金色の鳥と白いムカデ

□悪戯心から生まれる、本音。
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「ねぇ、お嬢さん。今夜お暇ですか?」

ネオン輝く夜の街路にぼうっと立っていたコノハの前に、その男はゆっくりと姿を現した。通りかかったというより、滲み出てきたという表現の方がしっくり来る現れ方だった。あまりにも急な事だった為、ぱちくりと瞳を瞬かせるコノハに笑みを濃くし、男はなおも続ける。

「この時間にこんな通りに一人で立っているなんて、危ないよ?誰か待っているの?」
「い、いいえ。ただ何となく。」
「へぇ、それはいけないね。未成年はもう帰る時間だ。おじさんが大きい通りまで送ってあげよう。」
「…いえ、今日は帰りたくないから。」

あらかじめエトに指示されていた通りのセリフを紡ぐ。彼女がこう言った瞬間、男の目に嫌な光りが宿った事に気付いた。粘っこいというか、ぬらりとした、というか。少なくとも見ていて気持の良い類のものではない。思わず後ずさると、その分距離を詰めて来る。

「そんな事を言ったら、どうされても文句は言えないんだよお嬢さん、」
「―っ」

男の分厚い掌が髪に触れる寸前、喰種特有のすばやさで身をかわしたコノハは、そのまま真っ直ぐに路地の奥へと駆けだした。背後で気配が膨れ上がるのが分かる。人間では醸し出せないこの妙な、背筋も凍りそうな気配。喰種そのものの気配だった。
(ちょっ、本性現すの早すぎない!?)
これは本気で想定外だった。もう少し普通の酔っ払いのような絡み方をして来るものと思っていたのだが、明らかに“狩り”のモードで迫って来ている。リストにあったこの男のレートは“S”。普通の喰種にすら脅かされる自分では逃げ切れる訳が無い。それこそ死と隣り合せの追いかけっこ―デッド・チェイスがスタートした。

「お〜じょ〜う〜さ〜ん」
(こ、怖い!!!!!!!!!!!!!)

間延びした問いかけの声は息一つ切れないままで、しかも無駄に楽しそうだ。距離も見事に縮められている。もはや振り返って確認する勇気はない。真面目に涙が出て来て、上手く呼吸が出来ず、ひゅぅと喉が鳴る。無意識に彼の名を呼ぼうとしていた。

「カ…」
「呼ぶのが遅い!」
(まだ“カ”しか言ってません!)

突如眼の前に降りたった黒い影にバランスを崩され、つんのめった所を支え起こされた。荒い息の中で見上げた先には火炎の瞳。白銀の髪。漆黒の戦闘服に身を包んだ、いつものカネキがいた。

「カネキさん!」
「ほんと勘弁してくれない?さっさと呼べばこんなに走らなくて済んだだろ。こんなに奥まで入りこまなくてもさ。」
「す、すみません。」
「追いかける方の身にもなってよ。君の逃げ方が素人すぎてハラハラして、こっちがどうにかなりそうだ。まぁ、それはともかく、」

自分の背後にコノハを下がらせ、急な第3者の登場に警戒して唸る相手と向き合う。場の空気が一気に張り詰めた。

「はじめまして。“アオギリの樹”代行のカネキと言います。―突然ながら、あなたにお話があって来ました。ご同行願えますか?」
「お前、まさか“眼帯の喰種”…!」
「僕を知っているなら話は早い。どうします?大人しく同行するか、あるいは…」

パキリ。彼が指を鳴らすと同時に現れる、4本の赫子。鱗赫の中でも特別と謳われる、リゼの、そして今や彼の武器。呼応するように相手の腰からも2本の太い鱗赫が姿を現した。

「…それは応戦、という事で宜しいですか?」
「獲物を前にむざむざ引き下がる訳にも、同行したいとも思わないのでね。あるいは、彼女と引き換えになら行ってやっても良いが。」
「…残念ですが、お断りします。これは、僕のですので。」
「なら、奪うまでだ。」
お手合わせ願おう、と。そこから先は、火花の飛び散るような展開だった。

払い、叩きつぶし、なぎ倒し、切り付け、抉り、殴りつけ…。カネキが様々な形態で用いる赫子を見守る内、相手が力尽きていく。一撃一撃の鮮やかな手際、息をのむ動きに魅了される。怖い事は怖いが、あの力が今は確実に自分を守る為に振るわれているのだと思う度、下腹部を締め付けられたようになる。かっこ良すぎてめまいがしそうだ。カネキは最後に鋭く相手の肩口を突き刺すと、浴びた還り血もそのままに振り向いた。

