短編

□雪の消える朝に
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その出会いは、彼が生前に悪事を働いた亡者共を地獄に送り届けた後の事だった。

雪が積もり始めた初冬の山。

その遥か上空を、炎を身に纏った青年が柔らかく降る雪を溶かしながら飛び進んで行く。

緋色の着物を纏い、長い髪は炎のように風に揺られながらなびいて。

瞳も、伸ばされた爪も全てが赤く、肌だけは日に焼けたかのような褐色だった。

悪行を好んだ魂を地獄へと送る火車の一族、緋翼。

いつもは寄り道などせずに帰る緋翼だが、初雪が降り始めた事を知り、気まぐれに山へと飛び来たのだ。

しかし炎を纏う彼は、雪山に降りることは許されない。炎の熱さに雪が溶けてしまうからだ。

よく耳にする雪の冷たさに恋しさに似た思いを抱きながら、緋翼は眼下に広がる積もり続ける雪の白さに魅入った。

時に命すら奪う雪ではあるが、美しいと素直に思う。

火車の一族には触れられぬ白に、いつか触れられるのだろうか。そんな夢のような思いに囚われながら果てしなく続くかのような山を見回した緋翼は、ふいに聞こえてきた幼い悲鳴に顔を上げた。

「――…子供か?」

同時に聞こえてきた、男達の罵声。

少し雪山に近付いて目を凝らせば、まだ完全に雪に被われていない木々の間に数人の人影を見つけ、そこに目を懲らした。

山を進むのは人間の男達で、いずれも防寒衣を纏い、物騒な農具を構えながら何かを追っている。

鹿か、ウサギか。

冬の食料調達だろうかと空から獲物を探した緋翼は、見つけた血濡れの幼児に目を疑った。

白い着物を真っ赤に染めて、山奥へと逃げる幼い娘。

年頃はまだ五つにも満たないほどの。

男達はいずれも、逃げるその娘を鬼気迫る様子で追い回している。

「愚かな!」

しかし緋翼もすぐに気付いた。

その幼児が人ではないことを。

雪山に生きる聖霊だ。

人共からは妖怪‘雪女’と呼ばれる、冬の守り神。

雪山を守る彼女を殺せば、この山の生命達は厳しい冬を生き延びることは出来ないというのに。

緋翼は小さく舌打ちをすると男達の真上へと一気に飛び、両の手を一番娘に近い男に向けた。

男の持った鋭い農具が娘を貫くよりわずかに早く、緋翼の放った炎が男を包んだ。

炎が男を焼いたのは一瞬で、すぐに消えてしまう。焼かれた男はその出来事に呆然と自身の体をぐるりと確認し、やがて天空の緋翼に気付いた。

「去れ、人間よ」

炎は威嚇だ。だがまだ冬の娘を狙うなら今度こそ地獄に連れて行く。

多くは語らずとも、緋翼のその存在とわずかの言葉だけで男達は腰を抜かし、喉を絞るような悲鳴を上げた。

そして手にしていた農具を捨てて我先にと山を下りていく。

耳を疑うほどの悲鳴がしばし続き、少ししてからようやく元の静寂が辺りを包み込んだ。

あの程度の炎なら何ら影響は無いはずだと庇った冬の娘を探せば雪の上に出来た血の軌跡に気付き、緋翼はその後を追って娘を探す。

遠くにはいないはずだと目を凝らせば、白い肌と髪も血に濡れ、苦しそうに腹を押さえて木の隣に座り込んでいる所を見つける。

「大丈――」

「――それいじょうは…」

腹を貫かれたらしく苦痛に身を震わせる娘に近付こうとするが、言葉を止められて。

「かしゃさま…たすけていただいて、かんしゃしております…ですが、どうかそれいじょうは…」

幼い口調で必死に願う姿に、自分が炎を纏った火車であることを思い出した。

近づけば、雪の子は溶けて消える。

「…誰か呼んでこよう。そのままでは貴女の命が危ない」

「ごしんぱいにはおよびません…わたしはうまれたばかり…ゆきがもっとやまをつつめば、わたしのちからももどります」

離れた場所で顔を上げて、苦しげながらも笑顔を向けられる。

その凛とした美しさに、緋翼は知らず魅入ってしまった。

「どうか、いまはこのばしょをはなれてください…うまれたばかりのわたしに、あなたさまのぬくもりは…」

弱々しい声に、緋翼は唇を噛む。

弱り切った聖霊を治す事が出来ないからだ。

「…では、雪が積もりきった頃に、また来てもいいだろうか?」

せめて、彼女から離れた空からでもいいから、無事を確認したくて。

緋翼の言葉に、また微笑みは返される。

灰色の空。吹雪の勢いは少しずつ増し始めていた。

 
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