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□いつの日か、
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 上条当麻とは、ヒーローの事だ。
 正義の象徴であり、『善人』代表である人物。

 一方通行にとって、光のような存在であった。
 それはきっと、出会った時から変わらない。妹達や第三位を助ける為に一方通行を倒したあの時からずっと。
 だから闇の世界の『悪党』である自分と平穏な世界の『善人』である上条が、まさかこうして平和な日々を共に過ごす事になるなんて考えもしなかった。
 最初こそは自分には不釣り合いな世界だと思っていたが、最近ではこんな平穏な日々も悪くないと感じてしまうくらい毒気を抜かれてしまっていた。
 だからこそ、チラ見した時の上条の表情を見て傷つくくらい、腑抜けになってしまったのだ。

 最近やっと顔をまともに見れるようになり、バッタリその辺で会っても、素っ気無い挨拶で返さないように心掛け始めた頃。
 一方通行は気付いてしまった。
 上条が、自分の顔を見ない事を。本来なら自身が殴り倒した相手だけあって遠慮してしまうのは普通の事だ。
 しかし、この上条当麻という男は、自分が過去殴り倒した相手を見かけても親しげに話しかけてくるような奴だ。
 少なくとも一方通行はそう認識しており、それは事実でもあった。
 が、上条はこちらを見ない。街でばったり会っても、打ち止めの方ばかり見てこちらにはあまり顔を向けない。目が合ったとしても決まって気まずそうな、それでいて泣きそうな表情をした。
 一方通行は分かっていた。自分の存在が、上条にあんな顔をさせるのだと。分かっていたが故に、尚の事苦しかった。
 
 だから二人っきりになったこの日、この時間。
 本当は少し楽しみだった。いつも打ち止めにばかり注意を向けるコイツが、俺しか見えない。そんなちょっとした、ガキの独占欲のようなものだった。

 けど。実際はそんな上手くいく筈が無くて。上条が話をふるものの、やっぱり自分の天邪鬼が邪魔して素っ気無く返してしまう。
 あァ、もォ駄目だなァ、と一方通行は思う。自分って奴は何でこんなの何だろうと。
 やっぱり自分にはこんな世界、相応しくなかったのだ、と。
「……あのよォ……悪、かったな……」
 初めて素直に謝れた。けどそれだけじゃ足りない。目の前のヒーローは何の事か分からないって顔で目を瞬かせている。
「妹達の件とか、ロシアの時の事もそォだけどよォ。お前には迷惑ばっかりかけてるよなァ……。
 今だって打ち止めと一緒に来ちゃいるが、はっきり言ってどの面下げて、だろォな」
 思いの他、言葉がスラスラ出てくる事に一方通行自身驚いていた。きっと、自分の心の奥では、ずっとそう思っていたんだろう。けど、自分を傷付けない為にずっと考えないように目を逸らしていたんだ。
 そう分かると本当に自分が惨めになって、笑えた。
「後悔してる、反省してる。だが、それでハイお終いなんて、そンな都合のいいよォにはいかねェって分かってる。
 あのガキを守る事で、全て無かった事に、なンて出来ねェ事も分かってる。……けど、アイツには幸せになってもらいてェンだ。
 もォ、アイツが傷つくような未来にしたくねェンだ。これは、ただの俺の自己満足だ。アイツには関係ねェ」
 そう、打ち止めには関係ない。一方通行がどんな悪党でも、どれだけの人を殺そうとも打ち止めには関係ない事なのだ。
 上条の顔が、見れない。どんな顔してるかなんて知りたくもない。一方通行はずっと床ばかりを見つめているが、何の安らぎも得られなかった。
「だから……だから、俺の事はどンなに憎ンでもいい、けどあのガキだけは……」
 打ち止めは、一方通行と無関係。打ち止めに罪は無い。ヒーローなら分かってくれるだろう。一方通行には、確信があった。
 きっと、大丈夫だ。
 そう安堵する気持ちと共に、どす黒い気持ちが寄り添っていた。
 
