潮流盛衰記(うしおりゅうせいすいき)

□第1章:邂逅
1ページ/1ページ

潮田渚(しおだ なぎさ)は、潮流(うしおりゅう)の本家嫡男として生まれた自分の運命に、その日数度目になる溜息をついた。“よりにもよって何故自分のような者が。”この疑問は物心つく辺りから自分と共にあり、そして、年々強まっていくものでもあった。
潮流(うしおりゅう)―鎌倉時代に端を発する棒体術の一流派であり、柔軟な身のこなしと優れた身体力を基(もとい)とした武術である。渚の祖先はその開祖として、代々心身の鍛錬に励み、結果として常人のそれとは目に見えて分かるほど異なる、立派な体格の持ち主を各代の当主として輩出してきた。遺伝子レベルでしみついた術式は、大抵の場合どの当主にもなじみやすく、それゆえに門下の誰よりも必然的に強くなる宿命を背負う。しかしながら、―ここが重要な部分なのだが―渚は歴代のどの当主とも違った種の跡継ぎとして、早くも問題視されている。
華奢で色白の繊細な体躯と、見た目にあった貧弱さ。癖のない春空色の髪に、水底の神秘を宿す、深い青の大きな瞳が、余計にその少女めいた印象を強めていた。幼い頃はまだその「眉目秀麗さ」が将来性に直結もしただろうが、齢15にして未だ大きな成長の兆しが見えない体は、流派内においては異端以外の何物でもない。加えて、彼が家庭に抱えるその他様々な問題と相まって、陰で同年代の門下生から陰湿な嫌がらせを受けるに至っていた。だが、その事に憤るだけの気力・体力はすでに、今の渚にはなかった。

(だって、どうあがいたって来週の今頃、僕の世界はきっと終っている。)

彼の瞳が急速に光をなくし、暗く淀む。「来週の今日」―それがいかに苦しかろうとも、いずれ慣れていくだけだ。きっと。
 その時、急に塀の向こうの表通りが騒がしくなったと思う間もなく、ふと気配に顔を上げた渚の真上から、その人物は降り立った。

「よ、っと!」
「!?」

 まっすぐで癖のない艶やかな、それこそ燃えるような赤髪。鋭く光る猛禽類の金の瞳に、ニヒルに笑う口元、整った鼻梁の印象的な少年だった。実に軽やかな身のこなしで、一体どうやって登ったものやら、自身の背丈の2倍はあろう塀を超えてきたものらしい。あまりにも自然でいて鮮やかな動きに目を奪われ、渚はその少年が自分を視界の端に捉えた時、咄嗟に動けずにいた。そして、事実上不法侵入者である相手の方が、よほどリラックスした様子で話しかけてきたのだった。

「ごめん、君、この家の人?」
「え、…あ、はい。そうですけど、」
「通りを歩いてたら、あれ、多分君んちの犬かなぁ。」
「うちの?」
「そ。何か狼みたいな奴が、ここのでっかい門の中から急に吠えて追いかけてきてさぁ。誓って言うけど、俺別に何もちょっかい掛けてないよ?で、しょうがないから塀を登って逃げたんだけど、うっかり普通に敷地に入っちゃった。」

ごめんね?と、言う割にはみじんも悪いと思ってない様子で少年が小首を傾げる。だが、この場合自分の家の犬の躾が最も問題である気がして、渚も頭を下げた。

「こちらこそごめんなさい。その犬、家の5匹いる内の1匹だと思う。その子、きれいな赤に目が無くて…」
「(5匹も飼ってんの?)…ふーん。何かちょっと褒められた感じ。」
「じゃれたかっただけだと思うので、許してやってくれませんか?」
「…あのデカさでじゃれて来られたら割と恐怖だけどね…。うん、まぁ、もう追っかけてこないなら。」
「あ、じゃあ今言い聞かせますね。ご本人を前にした方が分かり易いと思うので。」

 とりあえず状況把握して落ち着いた渚は、指笛を鳴らして自分の愛犬の名を呼んだ。

「おいで、カルマ!!」
「!?は?」

 渚が呼ぶなりすぐに庭の奥から駆けよってきた(かなりの大きさの)シベリアンハスキーは、渚の隣でさも利口そうな様子で座ってみせた。だが、目はまっすぐに赤髪の少年に向いている。今にも飛びかかってきそうな眼光だ。御世辞にも、じゃれたがっているようには見えない。

