図書館

□一番のご馳走
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 上条当麻が、授業中に眠くなった時に睡魔を抑える為に考える事。
 本日の晩ご飯の献立。
 男子高校生にしては些か不健全かもしれないが、残念ながらこれが上条のライフワークだった。
(えーと……キャベツが半玉残ってて卵もあるしお好み焼きに……駄目だ、この量だけでウチの大食漢姫様が満足する筈がない。そこそこ量もあって安上がりな――)
 ふと窓の外に目をやると、憎らしくなるぐらいの青々しい空に飛行機が白い道を作りながら飛んでいた。
 あ、そうか、と上条は思い出す。
(俺は今一人暮らしなんだ)
 何だか馬鹿馬鹿しくなって机に顔を伏せたら、図ったように教師に頭を叩かれた。

 *** 

 インデックスさんがイギリスに一時帰宅する事になりました。
 期間はちょうど一年間。
「イギリスで美味しい物お腹いーっぱい食べてくるんだよ!」
 なんて明るく笑って家を出た彼女が一瞬だけした寂しそうな顔は、きっと見間違いじゃないんだと思う。
 それでも笑って「いってきます」と言うから、こちらも笑って「いってらっしゃい」と見送るしかなかった。
 寂しいかと聞かれれば、寂しいに決まってるだろうがこの野郎、と答える。加えて奴は、我が家のアイドル三毛猫スフィンクスも連れて行きやがった為、これで晴れてぼっち生活がスタートだ。
 胸にぽっかり穴が空いたような焦燥感は何時まで経っても拭えないものの、人間という生物としての定めか、数日も過ぎれば慣れてしまう。
 たまにインデックスやスフィンクスの事を思い返しては、あいつらちゃんと飯食ってるかなーと都会に一人暮らしをしている息子を心配する母親のような心境に浸ってみたりもするぐらいには。

 そんな頃だった。
 夕暮れ過ぎに突然、一方通行が家に来たのは。

「あれ、一方通行だ。珍しいなお前一人か」
 自然と一方通行の周りを確認してしまう。いつもワンセットで数えてしまう程一緒にいる打ち止めの姿が、その日は何処にも見当たらなかった。
 一方通行が打ち止めを連れて、上条家を訪れた事自体は何度かある。けれど今回は彼一人、という初めての状況に酷く戸惑った。
「ァー、なンつゥか……そのよォ……」
 何か言い辛そうに頭を掻いて言葉を濁している彼をとりあえず家の中に招き入れる。

 対面に座って苦悶の表情を浮かべている一方通行に、一体何を言われるのかと緊張してお茶を出す手が震える上条。そして重い重い沈黙の口火を苦々しい顔をした一方通行が切った。
「……今日、泊めてくれねェか」
 へ? と上条の頭に空白が生まれる。拍子抜けというか何というか。てっきりこれから生死を掛けたデスマッチが開催されるのかと思っていたので一気に気が抜けて変な顔になる。
「どうしたんだ? 打ち止めと喧嘩でもしたのか?」
「ン……まァ、そンなとこ」
 曖昧に誤魔化そうとする様子から察するに、余程激しい喧嘩だったのだろう。けれども喧嘩の出来る相手が居る事を少し羨ましく思うのは、やはりまだ寂しさが抜けてない所為なんだろうか。
「いいぜ、今ちょうど居候が一人減って、食料も余ってたから大歓迎だ。こんな狭い部屋で良かったら泊まっていけよ」
 案外気遣い屋な彼に向けて、努めて軽い調子で言った言葉に嘘はない。まだ一人暮らしになって日も浅く感覚を掴めないでいる上条は、ついつい多めに食料を買ってしまい余らせてしまっていた。
「悪ィな……さンきゅ」
 お礼を言う一方通行という世にも珍しい光景を目の当たりにして思わず目を丸くすると、旋毛にチョップを落とされた。

 ***

 久しぶりに二人分の夕飯作りに張り切る上条と泊まらせて貰う身だから、と手伝うと言い出した一方通行と共に、男二人で狭い台所に並んで立つ。
 正直一方通行が家事の出来る奴だとは思わなかったなぁ、と若干親近感を覚えながらまずは野菜を切ってサラダにしてくれ、と指示を出す。
 しかし。
「ア」
「あ? って、えぇ!?」
 一方通行の指から勢い良く血が吹き出していた。

