金色の鳥と白いムカデ

□接近
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『二人、やっぱり“出来ちゃった”んだ。おめでと。』

恋人つなぎでアジトに戻った際、全てを見透かすように待ち受けていたエトは、開口一番こう述べた。驚いた事にカネキの反応もまた、「ありがとうございます。」と、非常に淡々としていた。無論、秘密裏に随所で交わされていた両者の駆け引きを知らないコノハにとって、驚くのは当然の反応だったのだが。どうも、タタラや彼女(=エト)の前では彼はポーカーフェイスに徹している節があるなと、ようやくコノハも呑み込めて来た。常に仮面を装備した状態。だが、そのすぐ後のカネキの一言には面食らうばかりだった。いはく、「そんな訳なので、用心棒も兼ねて、部屋、隣にして貰っても良いですよね?」…もはや確認ですらない。脅迫まがいの台詞である。しかし、エトは特に気にした様子もなく、「いいよ」と一つ返事だった。かくして、さっぱり状況がつかめないまま、コノハの隣室はカネキとなったのであった。更にいえば、当事者である筈のコノハ本人の意思など確認もされていない。いつもだが。
(まあ、一緒でないだけ大分有難いのだけども。)
これで同室だった日には心臓がお祭り騒ぎで早死にする、絶対。最初のうちこそ、そうした理由からほっと胸を撫で下ろしていたコノハだったが、良く考えればカネキの性格からして、大人しく隣室に納まっているという筈もなく。

「かっ、カネキさん?」
「ん?」
「その、首筋にじゃれつくの止めてくれません?」
「いいだろ、減る物じゃなし。」
「や、減ります減ります。主に神経とか。」
「光栄だ。」

現在の2人の体勢を描写すれば、ソファに座るコノハの真後ろからカネキが腕を回して彼女の首元を抱きしめ、ついでとばかりに肩口に額を預けている、という構図である。時折耳朶や耳たぶなど、敏感な箇所に唇を這わせるから始末に負えない。全身を沸騰させながら、「大分スキンシップに慣れた」つもりでいたコノハは、それが甘かった事を思い知らされていた。だって、言葉では絶対何も言わないのに、いきなり行動で来られるとこんなにも胸が苦しくなってしまう。本人が確信犯なのか無自覚なのか分らない場面があるのもまた、対処に困る。だがともかく、何と言うかここ最近の彼は行動だけ取れば“甘えに来ている”ように思われてならない。本人に言えば恐らく生きて戻れない事は確かなので言わない(=言えない)が、もう無駄にキュンキュンしてしまう。特に、疲れたと思しき日は無言でやって来て、ぎゅう、とコノハを抱きしめてから帰るのが可愛い。また、時折物言いたげに唇を撫でられる瞬間がある。それだけでぼうっとなる位、色香満載だったり。ああもう、子供っぽいのか色っぽいのかどっちかにしてくれ、と切実に思う。色々と、完璧かと思えばひどくアンバランスな瞬間を目にするようになって、更に目が離せなくなってしまった。ギャップ萌え、というやつだろうか。

「何を考えてるの?」
「ひっ!別に!」

耳朶に直接吹き込まれる低音に背筋がぞわりと粟立つ。それからしばらく彼女の耳のラインを唇で愛撫して満足したのか、「…おやすみ」とカネキが去っていった。赤くなった頬を撫で、閉じられた戸をぼんやりと見つめながら、不思議だなとコノハは考えた。告白されていないままでも、とりあえず恋人(仮)関係にはなった筈だが、どうした訳か、彼はそうなる前よりも徹底して彼女と一夜を過ごそうとはしなくなった。あれだけ際どい接触を図ってくる人らしくないというか、寧ろ以前の方が余程気軽に泊まったり迫ったりしていたように思う。ニヒルな癖に実は誠実な一面を持つ、彼なりのけじめなのか否か。何故だが知らない。自ら尋ねて墓穴を掘ろうとは思わない。けれど、あれよあれよという間にその状態で5カ月も経てば、気になる事は気になるのであって。うんうん唸りつつ考えた末、結局どうにも結論など出ない事に気付いた為、いっそ思い切って訊いてみる事とした。
(…よし、)

