エル・フェアリア2
□第44話
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「記憶が戻ってもヤンチャさんなんて。根っからなのね」
夫人は何も気付かないと言うように言葉を続けるが、主人の視線はエレッテから外れなかった。
外れないまま。
「…なあ、エレッテ」
「…はい?」
恐る恐る見上げた先には、エレッテよりも思い詰めるような表情を浮かべた主人がいる。
「お前のその…顔色を窺うのは癖か?」
「−−…」
気付かれていないとは勿論思ってはいなかった。だが面と向かって訊ねられれば、心臓は跳ねて呼吸は止まる。
「あなた」
夫人が咎めるように主人を軽く睨むから、夫人にも気付かれていたのだと理解した。
やめてと夫人は首を振る。しかし主人は夫人にわずかに目を向けた後ですぐにエレッテに視線を戻した。
「随分と他人に気を使う様子だが…見ていて少し気味が悪いぞ」
遠慮もなく言葉にされた台詞は、以前パージャに言われたものと同じだ。
「あなたったら!気にしなくていいのよ。この人何でもすぐに口にするから」
夫人は気を使うようにエレッテの手に自分の手のひらを置いて包んでくれるが、気にしないでいられるはずがなかった。
「…いえ…パージャにも同じこと言われてたんで」
頑張って笑ってみようとするが、頬の筋肉は強張り、きっと不細工な表情を浮かべる結果になっているはずだ。
「直さないとって思うんですけど、どうすればいいのかわからなくて…」
意識して直すよう頑張れとパージャには言われた。
だがどう意識すればいいのかわからない。
意識すればするほど、思い出すのは過去の恐怖ばかりなのに。
相手の顔色を窺わなければならなかった。
謝罪はすぐに口にしなければならなかった。
エレッテに許された自由は痛みに涙を流すことだけだったのに。
それを、どうやって意識して直せばいいのか。
「こんなもんは、どうするもんでないわ」
主人の言葉に俯いて、
「そうねぇ…深く考えてるうちは難しいわねぇ」
夫人の言葉に視界が滲んだ。
答えになるような答えは貰えないまま。
まるでエレッテだけ答えがわからないような錯覚に、ふと悔しいという思いが浮かんだ。
「話が重くなっちゃうから、変えましょう。エレッテ、お茶をいれるから手伝ってくれない?」
「は、はい」
しかし立ち上がった夫人に呼ばれた為に悔しさは心の隅に押しやられてしまい。
「あなたは少し待っていてくださいね」
「おお」
「何がいいかしらねえ?ブレンドしてみましょうか」
夫人に続いて一度室内に戻る。
エレッテは背中に向けられた主人の視線に今まで感じたことのない温もりを味わったが、無意識に気付かないふりをするように、ただ夫人の後に続いた。
−−−−−
「さ、て、とっと」
ハイドランジア家にエレッテを置き去りにして食器の後片付けから逃走したパージャは、城下の街を散策するように歩きながら当て処無く辺りを見回していた。
闇色の緋の髪はありふれた薄茶に変えて、周りに溶け込ませている。
そこそこ小金を持っていそうな平民の住む地区を歩いて、貴族達の屋敷の建て並ぶ区画との違いを比べて。
貴族達の屋敷は基本的に庭付きだが、平民の区画となるとそうでもないらしいとはハイドランジア家に来てから気付いた事だ。
地方にいけばそうでもないが、王都城下街ともなればエル・フェアリア最大の観光地である為に居住地区の外観も法で定められている。
基本的には整備され似通った建物が建ち並び、細かい箇所は住民に任せているという所だろう。
煉瓦の道路を歩きながら各々の玄関前に置かれている植木鉢に目を向ける。
その数件目で、玄関前に看板の立てられた家にパージャは足を止めた。
「−−画廊?…こんな民家にめっずらしい」
看板は家の中が画廊であることを示しており、エル・フェアリアとラムタルの二国の文字が記されている。
玄関は閉じているが、入っていいものか。
暫く考えた後でやはり気になり扉に向かったパージャは、ノックはせずに恐る恐る扉を開けた。
覗き込んだ先は小ぢんまりとした画廊となっており、画材の香りが優しくパージャの鼻腔をくすぐる。