 幸いな事に見た目より傷は浅く、出血はすぐ収まった。
 曰く、手伝う程度なら料理未経験者でも何とかなるだろうと思っていたらしい。
 上条がとりあえず簡易的な応急処置をしているのを、一方通行は無表情で眺めながら口を開いた。
「悪ィな……逆に迷惑かけたみてェで」
 一方通行はその凶悪そうな面構えに反して、根は真面目で気苦労の絶えない人格をしている、と上条は勝手に思っている。
 きっと受けた恩は必ず返さないと気が済まない性分なんだろうなー、でも失敗しちゃって今ちょっと落ち込んでるんだろーなー、と若干母親のような生暖かい視点で一方通行を見ている。当の本人に知られれば黒翼不可避な危険思想である。
「迷惑だなんて思ってる訳無いだろ。でも自分の体なんだからちゃんと気を付けろよ。絶対痛かっただろ」
「死ぬかと思った」
 無表情で素直に答える様が面白くて、つい笑ってしまった。
 小さく笑い続ける上条の姿に何か言いたそうに口を開閉し、覚悟を決めた様子で切り出した。
「……なァ、俺に料理、教えてくンねェか」
 きょとり、と斜め上からの発言に目を瞬かせる。
「いいけど……何でだ?」
 黄泉川家の女所帯の中に男一人で暮らしているらしい一方通行は、料理をしなくても作ってくれる人が居るんじゃないだろうか。傍から見ているだけで悲鳴を上げそうな程、危うい包丁の持ち方がそれを如実に物語ってる。全く以て羨ましくなんかないんだからね。
 そう訊くと、一方通行は視線を僅かに外してギリギリ聞き取れるぐらいの小声で呟いた。
「……作ってやりてェ奴がいンだよ」

「……へぇ? んじゃ教える俺も責任重大だなぁ」
「愉快そォなのは結構だが、オマエが考えてるのは絶対違ェ」
 はいはい照れ隠し照れ隠し。
 言われずとも分かる。打ち止めや黄泉川先生達の事だろう。日々のお返しに手料理を振る舞いたいとは、コイツも成長したなぁ。
「んじゃ、手当ても終わりました事ですし、上条さんお料理教室としましょうかね!」
「……おゥ」
 その晩、一方通行の手が再度真っ赤に染まった事は言うまでもない。
 ……しばらく一方通行に刃物類を持たせるのはやめておこう。
 そんな決心と共に、一方通行の料理スキル上達の道のりの長さに、内心少し喜んでしまった事は秘密だ。

 ***

 そういう経緯から、一方通行から度々「今日、空いているか」という趣旨のメールが来るようになった。
 補習とか補習とか補習とかで何気に忙しかった上条に気を使ってくれたのか、それとも待てなかっただけなのか、学校の帰り道のスーパーの特売にも付き合ってくれるようにもなった。
 しかしその際、頑なに会計を譲ろうとしない一方通行に上条が根負けし、割り勘で手を打つのが定番となっていた。それでもまだ不満そうにしていたのだが。
 そんな生活が上条の中で日常となるには時間が十分に有り、インデックスがイギリスに行ってから早くも三ヶ月と経つが、一方通行のお蔭かその寂しさを感じる事は少なかった。

 しかし四ヶ月目、その月に一方通行が家に現れる事は無かった。

 どうしたのだろうか、もしや怪我や病気にでもなってしまったのだろうか。それとも上条が気づかぬ内に、何か機嫌を損ねるような行動をしてしまったのだろうか。
 意味もなく送信メールを読み返してみたり、何度も何度も新着メールが無いか確認してみたり、と。誰の目から見ても分かる程に上条は挙動不審だった。そして心配したり、悩んだりを繰り返す上条の精神状態は、日に日に衰弱していた。
 周りの人間が心配そうに彼を見つめる中、彼自身はそんな自分の状態を認識出来ていなかった。いや正しくは、自分の状態を認識出来ない程の『何か』が彼の心を蝕んでいた。
 それ程までに、この短期間で『彼』の存在は上条の中で大きくなっていた、という証拠でもある。


 しかしちょうど五ヶ月目の始めの休日。
 一方通行から「今日、空いているか」とメールが送られて来た。
 様々な言いたい事を飲み込んで、悩みに悩み抜いた末、上条はいつも通りに返事を返した。

 直後、インターフォンが部屋中に鳴り響く。

 上条が混乱とまさか、という若干の期待を込めながら扉を開けると。
 その容姿にはとても似合わ無さ過ぎる大量の食材が入ったスーパーの買い物袋を下げて、不貞腐れているような困惑しているような、そんな変な顔をした一方通行が立っていた。
 曰く、携帯を壊してしまい長らく上条からのメールに気付けなかったと。
 曰く、先月は少し忙しくて来れる時間が無かったと。
 そっか、ちょっと心配してたんだ。と安心した様な口振りで上条は朗らかに一方通行を家の中に招き入れるが。
 自分でも気付いている。
 本当はその場で泣き崩れてしまいたいぐらい安堵してしまった事を。

