エル・フェアリア2
□第51話
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書物庫を出て露台を進めば、しっとりと湿った冷たい風が頬を撫でた。
「…また雨かな?」
「いや、明け方に少し降ってたからそのせいだろ」
ここ数日は雨の降る時間が増えている。
それが終わればエル・フェアリア王都は本格的な冬に入るだろう。
ニコルにとっては、毎年思い詰めていた冬が。
ニコルの故郷の村はエル・フェアリアで最も寒冷な場所で、毎年のように冬を越せずに死者が出るのだ。
去年まではそこにアリアがいた。
寒い土地で、家族もなくたった一人で。
だが今年からは違う。
アリアはニコルの側に、王城にいるのだから。
開けた書物庫の扉を閉めながら、盗み見るようにアリアを一瞬だけ窺う。
かち合いそうになった目はすぐに俯いて逸らし、未だに空を見上げているレイトルに視線を移した。
「曇ってるし、降りそうな気がするんだけどね?」
「…あの雲なら雨は降らないさ」
「君が言うなら降らないか」
ニコルの天気の勘はよく当たる。それを知っているからレイトルはようやく空を見上げることを止めて、代わりに書物庫内に目を移した。
「…君が負傷したって聞いて、アリアがすごく心配していたよ。今なら自然に仲直り出来るんじゃないかな?」
勉強に集中するアリアを眺めてから、励ますようにニコルの肩を叩いてくれてるが。
「…今は会えない」
今日はコウェルズからの命令があったから仕方なくアリアの前にも顔を見せたが、今のニコルにはアリアに顔向け出来ない理由があるのだ。
アリアを妹でなく女として見ている間は。
「…コウェルズ様命令の話って何?」
ニコルの本音はわからないだろうが、思い詰める様子に気付き本題に入ってくれる。
それは昨日、ニコルがコウェルズから命じられた簡単な疑問だった。
「…リステイル・ミシュタトを知っているか?」
物事の核心部には触れぬまま、44年前のロスト・ロード王子付きだった騎士の名を出す。
リステイル・ミシュタト。だが知りたいのは彼のことではなく、彼が組んでいた騎士のナイナーダ・ガイストのことだ。
「…ミシュタト家の人間かい?すまないが、リステイルという名前に心当たりはないよ」
「暗殺されたロスト・ロード王子の王族付きだった騎士なんだが」
「…王族付き?」
何か引っかかるものを思い出したのか、首をかしげながらもレイトルは強い口調になった。そして。
「…名前は知らないが、ロスト・ロード王子付きだった騎士の話は聞いたことがあるよ」
「なら連絡を取ってくれないか?話を訊きたいんだ」
ミシュタト家にナイナーダを知る人物がいる。その可能性にニコルは焦るように前のめりになったが、すぐにレイトルの申し訳なさそうな様子に言葉を飲んだ。
「…すまない。その騎士はロスト・ロード王子と一緒に殺されたって聞いているんだ」
だから話は出来ないよ、と。
「…そうか」
「ごめんね」
「いや…」
ビデンス・ハイドランジアから話を聞いた時、ロスト・ロードの騎士が二人、幽棲の間の扉の前で眠るように死んでいたと教えられた。
だがその死者はリステイルではなかったはずだが。
44年前の話だ。どこかでズレが生じたとしてもおかしくはないが。
「…じゃあ、ナイナーダ・ガイストのことは何か知らないか?リステイル・ミシュタトと組んでいた騎士なんだが」
「ガイスト家?」
「ああ」
ニコルと同じように眉をひそめていたレイトルの表情が、家名に反応してさらに困惑の色を灯した。
「何か知ってるか?」
知らないなど有り得ない態度。
わずかに固くなるニコルに包み隠さず答えてくれるかのように、レイトルは口を開いてくれた。
「…ガイスト家はミシュタトやオズ家とも親しいけど、今まで騎士団入りした人はいないはずだよ。大戦前は魔術師がいたらしいけど、あの家は基本的に医療に精通しているから、医師団にいたならわかるけど」
しかしそれはナイナーダ・ガイストの存在事態を否定するもので。
「そんなはずはない。クルーガー団…」
クルーガー団長からも確認を取った。
そう口にしたかったのに、矛盾に気付いて頭が思考を止めてしまう。
「…ニコル?」
レイトルの声がどこか遠くから響くようだった。