殷の花

□両者の視点より
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【SIDE申公豹】
「黒点虎、最近廉紀がおかしいと思いませんか。」
「彼女は元からけっこう変わってると思うけど。」(申公豹程じゃないけどね)

 朝歌上空。この時はいつも通りのペアで、1人と1頭は人間界の営みを見るともなく眺めていた。そんな時、ややいじけたような声で、まぁ珍しく本気で心配しているのかもしれないが、申公豹がつぶやいた。

「違います。そんな性格的な話ではなく、行動的な話ですよ黒点虎。
最初の頃はあまり表情の変化はありませんでした。けれど、付き合いが増すにつれて良い反応を返してくるよ
うになりましたよね?それがどうです?ここ最近の彼女ときたら、花の世話ばかりでろくな会話もないのです
よ。当然陰ながら観察していましたが、ため息は多い、急に赤面はする、部屋に戻るのが遅すぎる。…ああ、
仕事ではありませんよ?妲己は彼女に花の世話と掃除以外は任せていないそうですし(申公豹の命令で)。これはおかしいと思いませんか。」
「気付いてると思うけど、太公望と会った日辺りからだよね。」
「…そうですね。」
「それって、僕は何となく分かるつもりだけど。」
「何ですって黒点虎。一体どうしたというのです?」
「んー、人を意識するって、そんな行動するらしいよ。妲己ちゃんの話だと。」
「意識…?」
「あの日あった事を考えてみれば分かる気もするけど。それに、廉紀ちゃんの場合心花をみれば一目瞭然だよね。」
「ああ、そうですね。そういえば彼女は、心花のマスターでした。」

 さ、ではさっそく戻りますよ。…行動早くない?黒点虎をUターンさせた彼が目にした心花は、少し見ぬ間に大きな変化を遂げていた。

「これはまた何と…美しい。」
「この色はどんな状態の心境なんだっけ?」

 明度の高い白から、透ける薄桃色へ。花弁の先端の金は変わらず、先に行くにつれて少しずつ紫を足したグラデーションへと。ちりちりと鳴る音色は、どこか艶を帯びた鈴の音の様で、聞く者を妙に落ち着かない気分にさせた。これは。

「恋、ですか。」
「恋?」
「ええ。紫の混じる桃色は、どこか官能的な気分の恋情、ですね。」
「ふうん。」
「そうですか…、恋、ねぇ。」
「―(気付いたのかな)。」
「…なかなか隅に置けませんね、太公望も。」
「―うん!?」
「さて黒点虎。こうなればアレですね、彼女の応援とまではいきませんが、少しは協力をしてあげませんと。あ
の軍士には下手な策を巡らすより、まっすぐぶつかった方が早いのではないでしょうか。何、くだけて元々で
はありませんか。私ほどでなくとも彼は長命な道士ですから、すぐに心境の変化はないでしょうし、今はわけ
ても封神計画の只中ですしね。持久戦ならば、…少し分が悪いですかねぇ。彼女を弟子にでもしますか。」
「ほ、本気で言ってるの?」
「もちろん、引き会わせてしまった責任もありますからね。ひとまず太公望と彼女の、コミュニケーション機会
 を作ってやりましょう。」
「えー…。申公豹、廉紀ちゃんに構いすぎじゃない?」
「まぁまぁ黒点虎、早く早く。太公望は今どこですか?」

(絶っっっ対違うと思うけどなぁ。太公望じゃないと思うけどなぁ。)

「(言った所できちんとした理由もないしなぁ…)〜〜、ちょっと待ってね…。今、…あれ?」
「?なんですか?」
「今彼、蠆盆(たいぼん)にいるみたいだよ?」
「ほお。ついこの間王宮に来たと思えば。ひとっ飛び見に行きましょうか黒点虎。もののついでに廉紀もつれて
いきましょう。」
「この前の事忘れたの!?また変な事になるんじゃない?!」
「大丈夫ですよ。もしこのまま死なれたら、会えなかったと恨まれるかもしれませんしね。」
「下手したらトラウマじゃない。」
「ふむ、まぁ確かにそうですね。では今回は我々のみで様子を見るとしましょうか。」
「うん。それが良いと思う。」

