エル・フェアリア2
□第73話
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第73話
腕にあった少女の重みがいまだに染み付いて離れない。
不可解な感覚を消し去る為に早歩きになるウインドの後ろで、ルクレスティードが「待って!」と駆け足となった。
それは数十分前だったろうか。ファントムに呼び出されて王家の庭園に向かってみれば、見知らぬ少女がファントムに抱きかかえられていた。
そばには不安げに眉をひそめるガイアがいて、ルクレスティードはファントムの隣で見知らぬ少女を起こそうと軽く揺さぶっていて。
「…なんだよ、そのガキ」
ミュズより幼そうな、清らかな藍色の髪の少女。
ひと目見て驚いたのは、ファントムが大切そうに抱きかかえていたからだ。
妻であるはずのガイアですら横暴に扱う身勝手なこの男が、まだ幼い少女とはいえ他人を思いやるなど。
ガイアの視線も、少女を心配するというよりもファントムの行動を訝しむものだった。
「この娘をエル・フェアリアの者達のいる部屋に届けてやれ」
「は?」
呼ばれた理由が見知らぬ少女だろうとは思ったが、何を言い出すのだ。
「そいつエル・フェアリアの奴かよ。じゃあ唯一の向こうの侍女か。そんなもんラムタルの侍女にでも任せりゃいいだろ」
ただでさえエル・フェアリアに喧嘩を売っている状況だというのに何を言い出すのだと鼻で笑うが、ファントムから返される冷たい視線に命令は本気なのだと気付く。
エル・フェアリアの者達から身を隠しているわけではないが、堂々と目の前に現れても構わないと言えるほどの命令など、素直に聞き入れられるわけがない。
「…その辺にでも転がしてりゃいいだろ。わざわざ届けなくてもよ」
まさか少女の身の危険を案じているとでもいうつもりなのか。それにしたってラムタルの侍女に任せればいいだけのものを、なぜわざわざウインドが届けなければならないのだ。
「それか、自分で送ってやれよ。そんなに大事そうに抱えるならよ」
その言葉には、ファントムでなくガイアが視線を落とすという形で反応を見せてくる。
まさかこんな小さな少女に嫉妬でもしているのかと思ったが、ガイアの唇は悲しげに閉じられたままだ。
ガイアからファントムへと視線を戻せば、ファントムは静かに少女を見つめていて。
「…なんだよ、知り合いかよ」
あまりにも普段のファントムからかけ離れた様子に、眉間のしわが深くなる。
「まさかそいつがあんたの最後の子供とか?」
鼻で笑いながら、蔑むように訊ねてみる。
ファントムにはルクレスティード、ニコル、リーンのほかにあと一人いると聞いていたから。
返答などもちろん無いだろう。そう思っていた矢先に口を開いたのはルクレスティードだった。
「…カトレアって誰?」
花の名前を口にして、それが人の名前であると問いかけの中に表して。
少女のドレスの裾を少しだけつまみながら首を傾げるルクレスティードは、なぜかウインドに問いかけるような様子を見せた。
そんなもの知るわけがない。
「カトレア?そいつの名前じゃないのかよ」
「違うよ。この子はジュエルだよ」
「…何だそりゃ?」
突然知らない名前を出したかと思えば。
「お父様、カトレアって誰?どうしてこの子にそう言ったの?」
今度はファントムに視線をしっかり向けて問いかけるルクレスティードに返されたその表情は、どこか苦しげに見えた。
ファントムがこれほど人間味を見せるのも珍しい。
そして。
「…カトレアは…彼女の魂の名前だ」
大切なものを本当に大切に扱うように、ファントムの言葉に慈しみが混ざる。
彼女とはファントムが抱く少女のことでいいのだろう。だが、魂とはどういう意味だ。
「…私から離れた魂が生まれ変わってお前達となったように…彼女も…」
苦痛の表情を浮かべて、それだけでなく。
「ロード!?」
ウインド達の目の前で、ファントムが少女の額に口付けを落としたのだ。
一番驚いただろうガイアがファントムの名を呼んでも、ファントムは少女だけに視線を注ぎ続ける。
それは数秒続き。
「…エル・フェアリアの者達の元へ届けろ。それだけでいい」
かすれた小さな声で再び命じられて、今度は呆気にとられたままファントムから少女を託されて。
カトレア、と聞いた。それはたしか、今は名前として禁句となるほどの罪人の名のはずだ。
ロスト・ロード第一王子を暗殺した罪で処刑された、極悪非道の継母。そうエル・フェアリアの歴史で伝えられている女。
「おい待てよ!!」
生まれ変わりというものがあることをウインドは身をもって理解している。とするなら、彼女はカトレア王妃の生まれ変わりだというのか。
それならなぜ恨まない。なぜ慈しむ。