コノハの部屋から戻ると、自分一人の空間というのが、酷く空虚である事に気付かされる。殺風景で色みのない部屋という事もあるが、そこに人が居るか居ないかで、温かみは全く違うものとなる。彼女と接触する時間が多くなる分安らぎにも似た感情を得る事が増えたが、逆に冷徹に物事を遂行する感覚を削がれているようにも感じている。吉と出るか凶と出るか分からないが、今の所彼女と離れる予定はない。だが、少なくとも自分達を守る力や、感情面での均衡を持ち崩す訳にはいかない。それが生死に直接響いてくるからだ。全部をひっくるめて上手く対処できるほど、まだ自分は安定した生き物ではない。本当はもっと自然に、思うさま彼女と過ごしたいとも思うのだが、今しばらくは下手に距離を縮めない方が得策だろう。彼女自身の為にも、恐らくそれが丁度いい筈だと結論づけた。少しばかりじれったいけれど、それもまた一つ。思考に疲れてベッドにぼすりと身を投げ出すと、そのまま意識が遠のくのが分かった。珍しく深い眠りに潜って行く。しばらく夢も見ずに眠り、意識が引き上げられた事をうっすら感じ取ったのは、深夜も大分過ぎた辺りだった。最初は何故起きたのか分からず、「?」と疑問符を浮かべていた。そして、入口から控えめに聞こえるノック音に反応した為だと思い至り、反射的に身を起こした。

「誰だ…?」
 
寝起きでかすれた声は、我ながらひどく怠惰そうに聞こえた。一瞬だけ間があり、直後「すみません、」と聞きなれた声が鼓膜を震わせた。少し驚く。まさか彼女とは思わなかった。

「…コノハ?」
「はい。えっと、カネキさん、」
「ああ、待って。今開ける。」

重い身を奮い立たせてドアまで行き、なるべく静かに手前に引いた。そこには無防備にも寝間着姿のままのコノハがいて(→後でおしおきだ)、何やら心底申し訳なさそうな、それでいて思いつめた表情で立ち尽くしていた。訪ねられる心当たりがなかったので、単刀直入に訊く。

「こんな時間に、どうしたの?」
「あ、す…みません。その、勿論眠ってらっしゃるとは思ったんですが、」
「うん。真夜中だし。」
「すみません…。その、」
喰種は人間より感覚が優れている。聴覚が発達した者も多いので、また深夜という事もあり、2人は努めて囁くように言葉を紡いでいた。必然、聞き取りづらい。その上、言いにくそうにコノハが下を向いてしまったので、聞こえるようにと顎に手をかけ上向かせた。薄闇の中で視線が絡まる。少しだけ、その柔らかな唇に触れたくなる。

「聞こえないんだけど。どうしたの。」
「……さ」
「さ?」
「急に、寂しく、なってしまって。」

耳を疑った。

「……うん?」
「な、なのでその、もし、良ければ、」

お部屋に入れてくれませんか?恐る恐る、若干涙目でこう言われては、カネキに断る術はなかった。少しまずいな、とは思ったのだが。

「…どうぞ。」

内面の動揺を表には出さず、すっと身を脇によけて彼女を迎え入れる。よく考えればこの時点からして誤算だったのだ。わざわざ逢瀬に彼女の部屋を用いていたのは、そこが彼女のテリトリーだったからだ。自分の場所でないと、頭のどこかに刻んでいるからこそ下手な行動も戒められた。だが、時間帯もさることながら、ここは自分のテリトリー、言うなれば巣穴である。この場でのルールは自分だ。自分のさじ加減一つで彼女はどうにでもなってしまう空間なのだ。その事をなるべく考えないようにして、カネキは彼女にイスを勧めた。だが、予想外な行動は何故か重なるものであるらしい。いつもは従順な彼女が珍しく首を振り、「カネキさんの隣じゃ駄目ですか?」と、ベッドを指さしたものだから思考が一時停止した。溜息を一つこぼして気を鎮め、「おいで」と手を伸ばすと、すっと飛び込んできた。華奢な背に手を添えると、しがみつくように抱きしめ返される。今夜の彼女は、どこかおかしかった。

「今日はいつにも増して変だね。わざわざ狼の巣までのこのこ出向いて。…何かあった?」

問いかけてもしがみつく力を強めるばかりで答えようとしない。

「コノハ?」
「カネキさん、私はカネキさんが好きです。」

唐突な告白に目を丸くする。いつの間にか顔を上げ、頬を盛大に赤らめつつも真っ向見つめてくる瞳に息をのむ。

「……うん。」
「カネキさんは、私が好きですか。」
「…、うん。」
前回とは大分異なる雰囲気とシチュエーションに、はぐらかす事が許されないように感じて、素直に頷いて見せた。一気に安堵の表情になる。何となく肯定するだけでは足りない気がして、彼女の右頬を左手で覆い、その目を覗きこんだ。それは初めての、彼からの告白。

「好きだよ。ちゃんと。コノハが大好きだ。」
「……ぅ、」
「…コノハ?」

聞いてる?質問を返しつつ彼女を見つめる。透明な涙が光って落ちる。はらり、はらりという表現がふさわしいような、小粒の水晶か真珠のようなそれらは大層美しい。人差し指でかすめるようにぬぐうと、一気に溢れだした。温かな泉のよう。思わず唇を近付けて吸い取ると、赤い顔を更に赤く染めて笑った。

