Nightjar's Dream

□暁の中で
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午前5時丁度。徐々に明るさを増していく世界の中で、光(こう)は静かに息をひそめて待っていた。村はずれの貧相な時計台の、屋根裏部屋。この場所が近隣では最も空に近い。彼がそんな場所に陣取っているのは、それが理由だ。目当ての機体はいつも、早朝のこの時間きっかりに南の方角から現れる。今日こそはくまなく観察したい。

「…来た。」

―ヴォン、ヴォン、ヴォン。
低いエンジン音を響かせ、それは近づいてきた。朱(あけ)に染まりゆく空の、そこだけ夜を切り取ったかのような優美な藍の色。鋭い、猛禽類を思わせるシルエット。空と雲、曙光を映して鏡のように光るコクピット。一体どんな操縦士が、こんな見た事もないような機体を操るのか。毎回そんな事を考えつつ見送るものの、今日もその機内を伺う事は出来ない筈だった。だが。

「…あれ?」

高度が下がっている事に気付いたのは、時計台の真上を機体が飛び去ってからだった。双眼鏡を下し、思わず行方を見守る。間違いでなければ、浜に降りるようだ。まさか、という思いは、機体が海面すれすれを滑空する姿から確信に変わる。間違いない。あの機体と―中の人物と間近にまみえる事ができる。高揚した気分そのままに光は時計台を駆けおり、海へ向かった。時計台からは自転車で5分とかからない距離である。緑鮮やかな木々を潜り抜け、視界が光の洪水で満たされる頃、彼は初めて夢にまで見たその機体の近くにいた。

「すごい…」

 ただの藍、というのではなかった。紺碧、いや、もっと深い。夜色、とでも言おうか、深いのに透明度が高く、よく見れば砂子のような微かな煌きが随所に散る。気体の脇には流れるような金文字でHAWK(=鷹)と彫ってある。思わず吸い寄せられるように手を触れようとした彼の指先を、上から急にわし掴んだ者があった。

「ねぇ。ひとの機体に気安く触らないでくれる?不審者。」

 酷く怠惰そうな、低くかすれた声音。その声と同じ位眠そうな赤銅色の瞳に、やや乱れてかかる癖のある銀の髪。見上げた先には、コクピットから身を乗り出した状態で自身の手を掴む男の姿があった。声から受ける印象よりもかなり若い。見た目10代半ばの青年だ。光は思わず息を呑み、じぃっと相手を見つめた。何がおかしかったのか、軽く苦笑する。笑うと甘い雰囲気になる青年だった。

「アンタ、飛行艇好きなの?」

先ほどよりも柔らかな声音に思わずこくり、と頷いた。すると、急に視界がぶれる。体が浮遊感に包まれ、一瞬の後には、朝焼けに明度を増す海を見下ろしていた。自分があの機体のコクピットにいる事に気付くまで、少しの時間を要した。

「あ、の」
「怖い?空の上はこんなもんじゃないんだぜ。」

 見知らぬ相手だと言うのに、ましてや、つい先ほど不審者扱いしたばかりだというのに、まるで十年来の友人でもあるかのように気安く話しかけられる。しかも膝の上に抱きかかえられながら。先に妙な行動を取った手前、今更どうしたものかと途方にくれる光を見て笑みを浮かべ、不思議な青年はささやいた。

「本当は、俺を見たら生かしてはおけないんだが、お前みたいな奴ならいいだろ」
「?僕みたいな?」
「ああ。」

頷きつつ機体を撫でる手が酷く優しげで。

「HAWKが安心しきってるからな。お前、本当に飛行艇好きなんだろ、チビ。」

言葉の意味は分からなかったが、問われた言葉はまぎれもなく真実で。光はまた1つ、こくりと首肯した。

「そうか」
「でも、僕“チビ”じゃない。光って名前あるし、」
「ふうん」
「お兄さんは?」
「俺は、…そうだな、HAWKだ。」
「それ、この飛行機の名前じゃないの?」
「まぁ、飛行機みたいなもんだからな、俺自身が。」
「ふうん。何か、いいね」

機体と家族みたいで。何気なく言えば、目を細めて頭を撫でられる。一瞬、緩やかに撫でられる機体の気持ちが分かった気がした。光と青年は、それからしばらく飛行艇について話し、青年が飛び去るまで共にいた。以後、この奇妙な交流はかなりの頻度で行われたが、光が13歳の誕生日を迎えた日に、唐突に終わりを迎える事となる。戦争の幕開けと同時に。

「光、多分もう会わないだろうと思う。大きい仕事が始まるから。」

まぁ、元気でな。いつものように緩く笑って、彼は彼方の空へ飛び去った。あまりにもあっさりとした別れ。方角的に敵国・「フラタリア連合」へ向かったのだと目星がついたのは、大分後になってからだ。そして今日、16歳の誕生日を迎えた光は、密かに固めてきた決意のもとにサライ皇国空軍への入隊試験に挑むべく、王都へと旅立った。

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