 狡い。
 
 そんな事考えてはいけないのに。思ってしまう。願ってしまう。

 ヒーローに、救われる事を。

 もう嘲笑しか浮かばない。床ばかり見ていては上条の表情は分からない。けど、それでいい。今の一方通行に、ヒーローの侮蔑が含まれた表情に耐えられる程の強さはなかった。

 もう、いい。もう充分平穏を楽しめた。早くこの幸せな世界から追い出してくれ。そう一方通行は思い、来るべき言葉のナイフの為の体制を整えていると。


 スパンッ! と、小気味いい音と共に一方通行の世界が揺れた。
「……ハ?」
 衝撃は上から来た。目の前には上条当麻。現状と痛みの症状から察するに、一方通行は頭を叩かれたらしい。
 何で? ムカつき過ぎて殴りたくなったのか? でも、おかしい。
 そう思った一方通行は素直に疑問をぶつけてみる。
「……なンで平手なンだよ」
 上条当麻の武器はその右手である。一方通行も何度も食らった事があるが、平手は今回が初めてだった。
「ふざけんな。俺がいつお前のこと迷惑だっつったよ?」
 勝手に人を値踏みしてんじゃねぇ。拗ねたように口を尖らせる上条に、一方通行は混乱する。
「だけどよォ、お前……顔合わせる度に気まずそォな顔すンじゃねェか。俺のこと、」
 嫌いなンじゃねェのか。そう続ける前に上条が真っ赤な顔して声を荒げる。
「なっ! それはこっちの台詞だ! 人に会う度に怒ったような顔しやがって! そっちこそ俺の事嫌ってんじゃねぇのかよ!?」
「ハァッ!? 誰が、いつ、そんな事言った!? 勝手に俺の事を決めつけてンじゃねェ!」
 いつの間にか前のめりで話していた二人だが、上条は肩を竦めて心底呆れた表情をした。
「……俺が言いたいのもそれだよ。俺の気持ちをお前が勝手に決めんな。それに、妹達の件もロシアの件も、俺はやらなきゃいけないと思った事をやっただけだ。それ以降の事も、もうお前達で解決した事なんだろ? だったら俺に口出す権利なんてない」
 上条は、どことなく満足そうに笑った。

 あァ、そうか。一方通行は忘れていた。あれだけ救われたのに、忘れていた。
 上条当麻という人間は、どうしようもなく『ヒーロー』だという事を。
 どんな悪党でさえも、筋の通った理由があるのなら手を差し伸べてしまうような。そんなどうしようもない、『善人』だという事を。


「それにしても……」
 上条が少し照れたように切りだした。
「俺達って、お互いのことめちゃくちゃ勘違いしてたんだな」
「……そゥだな」
 一方通行は、改めて上条の顔を見た。上条は嬉しそうな、幸せそうな感情を表情に乗せて一方通行に笑いかけていた。
 その顔を見た瞬間、胸がギュッと振り絞られるような感覚に襲われた。
(……?)
 その不可解な症状に不快を覚え一方通行は眉を寄せるが、すぐに慌てて上条の様子を見る。
「?」
 焦るような一方通行の不可思議な行動にきょとん顔の上条を見て、一方通行は安堵する。また勘違いされてはかなわない。
 一方通行は、癖になっている眉間の皺を伸ばすように人指し指の第二関節で擦った。
 そして、視界の端に映ったものに疑問を抱く。見上げれば、上条がニッという効果音が似合いそうな笑顔で右手を差し出している。
「握手」
 その口から紡がれる言葉に戸惑いが隠せなかった。しかも、左手。一方通行は上条の左側にいたから、無意識だとは思う。
 元々、一方通行は彼の右手以外の体に触れるのに躊躇いがあった。もしも。もしも彼の体を破壊してしまったら。そう考えるだけで背筋に緊張が走る。
 そろそろと伸ばされた手に近づく一方通行の左手。その間、上条の左手は微動だにしない。
 あと数センチ、という所で一方通行の左手の力が抜けた。そのまま、手を引っ込めてしまう。

 やっぱり、俺には無理だ。今は、まだ。

 上条の表情が気になって、恐る恐る顔を上げる。けど、そこには一方通行の想像したような悲しみの表情はなかった。
 ニヤけている。
 上条は一方通行に握手を拒否されたにも関わらず、笑っていた。
 それもそれで、一方通行にとって思う所がある。思考の渦に呑まれてグルグルしている一方通行に上条は楽しげに話し出す。
「良かった。はっきり断られたらどうしようかと思った。手ぇ伸ばしてくれたって事は、望みはあるって思っていんだよな?」
 何というポジティブ思考。しかし、それに一方通行は助けられた。
 目を逸らして舌打ちしても、上条は笑みを深めるばかりである。まるで、『またまたぁ、照れちゃって』と、言外に言われているようだ。
 それにまた腹が立って、伸ばされた手を取れなかった事も腹立たしくて。一方通行の機嫌は急降下である。

 そして、さらに上条は言った。
「……いつか、この手を掴んでくれるって信じてるから。そしたら、俺と友達になってくれよな」
 切なげに。でも、しっかり芯の通った声で。
 その声に、やはり掴めなかった事を後悔する。しかし、あの手を掴むには、まだ自分はこの幸せを受け入れる覚悟が足りない。
 幸せを受け入れる覚悟をするという事は、同時に失う覚悟をするという事だから。
 でも、いつか、いつの日か。

ガチャ、とドアの開ける音がする。お、帰ってきた、と上条は立ち上がり玄関に向かう。
 ただいまー、と玄関から賑やかな声が聞こえる。部屋が一気に明るくなった気がした。平和だ。とても平和だ。
 けど。さっきまでの時間が無くなってしまうのが、少し惜しく思うのは、どういう感情から来るものなのだろうか。

 きっとその答えも、いつの日か、分かる時が来るのだろう。

 それまでは、もう少し。この穏やかな時間を過ごしていたい。
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