エル・フェアリア2
□第76話
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「…どうしてなのでしょう?」
「……原因を突き止めないといけませんね」
表情の読めない微笑みを口元だけに浮かべながら、コウェルズは本をテーブルに置く。
焦るように握り締められた拳は、彼が自分の婚約者を大切に思うが故なのだろう。
サリア王女は健康だ。
イリュエノッド国と繋がる為の政略結婚に、最初に選ばれていた病弱な第一王女との婚約を破棄してでも選んだほどに。
「……アリアの治癒魔術は怪我に特化したものらしくて、病気の治療には不向きらしい」
不意に溢れるように呟かれた言葉は、従者の仮面を完全に落とした王子の声だった。
どれほど彼女を愛しているかわかるほど。そしてどれほど亡くすことを恐れているかわかるほど。
コウェルズの虚しそうな様子に、ジュエルは先ほどとは違う胸の痛みを感じた。
もしかしたら自分を癒してくれた美しい治癒魔術師なら病気も癒してくれるかもしれないが、彼女はラムタルの治癒魔術師だ。
エル・フェアリアには現存たった一人だけ。
「…治癒魔術師を目指したいです」
考えるより先に、言葉はこぼれた。
姿勢はぴんと正したまま、まっすぐコウェルズを見つめたまま。
コウェルズもジュエルを見つめる。
驚いたように目を見開いて、真意を測るように口を閉ざして。
静寂。
そのすぐ後に、コウェルズが右腕をふわりと上げた。
その瞬間に金色の魔法陣が開き、二人だけの部屋に一瞬で広がって壁にぶつかり溶けた。
溶けきらなかった魔力がキラキラと淡く瞬きながら、ゆっくりと床に落ちて消えていく。
「……自分が何を言ったのかわかっているのかい?」
ようやく口を開いたコウェルズの背後に、エル・フェアリアの全てがのしかかっているように見えた。
訂正するなら今のうちだと、心の声が聞こえそうなほどに。
ジュエルがするりと滑らせたように口走った言葉は、あまりにも重要な事案なのだから。
もしただの貴族の娘が憧れだけを胸に抱いて口にしたなら、誰も相手にしなかっただろう。
しかしジュエルは、上質な魔力を持って生まれた上位貴族のまだ若い娘なのだ。
治癒魔術師となる為の最低10年という修行期間も、現在12歳のジュエルなら若くして会得できる可能性を存分に秘めている。
コウェルズが発動した魔法陣は、他の者達に会話の内容が漏れないようにする為の魔術のはずだ。
特殊な力を使って会話を秘匿するほどのことをジュエルは口にしてしまった。
「…もう少し、しっかりと考えてからまた聞かせてくれるかい?」
「いえ。目指したいです」
考える猶予を与えてくれようとする優しさを蹴って、自分とは思えないほど意思強い口調で言い切ってしまった。
今までの自分自身ならばありえない言葉。
いつだってジュエルの言葉は“誰かから聞いた事実”だった。
兄がそう言ったから、姉がそう言ったから、友がそう言ったから。
自分の未来すら、誰かに「こうだ」と言われると素直に信じてしまっていた。自分で考えることを、あまりしてこなかった。
次第に胸がドクドクと強く響き始めた。
両手がわずかに震える。
冷えた緊張が全身に襲い掛かろうとする。
「…治癒魔術師になりたいと思ったのはいつから?」
否定的な口調で質問されて、グッと言葉に詰まった。
「…今です」
素直な返答。
たった今、まるで思いつきかのような。
「治癒魔術師になる為の修行は、そんな軽はずみな思いつきで出来るものではないよ」
「…浅はかに聞こえるのはわかっていますわ!…でも…」
そこで言葉は止まった。
コウェルズを説得する為の言葉が出てこないのだ。
どれほど頭を回転させようとしても、なぜか真っ白のまま。
自分が今までどれほど他人の言葉を借りてきたかを痛感する。
悔しくて頬から表情が硬く強張っていくのがわかる。同時に涙が滲んだ。
「……本気です」
ギリギリ音を保つ程度のかすれた声でそう伝えることが精一杯だった。
たしかに昨日まで治癒魔術師を目指そうなど考えなかった。
でも今は、焦がれるほどの思いがある。
圧倒的な治癒魔術を見せつけられて、憧れることは浅ましいことなのか。
「今は本当に本気だとして、それが一過性ではないと言い切れるかい?治癒魔術師獲得は国の悲願だ。修行を始めた後でもう嫌だとは逃げられないんだよ」
「絶対に逃げません!」
そんな簡単な言葉しか口にできない状況で、どこまで説得できるのかわからないが、諦めたくはなかった。