「んじゃ、材料は一方通行さんが買って来て下さいましたし、早速作るとしましょうかね!!」
 無駄に明るく努めて台所に向かおうとした上条を、一方通行は首根っこ引いて止めた。
「今日は俺一人でやる」
 危ない、また怪我するかもしれないじゃないか、と言いたい文句は山程あったが、どれも一方通行の鋭い眼光の前では声にすらならなかった。何故これから料理をするというのに殺気丸出しな威圧感を発しているんだ。
 何も言えなくなった上条を尻目に一方通行は台所へと足を運ぶ。
 心配気にチラチラと視線を送ると「見ンな、集中出来ねェ」とまた睨まれたので、気にしていませんよーの態度でテレビを見ているしかなかった。内容は全然頭に入って来なかったが。

「出来た」

 その言葉を聞いた瞬間振り向いて、料理を卓袱台の上に運ぶ一方通行の指を確認する。何処からも血が流れていない事に胸を撫で下ろす。

 そしてそこからが凄かった。
 一方通行の手によって配膳される料理の品々がどんどん卓袱台のスペースを埋め尽くして行く。
 上条はそんなに待たされた覚えはない。精々一時間ぐらいだろう。それだけの時間の何処にこれだけの量を作る時間あったんだ、と思う程の品数だ。
「え! お前凄っ! 美味っ!!」
 しかも美味い。
 和食、洋食、中華とジャンルごちゃまぜで統一感は全く無いが、どれもこれも一流ホテル並みの味だった。
 しかし残念ながら上条は一流ホテルの料理を食べた覚えがないので、一流ホテルで出されても違和感が無い、という意味になってしまうのだが。
「マジかよ!? この間まで包丁でざっくり指切って、血だらだら流してた奴の手料理とは思えねぇ!!」
「一言多いぞ三下ァ」
 元々刃物の扱いは怖かったが、料理の順序を理解するのは早くて、出来るようになるのもそう遅い未来ではないと思っていたが、まさかここまでとは。
「ったりめェだろォが。この俺に出来ねェ事はねェ」
 本当に初日で指を切り落としかけた奴の台詞とは思えない。
「なーンか文句でもあるンですかァ?」
「何でもないです。大変美味しゅうございます。だからどうか一方通行さんチョーカーに手を掛けないでぇ!!」
 ここで上条はある事に気が付いた。不機嫌そうに首から指を離す一方通行は先程から全く料理に手を付けようとする気配がない事に。

「一方通行は食べないのか? 俺一人じゃ食い切れそうにないんだけど」
 何せ卓袱台に乗り切らなかった分の料理も台所にあるのだ。
 そんな上条の提案に、うんざりしたような顔で一方通行は答える。

「断る。食い飽きた」

 食い飽きたって、一流ホテル並みの料理をよくもまぁそんな一蹴出来るなぁ、流石セレブ。
「……ん?」
 あれ? 何か変だ。麻婆豆腐を頬張りながら上条は違和感の様なものを感じた。料理にではなく。
「……ア」
 ヤバいしまった、そんな表情を浮かべた一方通行の姿が上条の疑念をさらに加速させる。

「……まさかまさか一方通行さんはずっとこの日の為に料理の練習をしていたのかなー? なーんて……」
 無言。
「……ひょっとしてひょっとすると一方通行さんが先月上条さん家に来なかった理由が、料理が中々上達しなかったからなのかなー? なーんて」
 無言。
「さらにもしかすると最初に言ってた『作ってやりたい奴』はもしかして俺だったりするのかなー?? なーんちゃってー……」
 無言。しかし顔を背けた一方通行の白い頬が若干上気している様な、気の所為な様な。
「ず、図星ですか……? ちなみに最後の一個は自惚れ入ってるから気にせず笑ってくれてもいいのよ……?」
 無反応な一方通行にビクビクしながら質問を重ねてみる。
 長い沈黙の後、深っーい溜息を吐いて、一方通行はあからさまに不機嫌そうな顔を向ける。やはり上条の目にはその顔が赤らんでいる様にしか見えなかった。
「……うるせェ」
 なんというツンデレ肯定。
 自分の顔がじわりじわりと熱くなっている事を自覚しながら、緊張で縺れる舌で何とか必死に言葉を紡いでいく。
「あ、一方通行、えっと俺さ、多分、お前の事――」


 大変美味しく出来上がりました。
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