「…その子、“カルマ”っていうの?」
「あ、はい。ちょっと事情があって家に来た犬で、“業(ごう)が深そうな奴だ”という理由で、祖父が。何というか、可哀想なネーミングですけど、」
「けど?」
「僕は好きなんです。この子に合ってて、カッコいい感じがしませんか?」
「…へぇ。」

 見上げた相手の表情は何やらひどく複雑そうだったが、さておき渚は、傍らの犬の首にその細い腕を回して言った。

「カルマ、この人は僕の知り合いだから、吠えたり追いかけたりしちゃダメ。分かる?」

くぅん、と、見た目に反して可愛らしい声で犬が耳を伏せる。渚に名前を呼ばれ、何度か頭を撫でつけられ、嬉しそうに目を細めているのもまたギャップがあって可愛い。だが、少年は微妙な心境で「カルマ、ねぇ…」と頬をかいた。

「もう大丈夫だと思います。この子、凄く聞きわけが良いので。所で、お兄さんはどうやって家の塀を登ったんですか?ほとんどとっかかりも何もないのに、良く登って来られましたね。」
「ん?ああ。どう…ってもなー。普通に、こう、」

よ、と言いながら少年は手近な庭木の枝に手をかけ、するすると登っていく。そしておおよその高さで幹を蹴り、はずみをつけて塀の彫飾りの部分に飛び付き、何と片手で宙返りをして塀の上に立った。まるで軽業師のようだった。

「こういう感じ?」

少年が見下ろした先、渚は頬を紅に染め、感嘆の声をあげた。

「…すごい、ちょうちょみたいだ!」
「ふは!随分かわいい表現をしたもんだね。」

あ、笑うと可愛い印象になるんだなこの人。渚がそんな感想を抱いている間に、結構な高さからいとも簡単にふわりと再び着地した少年は、改めて渚へと手を差し出した。

「君、面白すぎ。これも何かの縁だし、名前教えてよ。友達になろ?俺はカルマ。赤羽カルマ。君の犬と同じく、業と書いてカルマって読ませんの。」
「え!?あ、ごめんなさい!同じなんて、その、僕知らなくて…色々言ったような。気に障りました?」
「いや。君別に変な事言ってなかったし。むしろ結構ほめたり告白したり、愛に溢れてたよね。俺に対して言ってんじゃないって分かってても、むず痒かった(笑)。…というか、君いくつなの?礼儀正しいのは可愛いけど、そんな年離れてないなら別に敬語じゃなくてもいいと思うんだけど。名前も早く知りたいな。」
「あ、はい、ええと。僕は渚、潮田渚、です。15歳になります。」
「うっそ、俺と同い年?タメじゃん、タメ。中3だよね?」
「そ、そうなんだ…同い年ね…(←成長の差に凹んでいる)。うん、中3。」
「じゃあ、俺君の事名前で呼びたい。いい?君もタメ語で、名前呼びでいいから!」

君から先に呼んでみてよ。そう言われ、終始相手のペースにどぎまぎしていた渚だったが、考えてみれば、「潮流」という看板抜きで自分と交流する友人は、そう言えば居なかった事に気付く。学校でも大抵は門閥の話が見え隠れしていたし、周囲の人間の多くは自分を潮の跡取りとしてしか見ていない。純粋に、渚その人を見て友人になろうと言ってくれたのは、最近では恐らく、彼しかいなかった。思わず頬が緩み、自然と嬉しさがにじみ出た。

「うん…じゃあ、カルマ、くん。宜しく。」

(うわ)

ふわり、と。花がほころぶ様な笑顔とは、この事を言うのではないかとカルマは思った。それ位に柔らかく、かぐわしい微笑みで。国語がそう得意ではない彼にしてもそんな比喩が浮かんでしまう位に、渚の笑みはまぶしく映った。思わずきゅん、と胸が締め付けられる。

「渚ちゃんって、末恐ろしいよね。それ、天然なんだとしたら。」
「?」

急に口元を手で覆い、気まずげに瞳をそらしたカルマの呟きの意味は分からなかったものの、渚はたった1点、どうしても聞き逃せなかった事を訂正する為に首を振った。

「違うカルマ君。“ちゃん”じゃ駄目。」
「?どーして?」
「どうしてって。僕、男だし、」
「………………………………へ?」

 この日初めて、カルマは神という存在に向かって心の中で叫んでみせた。俺のときめきを返せ。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