金色の鳥と白いムカデ

□甘く光る
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 目覚めた時、最初に飛び込んできたのは、無防備な表情をさらして寝息をたてるカネキの姿だった。薄らと差しこむ朝日の中で、彼の真白い肌と髪とがまばゆい光を放ち、まるで地上に降りたった天使のようだ。いつもは怜悧な瞳や厳しげな眉間もあどけなくゆるみ、年相応の雰囲気を彼に与えている。反して、しっかりと筋肉の付いた胸板や首筋のラインが芸術的に美しくて、ついため息が出てしまう。こんな美しい生き物が、昨夜自分を抱いたのだ。そしてこんな自分によって、理性を崩される程の快楽にその身を焦がした―。
ぼんやりとそんな事を思えば、最中の彼の吐息や赤く染まった目じり、流し目。自分を刺し貫いて動く身の熱さと力強さがよみがえり、鳥肌が立つ位の羞恥と歓喜に心身が震えた。思わず手を伸ばしてその頬に触れる。指先で何度か撫で、次いで、柔らかな髪の感触に目を細め。寝起き特有の、陶酔にも似た気だるい心地よさの中で、彼が目を覚まさないのを良い事に思う存分触れていると、不意に彼の口から呼吸以外の音が聞こえた。

「眠ってる俺で遊ぶの楽しい?」
「ひょえ?!」

ぎくりと体を揺らせば、ぱっちりと見開いたアッシュグレイの瞳とぶつかった。透明で深い、綺麗な瞳。魂の底まで見透かされそうな、凪いだ瞳。固まった状態でそれに魅入られていたコノハは、彼がすっと顔を寄せて口付けてきた事に、唇が触れてから気付いた。何度か軽く触れあい、ついばんで離れて行く。柔らかさと温かさが身の緊張を解いた。自然と笑みがこぼれる。

「見つかっちゃいました。」
「…別にいいけど。それよりも、体は大丈夫?」
「………たぶん。」
「ごめん。手加減出来なかった。」
「えっ!?や、別にそんな、」
「君の中があんまり居心地良くて、つい貪っちゃったし。」
「む…っ!?」
「乱れてる時の君って、結構大胆なんだ。初めて知った。」

少しおかしそうに笑いながら言われ、頭が沸騰する。必死すぎて良く覚えていないのが怖い。何をやらかした自分。

「だ、大胆って…」
「秘密」
「カネキさん!」

声を上げて詰め寄った瞬間、強い力で胸元に引き寄せられた。頭上から怒ったような声がする。

「昨日は、名前だった。」
「へ?」
「昨日は、呼んだんだけど。名前」
「―っ!あれは、」
「“ササラ”、」
「―っあ…」

軽く頭を抱き込まれ、耳元で拗ねたように名を呼ばれる事が、こんなに心かき乱すなんて知らなかった。

「呼んで」
「…む、無理です…。今それをしたら、心臓壊れます。」
「…言わないなら言わすよ?」
「言わすって、カネキさん?」
「またそう呼ぶ。―要するにさ、君は乱れれば呼べるわけだ。俺の名前を。」

打って変わって不機嫌丸だしの声に、別の意味で心臓が跳ねる。怖い、怖いですって。しかも雲行きはどんどん怪しさを増すばかりだ。朝のあのまどろんだ空気はどこへやら、彼の手が掛け布の下で不穏な動きを見せるから。

「ひっ!ちょ、どこ触って、」
「君の口からまた聞きたいから、言えるようにしてあげるね。」
「ぁっ!ちょ、やめて下さ、」
「止めるわけないだろ。」
「あ…っ!」

いつの間にかマウントポジションを取られていた彼女は、彼から与えられる熱に為すすべなく翻弄され、結局言い慣れるまで名前を「呼ばされる」羽目になった。お蔭でその後は、二人だけの時は必ず互いの下の名を呼ぶ、という新習慣が確立する。それは図らずもコノハにとって、求めていた恋人らしい行為の数々の引き金となるものだった。

(二人だけが分かる仕草みたいなのが、増えた。)

