エル・フェアリア2
□第93話
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第93話
「楼主、おはようございます」
まだ日の登らない早朝ではあるが、朝食支度に静かな忙しなさが見られる遊郭内で、支度の者達と共に準備に勤しんでいた楼主をテューラは呼んだ。
「ああ、お早う。どうしたんだ?手伝ってくれるのか?」
手を離してこちらに来てくれる楼主に、テューラは実は…と少し言いにくそうに辺りをちらりと見やる。
「…移動するか」
その様子にすぐさま気付いてくれて、場所を変えてくれて。
移動先はすぐ隣の小さな食料庫で、先に入った楼主が灯りを付けてくれる。
「それで、どうしたんだ?」
改めて問いかけられて、無言のまま手紙を渡した。
それは夜中にニコルから届いた手紙のうちの一枚だ。
マリオンの書いた手紙にはテューラがすでに返事を書いていたが、それとは別にニコルから質問が書かれていたのだ。
その内容は。
「…騎士団のユージーン様って、以前までマリオンの元に通っていた人ですよね?出禁の理由とかって…教えても大丈夫なんでしょうか」
マリオンを匿っている件で、ユージーンがモーティシアに近付いてきたという。
なのでユージーンとマリオンに何が起きたのか知りたいと書かれていたが、知りたがっているのはニコルではなくモーティシアなのだろう。
遊女と客の情報を部外者に話すことは御法度だが。
「…状況が状況だからな…仕方ない。伝えても構わないぞ。俺の方から王婆には話しておく」
「ありがとうございます。…でも何があったのかは、私も詳しくは知らないので…教えてもらっても?」
訊ねてみれば、楼主は「知らなかったのか」と少しだけ驚いてみせた。
遊女同士が客の話をすることはよくあったが、マリオンはユージーンのことに関してはあまり話したがらなかったのだ。
悪魔喰らいとして働いていたマリオンに、悪魔は何をして出禁となったのか。
「マリオンは借金を返し終えた後は悪魔喰らいを止めていただろう。今までの客達も、普通に遊ぶならマリオンを着かせると話していたんだがな…ユージーン様だけは約束を守らず、悪魔喰らいをやめたマリオンに悪魔を見せたんだ。…それだけじゃなく、今までで一番きついやつをな。自警団の者が違和感に気付いて助け出してくれたんだが…そのことがあったからユージーン様はうちでは出禁扱いになったんだよ」
当時を思い出して疲れた表情を見せる楼主に、テューラもここにはいないユージーンへと眉を顰めてしまった。
テューラがマリオンから聞いたユージーンは、悪魔喰らいとしてこの店で働くことになった当時の初めての客だったというくらいだ。
騙された親の多額の借金を返済する為に選んだ悪魔喰らいの仕事。
遊郭の世界に産まれた娘でさえ嫌がることの多い悪魔喰らいに、マリオンは処女を与えたのだ。
その金額は莫大だったと聞いている。
「十年ほど前に一度、遊女を殺しかけた客への制裁として遊郭が門を閉めたことがあるらしいんだがな…その客っていうのが、ユージーン様なんだ」
「え、あの酷い事件の?」
十年前はまだテューラ達は王都に移る前だったが、遊郭が門を閉じるほどの事件だった為に話には聞いていた。
聞くのもおぞましい事件。
遊郭側が門を閉じた理由を「王城騎士団員」と世間に公表した為に、当時は騎士達へのバッシングが凄まじかったと聞く。
「…そんな人をよくマリオンに当てがいましたね…」
「俺含めて全員が反対したさ…だがかなりの金を積まれて、マリオンが了承したんだ。最初の日は他区画の自警団だけじゃなく、中央警備隊まで来てくれたよ」
自警団は遊郭を区画分けした中で遊郭を守っており、基本的には自分が所属する区画の自警団が中心となって見回ってくれている。それが他区画だけでなく、遊郭全体を守る中央警備隊まで出て来てくれたとするなら、本当にユージーンは遊郭内で危険人物と見なされているのだろう。
「じゃあ、出禁になった時にマリオンを助けてくれた自警団も、万が一を想定してたってこと?」
「ああ。ユージーン様は遊郭に入った時点で見張りが付くから、俺の元にすぐ伝えに来てくれてな。そのあと腕の立つ者には来てもらっていたんだ。…なんせ相手は騎士様だからな…本気を出されたら俺達じゃどうすることも出来ない」
楼主の言葉に、テューラも背筋をゾッと震わせた。
ニコルが魔力で巨大な鷹を生み出しのは目の前で見ている。
あんな特別な力を持つ者に本気を出されてしまったら、誰にも何も出来ないことは目に見えている。