 そんな訳で様子見をしにきた訳だが。

「阿鼻叫喚の地獄絵図ですね」
「何それ?」
「見るに堪えない酷いあり様、という程の意味です。」
「ふうん」

 確かに、と黒点虎は思った。眼下は血の香りに満ち、苦しみと恐怖による叫びのオンパレードだ。生きながら食いちぎられる人間の悲鳴は凄まじい(と言いつつ、黒点虎もたまに邪魔な仙人・道士を襲って食べているので、慣れていると言えば慣れている)。なるほど、これは廉紀を連れてこなくて正解だった。下手をしたら一生恨まれる所だったと申公豹も考える。しかし、このままではいずれ恨まれるに変わりはない。

「黒点虎」
「何?」
「ちょっと鳴いてくれませんか。いつもの『お腹減ったアピール』位の感じで。」
「?何で?今?」
「今太公望が喰われたら、私は結局廉紀に恨まれるでしょうからね。時間稼ぎです。」
「ああ、はいはい」

 ほんと申公豹、あの子の事大好きだよね。いつからそんな風になっちゃったわけ?まったく。サービス良すぎ。
ぶつくさ言いながらも、黒点虎は大きく身を震わせ、大音量で鳴き声をあげた。

ごあああああああああああ

「!?」
「あらん?黒ちゃんったら、どうしたのかしらん?」
「―」(今だ!)

 突然の咆哮に、周囲の人間や仙人、妖怪達が一斉に黒点虎を見上げた。すかさずもう一声。おっとりと目をむく妲己の脇を、機を読んだ武成王が駆け抜ける。放心状態の太公望を担ぎ、一瞬で視界から消え失せた。

(これでいい―)

「これこれ黒点虎、わめいてはいけません」
「だぁって申公豹、僕お腹すいちゃったんだもの。ここにいる奴の中で、誰か食べてもいい?」
「困りましたねぇ。…妲己?」
「好きにしたらん?…って言ってあげたい所だけどん。一応妾の部下だから、他を当って欲しいわん?王宮で何か召し上がるん?」
「良いですねぇ。そちらの方が、かわいい黒点虎のお腹に優しそうですし。」
「じゃ、さっさと終わらせて戻りましょおん?…あらん?」

 ふと見れば「メインディッシュ」がいない。きらりと目を光らせた妲己は、素知らぬ顔で愛獣をなでる申公豹を見やったが、何も言わずに微笑んだ。

【SIDE廉紀】
( おかしい。絶対に何か勘違いされている気がする。)

 心花の世話を焼きながら考えるのは、どうにも最近頭から離れる事のない“へんてこ道士”の事である。

( そりゃ確かに、人工呼吸の一件から接し方に困っている訳だけども…)

 人間が出来ていなくて申し訳ないが、まともに申公豹の顔を見る事ができないばかりか、会話そのものが上手くいかなくなっている自覚はある。あくまで救命行動、そこにやましい理由は何ら存在しない。そんな事は百も承知で、だがしかし感情が言う事をきかない。この摩訶不思議な状態が何であるのか、一応正解には辿りついているつもりだ。

( 相手が悪すぎるでしょうよねぇ…)

 何が悲しくて世俗を、更に人間の部分まで盛大に投げ捨てた「仙人・道士」を想わねばならないのか。しかも絶対、何がどう転んでもなびきそうもない奴が相手だなんて。表情はないし服の趣味も謎だし。先は暗いどころか無明の闇、ブラックホールも良い所だ。自分でも予想外すぎて、もはや泣きそうである。大体、どこがどうで、何がどうして好きだと感じるようになったのか、それすら謎のまま―。不毛だ。草一本生えない位。だから諦めた方が身の為である、なんて。そんな事は分かっているのである。―でも、どうにも制御できそうもない、というだけ。知らず溜息をついた。

( それが何です?今朝なんて…)

