だなぁ。……まずまず計算通りだ…」
「何カルマ君、家の子になって一門を継いじゃう?」

 半ば冗談、半ば本気で笑ってみせると、カルマは一瞬きょとんとした顔をしてからニヤリと笑った。うわ、その顔カッコいいけど、何と言うか悪い予感しかしない。

「…渚君はさぁ、覚えてないの?」
「な、何を…?」

黒い笑みを貼り付かせたままじりじりと距離を詰めてくるカルマに冷や汗を流しつつ、渚も少しずつ後退していく。周囲は既に別の試合に集中し、こちらに目を向ける者はない。こいつ、計算してたな。

「君は選んだよね?僕と父親推薦の男と、どっちがいいかって訊いた時。」

とん、と道場の壁に背がぶつかる。はっとした時には既に、視界は覆いかぶさるようにして覗き込む彼で一杯だった。黒い道着の合わせから覗く引き締まった体にめまいがする。何故だか焦って小声になった。

「か、カルマ君人が見てるし!てか何で僕こんな状況になってんの?!」
「見てない見てない。てか話そらさないで。…ねぇ、選んだよね?」

そんな相手より絶対俺の方が良いって。

「そ、れは。まぁ、言ったけど。でも、」
「俺は、渚君をそんな奴にあげたくない。だから決めた。俺がそいつに勝ってやればいい。」
「え、」
「俺も出るよ、その試合。そして渚君をものにする。」

もう許可貰ってるしね、君のお父さんに。耳元に顔を寄せ、カルマは悪戯を打ち明ける悪友よろしく、くすくすと笑った。一瞬耳朶をかすめる吐息に身をふるわせるも、渚はすぐ我に還り、彼の襟を引きよせる。

「…ちょ、それ、本気なの?」
「冗談でこんな事する程、俺暇じゃないし。」
「だって、カルマ君には関係のない事で…だって。それに相手はすっごい強いし、もし何かあったら、」
「…渚君、関係ないとか言わないで。全く関係ないってシャットアウトされてる人の為に頑張るなんて、俺一人相撲してるみたいじゃん。友人を助けるのは当然だし、それ以上に分かっちゃったから。」
「なに、を」

 カルマの左手が首筋から頬をかけて辿っていく。掌(手のひら)が熱い。ふとした瞬間に背筋を走り抜けたぞくり、とした感覚にびくりと肩をすくめると、すぐ目の前に彼の金色の瞳があった。息をのむ。

「言ったじゃん、ものにするって」

どこかかすれたような、いつもの飄々とした感じとは異なる声音に、何故か心臓が高鳴った。自分の置かれている状況、内容の不自然さもどうでも良くなっていく。あ、何か知らないけどこれはまずい気がする。視線の強さに耐えきれずに瞼を閉じると、閉じた瞼に柔らかな熱を感じた。続いて頬、耳朶。首筋に。驚いて反射的に目を開けると、してやったり、という風に笑う彼と出会う。

「この続きはさ、」

大会に勝ってからにしようね。声自体にそうさせる力があるように、渚は自然と頷き返していた。そしてそんな2人の様子を遠くから、じっと観察する瞳がある事に気付いていたのは、カルマだけだった。



「突然のお呼び出しありがとう。アンタが渚君の現パートナー候補?」

カルマの前に姿を現したのは、この流派において「いかにも」という感じの、たくましい青年だった。鍛え上げられた肉体の強靭な様子は見る者を圧倒するが、今は視線からにじむ余裕の無さがそれを損ねている。
彼は近藤と名乗るなり、いきなりカルマの胸倉をつかんだ。

「お前…渚とどういう関係だ?」
「どうって、友達だけど。それ以外に何かある?」
「ただの友人が急に弟子入りして、大会に出るのか?それに俺がお前に呼び出しを掛けた後、お前道場で渚に何してた。」
「…ああ。今日のあれか。そんなのアンタに関係ないでしょ。っていうかさぁ、」

一丁前に嫉妬する前に、いい加減その汚い手を離してくんない?それに、アンタにお前呼ばわりされる謂れもないんだよね。

カルマは胸倉を掴まれた状態で唐突に片足を振り、相手の腹部にめり込ませた。思わぬ行動に一瞬垣間見えた相手の隙を逃さず、勢いで振り切って体勢を立て直しざまにもう一撃。だが、相手は腐っても当主に推薦を受けるだけの男である。即座に迎撃態勢を整え、十分な間合いを取って回避し、構えて相対した。上等だ。すだれの様な前髪の奥で、カルマが笑う。

「…まぁ、百歩譲ってそんな事はどうでもいいとしてもさ。それ以上に訊きたい事があるんだ、」
「!?」

 近藤は心底驚いた。一拍後にはカルマはすぐ目の前にいて、金の瞳に見た事もない程の邪悪さをひらめかせている。動きが見えなかった?まさか。相手とは比べようもない程熟達した武道家である自分ですら、出だしが読めない程の、自然で淀みの無い動き。震えが来るほどだ。これは確かに、当主が天賦の才と唸る事はある―。だが、これは武道というよりは寧ろ…

「相手が目の前にいるのに考え事?」
「ぐっ」

腹に重く響く一撃に息が詰まる。こいつ、本当に中坊か?

「アンタは俺より長い間彼を見続けていながら、彼の抱える物が見えてたの?見えない訳ないよねぇ。それを知りながら、助けるんじゃなくて侮る道を選んできたんだ?」

容赦なく襲う拳と蹴りを一方的に防ぐばかりの自分に唖然とする。何故だ?こんな餓鬼相手に体が思うように動かないなんて事、今まで一度も…。
信じられない思いばかりが渦巻く中で、ニヒルなその顔が揺らぐ。口内に血の味が広がった。

「それで今度は彼のパートナーとか、笑わせないでくんない?正直アンタらの流派の盛衰はどうでもいい。けど、何より気に食わないのは、俺がまだ“君”付けなのに、」
「うあ、ぁあああぁあ!!」

ばきり、と。はっきりと骨の折れる音が自分のわき腹から聞えた時点で近藤は悟った。これは武道ではなく、純粋な「暴力」だ。相手が自分の血に愉悦の笑みを浮かべる様を、ひきつった表情で見詰め返したのが彼の最後の記憶。カルマは拳を大きく振り上げながら、心底冷たい声で言い放った。

「お前ごときが“渚”呼ばわりするんじゃねぇよ。」

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