エル・フェアリア2
□第98話
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「うわ!す、すまない…」
「……もういいですわ」
いつもなら責め立てられるか蔑みの眼差しで睨みつけられるかしただろうが、今日ばかりはジュエルも優しい。
勝てたからか、怪我をしたからか、それともその両方か。
「戦闘着も明日までには綺麗にして差し上げますから、大人しく座っていてくださいな」
タオルを濡らして絞るジュエルの視線が壁に向かう。そこにあるのはルードヴィッヒの血濡れた大切な戦闘着だ。
汚れてしまった戦闘着がここにある理由は、清潔に戻す為の魔術を扱えるのがジュエルだけだったからだ。
汚れを分離させる魔術は非常に細やかで繊細な作業の為、騎士達には数日かかるほどの苦手分野だ。
とくに元々の器用さも必要な術式なので、コウェルズに至っては壊滅的だ。
試合が終わって改めて鏡で自分の姿を見た時、ルードヴィッヒはヒッと喉を絞った短い悲鳴を上げてしまい、ジュエルが洗濯を引き受けてくれたからこの部屋にあるのだ。
試合終了後は全員揃って賓客室に戻ってきており、そこで脱いだ戦闘着をジュエルが寝室に持って行って、ルードヴィッヒも服が気になって付いて行ってしまい、呆れたジュエルが入室後に入室許可をくれて、と。
何とも情けない気もするが、自分達は思い合っているのだからやましいことはないはずだ。
コウェルズ達は部屋の中を覗き込んで苦笑いを浮かべた後は話し合いの為にとっとと離れていった。
こんな形で二人きりになれるとは。
「…私の試合はどうだった?」
大会一日目は観戦に来れないだろうと思っていたのに来てくれたジュエルは、ルードヴィッヒの戦いぶりをどう思ってくれたのだろうか。
ドキドキと心臓が脈打つから、今すぐ爆発してしまいそうだ。
最初はやられていたが、後半は巻き返せたし何より勝利を掴んだのだから。
格好良く映っていればいいのに。
そんな期待を込めてジュエルを見つめれば、彼女の方はうーんと首を可愛らしく傾げているところだった。
「…実はあまり見ていませんの…試合とはいえ怖くて…」
期待はずれの返答に、肩が少し落ちる。
「そうなのか…」
「あ、でもお祈りはしておりましたわ。無事に勝てますようにって」
その後屈託なく微笑まれて、落ちた肩はすぐにまた持ち返した。
ジュエルが自分の為に祈ってくれるなんて。
「明日も必ず勝つから!!」
「期待しておりますわ」
クスクスと笑ってくるジュエルが、額にまた濡れたタオルをそっと当ててくれる。
血はまだ止まらない。とはいってもゆるく滲み続ける程度だが。
鼻血はすぐに止まったのだが、額は少しの傷でも血が出やすいと聞いた。パックリと割れているわけではなくてよかったが、ジュエルは傷が怖いのかタオル越しの小さな手は少し震えている。
話を逸らせたらいいが、何か話題はないだろうか。
こんな時に気を利かせる言葉が浮かばないのが歯痒い。
パージャのように上手く言葉が出てきたらいいのに。
ふと思い出す敵だったかつての仲間に、気持ちは一気に沈みそうになった。
ラムタルではパージャの気配を感じたから、なおさら。
「…私は…強くなれているだろうか」
ポロリと呟く言葉に、返答はない。代わりに戸惑うような気配が見えて、困らせてしまったかと少しだけ笑った。
ジュエルにわかるわけがない。
でも強さに固執するのは、大切な者を守る力が欲しいからだ。
ルードヴィッヒはミュズを守れなかった。自分すらも守れなかった。
あんな情けない姿を二度と晒したくなくて、ここまで懸命に努力を続けた。
「……私にはルードヴィッヒ様の思う強さの定義はわかりませんが……あなたが勝った時にダニエル様は誇らしげに笑っていらっしゃいましたわ。大会の八強は実力者の証だと」
大会の、八強は。
「…………あれ?」
「はい?」
今、八強と言わなかったか。
盛大に馬鹿な声を発したルードヴィッヒに、ジュエルはこてんと首を傾げてくる。
「……八強?」
「そうですわよ?」
「……なんで?」
「なんでって…第三試合は八人しかいないからではなくて?」
ジュエルのごもっともでありながらも的外れな返答に、ゾクリと武者震いのようや興奮が全身を覆う。
ただひたすら、戦って勝つことを目的としてきた。
目指すのは優勝だ。
だが八強というリアルな言葉が、自分の感情を全て喜びに変えていこうとする。
額の痛みすらも。
どうしようもないほどの喜びだった。
嬉しすぎて頬が緩む。
第一試合と第二試合を勝てたという喜びよりも、八強に入れたという喜びの方が。