図書館

□パン屋を開く
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「よっ」
 軽く手を上げる。しかしその拍子に彼の腕からゴロンと赤い果実が零れ落ち、慌てて拾うもまたもやゴロゴロと雪崩のように零れ落ちていく。
 拾う端から零れていくのでキリがなく、あわあわしている彼を見かねた周囲の人間が親切にも全て拾い上げてくれ、彼は眉をハの字にして謝罪と礼を口にした。
「……相変わらずだな、人間」
 安っぽいパイプ椅子に腰かけながら発した皮肉に我ながら可愛くない女だと思いながら、彼の反応を窺う。
「いい加減見慣れたろ、神様」
 皮肉を皮肉で返され、不機嫌そうに眉間に皺を寄せれば、そいつは皺くちゃな顔で快活に笑った。
「はっはー、オティおばあちゃんの皺が増えたー」
 グシャアァ! ボタ、ボタ、ボタ。
「……違う。オティヌスさん、それは違う。リンゴはか弱い少女の握力で握り潰せる物じゃない。そして上条さんの頭を握り潰してもリンゴジュースは生成されない」
「大丈夫だ、問題ない。真っ赤なトマトジュースが出来上がるから」
「それ問題ありぃぃぃ」
 キョエーだかピギャーだかおおよそ人間らしからぬ奇声を上げるが、反応らしい反応はそれぐらいで、自分の嫌味や暴力性に対する嫌悪感や不快感は皆無だった。
 ホッとしたような、それはそれで腹が立つような。
 消化不良なモヤモヤしたそれらが口から飛び出す前に、赤の果肉と共に飲み下した。
「で、用件は何だ」
「つれないなー。ここに来るのもう何度目だと思ってんの?」
「五百二十五回……ま、大体月一ってとこだな」
 そう答えると、そいつは軽く目を見張った後、口の端を横に広げて目を細めた。
「……何だその顔は。気色の悪い」
「いーや、覚えててくれたんだなーと思って」
「……ま、私は元とはいえ神だからな。どこかの誰かさんと違って記憶力は優秀なのさ」
「うぐっ、羨ましい……」
 世界を変える強力な力よりも、こんなくだらない事をいつまでも覚えて居られる力の方が羨ましがられるのは何とも変な気分だったが、こいつに自分の感性や価値観が通じないのは知っていたので。
「つーか案外少ないもんなんだな。てっきり千は超えてるかと」
「……ま、どっかの誰かさんが受験やら就活やらで中々マメに来ないからな」
「…………あれ? 寂しかったの」
 無言。
「俺が来ない月は寂しかったの?」
 無言。
「寂しかったんでちゅか、オティヌスたーん」
 頭部に一撃。
「黙れ、殴るぞ」
「〜っ、殴ってから言わないで!!」
 痛ててて、と頭を摩りながら上条は不思議そうに言った。
「何でそんなピリピリしてんの?

 今日は出所日なのに」

 口に出されたその言葉に、ますます憂鬱になる。
「……だから、だ。何故世界を破壊しようとした、いや、破壊した化物の刑期がこんなにも短いのだ? いくら神の力を奪われたからと言って、また暴れるかもしれない危険人物を、何故こんなにも早く野に放つ? 刑期が決まったのはここに入る前だが、やはり納得できん」
「それ、また暴れようと考えてる危険人物の言う台詞じゃないよな」
 暗に出ない、と言っている私に、軽口をたたきながら奴は笑った。
 何十年と経っても変わらない、私の前でよく見せる顔だ。
 見るもの全てを安心させるような笑みのまま、奴は続けた。
「いいんじゃねぇの? それで皆納得したんだから」
「だが……ッ!!」
「あーあー聞こえませんー!! いつまでも牢屋に篭ってないで、いい加減にお外に出たらどうなの!?」
「私は引き籠もりのニートなのか!?」
 そんな私達の掛け合いに必死に堪えている新人の看守と、毎度の事なのでもう慣れたベテラン看守に見守られながら、私の葛藤を置き去りに意外にもあっさりと門を潜り抜けてしまった。


「……暑いな」
「まぁ、夏だからな」
「……陽が高いな」
「まぁ、昼だからな」
「…………なぁ、戻」
「りません」
 はぁ、と溜め息が漏れる。
 行き交う人々の中に、私が世紀の大犯罪者だと気づく者はいない。
 名前は誰もが知っているのに、顔を知っているのが少数という事実に、何者かの裏工作を感じる。主に目の前の男。
「さぁ、これからどうしようか」
「……お前の好きにすればいい」
「んじゃ、お前が決めろよ。パン屋さんになりたいでもお花屋さんになりたいでも何でも良い。これからはお前の好きなように、好きな事して、やりたい事やって、好きに生きろよ」
 つくづく、ロマンチストな男だ。
 同じ事を言われた。雪原を肩を担がれて走ったあの頃に言われた言葉と。
 ふっ、と思わず笑みが零れて、奴の顔を見る。
 不思議だ。
 同じ台詞を他の奴に言われても、きっと納得できなかっただろう。
 そんな資格無いんだって、ウジウジといつまで経ってもその場に留まり続けるのだろう。
 なのにコイツに言われるだけで、あぁ、そうなのか、って納得できる。

 もう、いいんだ。
 私は幸せになって、いいんだ。

「あ、あのオティヌスさん?」
 奴の顔を覗き込んだまま黙り込んだ私に、おろおろし始める。
 認めよう。認めようとも。

 私はコイツと、上条当麻といる時間が楽しくて仕方がないのだ。
「日本へ行こう」
 思った言葉が口から漏れていた。
「日本へ? 何でまた」
「理由なんて特にない」
 ただ、

「お前が居るならどこでもいい」

 赤く染まった顔が大変愉快で、私は満足だ。
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