エル・フェアリア2
□第65話
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第65話
悪夢の世界から抜け出せないまま時間ばかりが過ぎていく。身体はどろりと溶けたように力が入らなくて、足を動かしている感覚さえなかった。
でも自分は廊下を進んでいる。
いつもは側にいるはずの護衛も付けずに、音も気配もさせずにさまよう。
あの人に会う為に。
エルザを愛しているはずの人は、何かに取り憑かれてしまったかのようにエルザに別れを告げてしまった。
それが本心などでないとわかっている。
だってニコルがそんなこと言うはずがないから。
愛し合っているのだから。
夜の城内を、彼を探して幽鬼のように進んでいく。
いったいどこにいるのだろう?
ずっとエルザの傍にいてくれるはずのニコルは。
今はただアリアに貸しているだけなのだから。
ほんのわずかの間だけ。妹であるアリアの安全を手に入れるまでの間だけ。
ああ…でも。
−−やっぱりニコル様、格好良いよね
どこからか聞こえてきた言葉に神経が集中する
声は下の階から。恐らくは侍女達が生活する区画からだろう。
足元に目をやって、意識をそこだけに集中させて。
−−でもガブリエル様と恋仲だったのでしょう?
床に飲み込まれながら進んでいけば、不穏な言葉に怒りが湧き上がった。
−−それが、どうも恋仲ではなかったみたいよ。ガブリエル様が一方的に思ってただけみたい。それでこっぴどくふられたんだって
−−そうなの?
−−そう聞いたわよ。でもそう聞けば納得だわ。ニコル様がガブリエル様を選ぶなんて思えないもの。あんな性格の悪い人を選ぶとしたら、相当お金に困っているか藍都の地位目当てでしょ?その点ニコル様は平民出とはいえ王族付きに任命された騎士だからお金は持ってるし、あの妹は治癒魔術師なんだから地位も確立されたも同然。お父様達に反対されて諦めようと思ってたけど、やっぱり狙っていくわ
どこかの部屋に到着してみれば、まだうら若い侍女二人がヒソヒソと話しを続けていて。
−−でもどうやって近付くおつもり?今は治癒魔術師の護衛で駆け回っているのでしょう?エルザ様付きだった頃は王城程度だったかもしれないけど…
−−それが、ファントムの件でニコル様だけ別任務を与えられて、今はあの妹から離れて宝物庫に缶詰めらしいの。時間を見繕えば充分に可能性があるわ!きっとお疲れでしょうし、色々と癒してあげないとね。今日も宝物庫にいるはずだし
わざとらしく下品に胸元を強調してみせる侍女に、もう一人の侍女もクスクスと微笑んでいる。
こんな女にニコルがなびくはずがないとわかっていても、不愉快でたまらなかった。
−−あなた、それで新調した下着に着替えてましたの?てっきり今から仕事なのだと思ってましたわ
−−仕事だったんだけど下位の子に代わってもらったわ。外周第一棟の夜の食堂なんて滅多に王族付きに会えないもの。働くだけ無駄よ。あーあ。せめて内周棟付きになれてたらなぁ
−−ほんと。今の侍女長に代わってから人選が下手になりましたわよね。中位の中でも上の位の私達が未だに外周勤めなのですから
ペラペラと不平不満をこぼしながら懸命に薄い胸を盛っていく侍女を網膜に焼き付けて、エルザは拳を強く握りしめた。
はだけた侍女の制服。胸元にうっすらと完成した谷間にわざと見えるように工夫した下着。
そんな浅ましい姿でニコルを籠絡しようというのか。
小狡い女。ニコルの心が傾ぐはずもないのはわかっているが、行動に移そうとしているだけで許せなかった。
−−よし!出来たわ!
−−報告待ってますわね
−−任せて。絶対に良いところまで行ってみせるから
それ以上は聞いていられなかった。
だから。
−−きゃあ!?
−−なに!?
怒りを爆発させる。
国の宝であるエルザの目の前でニコルを籠絡しようとした罰を。
侍女達の部屋に暴風が荒れ狂い、部屋中の物が投げ出される。
侍女達の悲鳴は最高潮に達し、異変を聞きつけて外にいた別の侍女が二人の部屋の扉を開けた−−
「−−エルザ様!!起きてくださいませ!!」
突然の衝撃に目を覚ませば、見知った顔が不安に歪みながらエルザの身体を揺らしていた。
「……ビ、アンカ?」
眠っていたせいでかすれた声で呼ぶ名は信頼できる侍女長のビアンカで、彼女の後ろには護衛部隊長のイストワールの姿もあった。
「…どうしてここに?」
夢うつつの区別が付かずに問えば、エルザの目覚めに安堵しながらビアンカが少し離れた。
「うなされている声が聞こえましたので、失礼とは知りながら入室させていただきました」
ご無礼をお許しください、と頭を下げるビアンカにエルザは微かに首を傾げて。