エル・フェアリア2
□第88話
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ダニエルの口調に苛立ったのか、眉間に皺を寄せて睨みつけてくる。
その眉間に一瞬にして刃が突き立てられた。
僅かに遅れて風を斬る音。
ふわり、と。
ウインドの髪もバンダナと共に揺れた。
驚くルードヴィッヒとウインドは同じように目を見開き、刃が突き立てられたと思ってしまったものは、凄まじい速さで眉間を狙ったダニエルの蹴りの踵だと理解する。
早すぎる。
訓練場内にいた者たち全員が、ダニエルの実力に言葉を無くした。
「ぼんくらのただの蹴りだから、身を守る必要も無かったのか?」
何をされたかもわからず、身動きすらとれない僅かの間の出来事を、ダニエルは侮辱で返す。
「今のは見えたか?ルードヴィッヒ」
「え……あ、いえ…」
話しかけられて、思考が混乱する。見えたといえば見えていたのだろう。
だがどう動いたかの正確な説明など不可能で。
ダニエルはいつだってコウェルズ相手に剣術指南をしていた。だから彼の武術の腕前など知らなかった。
ルードヴィッヒの目に映ったダニエルの動きは、ジャックそのもののように見えた。
「簡単な話だ。一切の無駄を省いた。…だが無駄ばかりのお前達にはこの単純な動きも難しいだろうな」
綺麗に上がっていた脚を下ろすダニエルに、ウインドは二歩分ほど離れた。
「…てめぇ……」
「教えを請うなら君の出場する武術試合に合わせて見てやろう。今この場所にいる君は、ただの未熟な戦士の一人だ」
爽やかな笑顔は口元だけだ。
「“君達”に優しくできるほど、私も人間が出来てはいないぞ。口を割る覚悟があるならかかってきなさい」
君達が誰を指すのか。わかったからこそ、ルードヴィッヒもダニエルの背中を見守りながら息を呑んだ。
「死なない、傷も付かないなら、何でも出来るからな」
吐息混じりの微かな声は、ルードヴィッヒとウインドにしか聞こえなかっただろう。
「チッ…」
離れたのは、ウインドからだった。
苛立った様子で背中を向けて去っていくウインドを見守ってから、ルードヴィッヒも慌ててダニエルの隣に寄って。
「…あれじゃただのイキリだな」
「よかったのですか?捕らえなくて」
「ここでか?」
訊ねて、場所的に無理だと気付かされて悔しくなる。
「…どうしてここに……」
「さあな。冷やかしに来たのか…向こうも何かしら鬱憤が溜まっているのか」
「ですがダニエル殿目当てだったではありませんか。もしかしたらまた来るかも」
「そうなってくれると有難い話だ。こちらは彼に聞きたいことが山ほどあるんだからな」
突然の出現。だが年齢分の余裕なのか、ダニエルの方が何枚も上手だった。
ルードヴィッヒだったら、きっと喧嘩に発展している。
「…技を磨いて力をつければいい。身も心も強くなればなるほど、視野は広がる」
ルードヴィッヒの感情を悟ったのか、ダニエルの言葉は頼もしく、優しかった。
「それにしても一人で来るとは…本当に何かあったのかも知れないな。まぁ、挑発に乗らない辺り頭が悪いわけではなさそうだな」
誰かと違って、と続く言葉が聞こえそうだった。
そしてそれは、正解だ。
「…私が彼の立場だったら、ダニエル殿に反撃していたかもしれません」
素直に認めて、大声で笑われた。
笑われるままにするのは癪に触るが、言い返せるほどの実力もなくて。
「お前の場合はそもそも彼のように挑発なんてしてこないだろう。根本が違う種類だ」
バシバシと強く肩を叩かれて、でもまぁ、と言葉はまだ続いた。
「あれは手合わせすると厄介なタイプだろうな。反則技も余裕で使ってくる。だが怒り狂っていたとしても、戦いの中で冷静さを取り戻すタイプだ」
「……そこまでわかるのですか?」
「いや、勘だ」
はっきりと宣言しておきながら勘だとは。
ややあきれ顔になった表情を見られて、また笑われてしまった。
「勘は大事だぞ。経験から察するものだからな。彼は相当場数を踏んでいるんだろう。だから離れた」
「それは…ダニエル殿に勝てないとわかったからですか?」
「いや、違うな。恐らくだが…互いに簡単な怪我では済まないと察したんだ。もし彼が挑発に乗っていたら、互いに相当な傷を負っていたかもしれないな。向こうの傷がすぐに治るなら、俺の方が不利だ」
「そんな…ダニエル殿が負けるなんて思えません」
「誰が負けると言った?それに勝ち負けじゃないんだよ。大会が始まる前にそんな騒動を起こすことを彼は冷静な頭で理解して止めたんだ。…この大会、向こう側も何かしらの思惑があるのかもしれないな」
ウインドの去っていった方向に目を向けながら、ダニエルは彼を高く評価する。
それが少し気に入らなくて。
「…ダニエル殿、訓練の続きを…」
「そうだな。悪かった悪かった」
またルードヴィッヒの胸の内を理解されて、今度こそブスっと頬をむくれさせた。
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