「終わったよ。」
「お、お疲れ様でした!」
「うん、君も。ケガとかしてない?」
「あ、多分大丈夫です。カネキさんは…、」
「全く問題ないよ。かすり傷位だし。」

 近づいて来たので、持っていたハンカチで軽く血のついた頬をぬぐう。彼は一瞬驚いた顔をしたが、そのまま大人しく拭かれていた。そう言えば。

「カネキさん、普段と一人称が違うんですね。」
「ん?」
「他の人には“僕”なんですね。私は“俺”しか聞いた事ないですけど、」

僕って言う時と俺って言う時って、一体何が違うんですか?何気ない質問ではあったが、カネキはその一言に面喰ったように瞬きをした。少しだけ眉根を寄せて考え、口を開く。

「気付いてないのか…」
「何がですか?」
「いや、もう気付いてるもんだとばかり思っていたから、力が抜けた。」
「???」
「ああ、うん。別に良いよ。」
「良くないですよ。気になるじゃないですか。」
「…普通勘づかないかな…」

疑問符を浮かべて首を傾げる彼女を微妙な顔をして見やり、カネキは苦い溜息を吐いた。

「俺が自分を“俺”って言うのは、他の場所では無い事なんだ。」
「はい??」
「―分からない?」

少しだけ困ったように眉を下げてこちらをじっと見るので、無駄に心拍数が上がってしまう。その上彼の鱗赫が自分を守るように、そっと周囲を囲うから余計に。また要らぬ期待をしてしまいそうで怖い。

「“俺”はプライベート時の呼称。君はつまり今、俺のプライベート圏内にいるんだよ。」
「…、」
「君の性別が分かってからも、色々あったけど。気付いたのは本当に最近だ。君が自分の近くに在る事が当然みたいに感じられて、何の疑問もなく毎日を過ごしていたけど。これまでの自分を考えれば、それは明らかに変なんだ。そして今日は特に変だった。君が誰かの眼に留まる事がこんなに腹立たしいとは思わなかった。囮ではあっても、君に近づく輩がある事自体許せなかった。イライラして苦しくて、こんな面倒な感情要らない、そう思うのに。」

ハンカチを握りしめたままだった手を取られ、そっと親指の腹で甲を撫でられる。鳥肌がたった。

「君を前にすると全部どうでも良くなるから、困る。」
「カネキさん、それはあの、申し上げにくいんですが、」
「何。」
「怒らないで下さいよ…?カネキさんが私を好き、みたいに聞こえるんですが。」
「何バカな事を言ってるの?」
「ですよね!すみませ、」
「今更でしょ。」
「!?」
「何?俺がわざわざ好きでもない奴にキスしたり、同じベッドで寝たり、あまつさえ抱こうとしなきゃならない?そんな手当たり次第な奴に見えてたんだ?まぁ、最初は悪戯半分だった事は認めるけど。」
「滅相もない!」

混乱しつつ、コノハは「でも、」と言い募った。
「で、でも、でも、だって、でも、カネキさんは、だって、」
「“でも”も“だって”も、もういいよ。何?」
「だって、私に『好き』って言ってくれた事、ないじゃないですか!」
「…それは、まぁ。暗黙の了解というか、」
「そんなの了解していません!同じなら言葉で聞きたいです!」
「……言わなくても分かるだろ。」
「分かりません!というか、いつからですか!?」
「さぁ。明白に認識したのは最近の事だけど。」
「なお聞かせて下さい!私が不安になるじゃないですか!聞きたいです!カネキさんが言うと冗談なのかそうでないのか、分からなくなります!」
「…喧嘩を売られている気がする。良いよ。なら君から言って。」
「なっ」
「俺もまた聞きたい。」

凪いだ瞳が笑みの形に歪められ、ちょっと返しに困るも、意地になって見つめ返す。
「〜〜〜!カネキさんが好きです!」
「うん、俺も。」
「カネキさん!」
「言った事は言ったろ。」
「何か違う!そういうんじゃない〜!」
「まぁ、いずれ。」

戻ろうか。どれほど憤慨していても、くすくす笑いながら差し出された手を迷わず取ってしまう辺り、自分は相当まいっているのだなと思う。強い力で引き寄せられて、額に軽く口付けられるだけで満たされていく。こういうのを俗に、惚れた弱みというのだろう。

「…。戻ったら言って下さいよ。」
「そういう事はむやみやたらに言うもんじゃないと思うな。」
「何度でも言いますとも!カネキさんから告白して欲しいですもん!」
「…そうまでして聞きたいの?」
「それは、長年の夢といいますか。好きな人から告白されるのって、女子の夢…みたいな。」
「ふうん。」
「で、結局言わないんですね?!」
「気長に待っててよ。」

必ず伝えるから。流し眼を送りつつ飄々とのたまうのが憎らしい程かっこう良くて、何か悔しい。せめてもの足掻きで、「絶対ですよ?」と仏頂面で念を押す事しか出来ない。けれど。繋いだ手の、指先同士を密にからめ合う感触が、その動作が初めてだと如実に物語っていて。平然とされた恋人繋ぎに思わず赤くなり、次いで、嬉しさに微笑んでしまうコノハだった。
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