 下の構成員に指示を淡々と下す彼を脇からじっと見つめている今もそうだった。震えが来るくらい冷たい空気を周囲に振りまく彼は、だが、ほんの一瞬こちらと視線がかちあう度、目元だけを緩ませて小さく笑う。その度、こちらの心臓も跳ねる。後で分かった事だが、共寝した翌朝は互いの香りが色濃く残るものらしい。先の囮事件により、他の構成員達にもコノハの性別が割れてしまったが、何故か懸念していたような「危険な」事は起こらなかった。それはひとえに、彼女からカネキの香りが濃く漂っていたからで、要するに「彼の女」として暗黙の了解を得たという事らしい。相手があの「眼帯の喰種」では、余程の相手でない限りちょっかいを出そうとは思わないと、面白そうにエトが言っていた。知らず彼の庇護下に置かれている自分がいた。

 他にも色々な事が変わった。呼びかける声や触れる仕草の甘さだとか、自然とコノハを守る様に歩きながら背に回される腕とか、他の幹部陣と言葉を交わす度にされる不機嫌そうな表情とか。何より、戦闘場面で自分を背後に戦う際の迫力が、変わった。今思い出しても赤面してしまう一言を、あんな状況で言われたらひとたまりもない、というエピソードもある。

 それは、体を重ねてすぐのある日の任務だった。彼女が駆り出される事が多くなっていた事もあり、その分カネキが動く回数も増え、連日連夜の戦闘に彼が心身共に疲弊していないか不安になっていた時のこと。コノハの目前で敵をあっという間もなく片づけた彼に、どうか無理をしないで欲しいと言った事があった。自分も少しずつ役に立つ事が出来てきているのだから、毎回共に参戦せずとも、自分の仕事を優先して欲しいと。その時は意外そうに彼の瞳が見開かれ、更には不思議そうに首を傾げられた。そして、コノハの眼を覗き込んで言い聞かせるように、言った。

『君がいない場所に居る理由がない。』

君を守る事が、今の自分を構成する全てだと。やや依存気味に感じられるかもしれないが、何故むき出しの心臓を、自分がそれを失ったら生きていけないような大切な物を、わざわざ危険にさらす必要がある?守るなら自分の手で。人手に預ける必要も、そのつもりもない。逆に、その存在が無ければ戦う理由が既にないのだと。どこの何より、誰より大事な存在が在る場所なら、大義名分をかなぐり捨ててそこで力を尽くしたい。そう思えるのは、思わせられるのは―、

(ここに私がいるから、って)

『らしくない台詞を吐いてる自覚はあるよ』

血濡れた姿で自嘲気味に笑って、彼は、それでも、と彼女を見つめた。

『そう思うんだから、仕方ない』

一番良いのは、そういう場所から遠ざける事だが、君はそれで納得しないだろう。そして今更自分も、君を腕の長さより遠くへやろうとは思わない。仮にこうした自分の考えを気に病むと言うなら、守られる代価として、自分に「居場所」を与えて欲しい。帰る場所を。安らげる場所を。時に、与えあう事を。これから先も共にある未来をこの目で見るという、生きる希望を持つ事を。

 赫眼から徐々に平常に戻る瞳で見つめられながら、一つ一つ、丁寧に紡がれる言葉が余りにも意外過ぎて、そして同時に酷くくすぐったくて、切なくて、嬉しすぎて。彼の胸に飛び込んで顔を見られない様にするしか手がなかった。大変予想外な事に、皮肉屋かと思えば酷く繊細で愛情深く、不安定かと思えばかなりどっしり構える所があり、知れば知るほど掴みどころがない。強いのに脆い。無邪気なのに色っぽい。意地悪で優しい。臆病な面と大胆すぎて困る面がある。器用で、不器用。優秀なのに、愚かしい。暗いのに、光を求めてもがく。

見つめる度、見つける度、彼から放たれる様々な反応に戸惑いつつ、惹かれて行く。求められる度、自分も欲しくなっていく。だって、どれを取っても彼から与えられるものは全て、甘美な光を放っているのだ。蜜に吸い寄せられる蝶や、水辺に寄る蛍にも似た心境で、自分は捕えられていく。―毒を食らわば、皿まで。彼に関してはもう皿どころか箸と箸置きに湯のみまで食べてしまう自信がある…と、どこかずれた回路で、回想しつつ彼女は思う。自分だって、彼の居ない場所に居る必要はないのだ。よく考えれば、自分が彼を安全な場所に導けば良いだけではないだろうか。2人でどこか別の場所で、ひっそりと生きる事が出来たら。天啓の如くそう感じたコノハは、そのまま足をエトの部屋へと向けた。

そうしてその後、彼女の姿を見た者はなかったのである。

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