『そう言えば廉紀、つい最近妲己の蠆盆(たいぼん)に太公望がかかりましてね。』
『は…っ?え、あの時の、道士様が…?』
『ええ。ですが大丈夫です。ちゃんと私と黒点虎で助けておきましたから。心配する必要はありません。』
『あ、はい。良かったです。』
『あれはなかなか悪運の強い男ですが、妲己に向かう以上、常に命の危険にさらされていると言えます。あなたにして見ればあまり時間はないのではと思わなくもありません。』
『?何のお話でしょう?』
『失敗を恐れず、素直に行動する事も、命短い者の手段ですよ。駄目元ですからね。応援してあげましょう。』
『??ですから一体何の…』
『照れずとも好いのです。分かっていますからね。』
『?????』

思い返せば返す程、ため息が深くなる。その勘違いは、恐らくそういう事なのだ。

「申公豹はねぇ、君の好きな相手が太公望だと思っているんだよ。」
「!?」

 仰げば猫、もとい黒点虎。珍しく相棒とは別行動らしい。最初に会った屋根瓦の上で悠々と寝そべっていた。その姿だけ見ればかわいい。サイズさえ普通なら。

「黒点虎さん…」
「でも僕は、君の想い人はもっと違う人だと思うんだけど。どうかな?」
「…え、」
「申公豹が言ってた。心花が薄い紫をまとう桃色になれば、恋をしている証拠なんだって。」
「!」

 誰なんだろうねぇ?太公望なの?本当に?どことなく意地の悪い様子で黒点虎が見詰めてくるのを気づまりに感じて、ふいと視線をそらす。答えなくてもこれは知っている気がした。

「そんな事は、」
「とぼけなくてもいいよ。心情は花を見ればわかっちゃうんだからさ。でも、普通相手までは分からない。でも僕は、その相手を知っている気がする。言いたくないなら言わなくてもいいけど、随分君もモノ好きだなって思うよ。」
「…お見通しですか。」
「君の態度がおかしくなった頃に何があったかを照らし合わせれば、何となくね。」
「そうですか…」
「このままでいいの?誤解したままになっちゃうよ?」
「―そもそも、人間風情でどうにかなる相手ではないですから。」
「でも、感情はどうにも出来ない。君はそんな顔をしていたよ。」
「あはは、凄いですね黒点虎さん。ええ、そんな感じです。」
「じゃあどうして?」
「道士と仙人の違いなんて分からないけど、人間を超越しているからそういう称号を貰うのでしょう?私は人間だから…欲に振り回されます。そしてそれは、きっとあの方には届きません。分かっているから、砕ける位なら今は想うだけでいい。というか怖いんです。傍に居られなくなるのが。」
「実際言ってみないと分からなくても?」
「分かってはいるんです―でも、もう少し考えさせて欲しいです。」
「臆病だね。」
「ええ、全く。」


 呆れたように髭を震わせる黒点虎につられて笑う。相手の最も身近にある存在に想いがばれている。それがどこか、気持を軽くしてくれた。きっと、知ってはいても軽はずみに感情をばらす心配のない相手だからかもしれない。

「でも、正直こんな気持を抱えたままであの部屋はきついですね。まだ、私の観察は続くのでしょうか?」
「多分ね。彼は一度興味を持ったものは知りつくすまで離さないから。」
「黒点虎さんの事もなのですか?」
「まぁ、そうと言えばそうかなあ。長い付き合いだし、僕と彼はパートナーだから。ま、君がいつまでか分からないけど、今の状況を逆手に取ろうとか思わないの?」
「キャラじゃないですしね。」
「そんな君に1つアドバイスをあげる。彼は美学に反する事は大嫌いだ。特に、うじうじしている人間と甘えん坊は。」
「えぇ…」

 じゃあ、頑張って。言うだけ言って、巨大な虎はのっそりと起き上がり、王宮の一室へと戻っていった。

「うじうじと甘えん坊…」

 やばい。全部自分の事だわ。何とか隠さなきゃ。
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