「…はい、…うぅ、はい!カネキさん、…はい!」
「…さて。じゃあお互い想いを確認した訳だし、腹を割って話そうか。一体どうした。」
「…ご、5カ月なんです。」
「ん?何が?」

今みたいな関係になって。少し言い辛そうにしていた理由が判明する。そうか、確かにこちらから愛情表現をしていなかったなら、彼女が現状を「本当に付き合っているのか?」と疑問に思っても不思議ではない。そう言えば、その内ね、と濁したままで告白もしていなかった。前提としてそんな状況だった為、今の関係性をどう表して良いか分からなかったのかもしれない。当然、本題にも入りにくかっただろう。これは確実に自分が悪い。なので、大人しく彼女の話に付き合う事にする。

「…うん。それ位経つのかな。それで?」
「…そ、の。そんなに経つのに、どうして、ですね。…その、」
「恥ずかしがらないで言う。はい、どうして、何?」

何度か髪を梳くと、 何事か決意したように息を吸い込む。カネキもそのただならぬ様子につられて居住まいを正して待った。

「どうして、関係が進まないのかな…と」
「……、」(地雷だった。)

彼女の言わんとする事が読めてしまった。しかし、こんな状況でそれを告げて来るというのはいささか感心しない。一体こちらの努力を何だと思っているのだろうか彼女は。微妙な腹立たしさを覚え、ぷるぷると震える彼女に、いきなり噛みつくようなキスを贈る。驚いて固まる間にソファに両腕を押し付け、身動きを封じた。落ち着け、と心の中で唱える。これはそう、ただお灸をすえるだけだ。

「それは、何で俺が君に手を出さないのか、って事だよね。」
「だって、あんなに無駄なまでに触れて遊んでくる癖に、一歩線を引かれてると言うか。夜は居なくなるし。」
「馬鹿な事を言ってる自覚ある?そもそも、最初に始めたのは君だ。」

ゆっくりと距離を縮め、丸みのある頬から耳朶にかけて口付けていく。小さく息をのんで身をすくめるので、今度は首筋に舌を這わせ、どくりと脈打つ辺りに所有印を刻み付けた。「あっ」と、鋭く甘い、戸惑ったような声に口元を歪ませる。

「気のある事を言いながら、触れると遠ざかる。最初がそうだったから、俺も猶予をあげようと距離を置くようにしていた。自分の為でもまぁ、あったけど。殊に自分の感情を自覚した後では尚更だ。それなのに、今度は君が、何故触れないと悩むのはお門違いってものだろ?」
「カネキさん、」
「囮になった時に学習しなかった?こんな時間に、自ら変な場所に来て、思わせぶりな事ばかりする。そういうのを自殺行為と言うんだ。何をされても、文句は言えない。違う?」

舌の先を滑らせ、首を伝って鎖骨のくぼみで彼女のうっすらとした汗を味わう。頭上から、吐息を乱す様な気配。ますます固まる体。そろそろか。

「…まぁ、なんて脅してみたけどね。」
「え、」

よいしょ、と身をどかすと、彼女の揺れる瞳とぶつかった。軽く頭を撫でて抱きしめる。訳も分からないまま、それでもきゅう、と背に回された腕に満足する。

「安心しなよ。君が本当に良いと言うまで何もしないから。変な事を考えない。無理もしないこと。いい?」
(カネキさん、それは)

“君が良いと言うまで”。つまり、私が良いと言ったなら、すぐにでも手を出すって意味ですか?小さな声で問いかけてみる。くすりと笑って彼が「そうだね」と言うのを聞いた。その時何故そうしたのか今でも分からない。ただ、大事にされている。そう感じた瞬間体の奥が締め付けられたように疼いた。彼の緩やかな微笑みに芯からしびれたようになり、思わず伸びあがりさまに、彼の白いのど元にキスを。それから首筋に頭を擦り寄せてシャツを掴み、一気に言い放つ。言葉が、溢れて止まらなかった。

「私は、今、触れて欲しいです。」
「………熱でもあるの?」
「分からない。でも、体が熱くて、うずいて、きっと、」

あなたじゃないと、止められない。見上げた途端、降ってきた彼の唇に呼吸ごと奪われ、きつく目を閉じた。最初から舌を絡める濃厚な口づけ。卑猥な水音と知らずこぼしていた自らの喘ぎ声に聴覚を満たされ、酩酊したように思考に霞がかかっていく。キスがどれ程続いたかも定かでない。だが、銀糸でつながった互いが離れた時、彼の瞳に宿っていたのはまぎれもない情欲の燈で。その荒々しい赤と対照的に、触れる手がひんやりと、壊れ物でも扱う様に繊細に髪を撫でるから。そこから先の時間は、切れ切れにしか思い出せない。確かに覚えているのは、愛しさと陶酔が絶えず身を焼き焦がすような、狂おしい感覚だけだった。

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