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□海中サプライズ
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その日の夜、今朝よりも傷の具合がよくなり波も穏やかな時間
狙いすましたようなローが見張りのイルカへ「散歩」とひと言告げた
頻繁ではなくともそれなりの回数俺と散歩をしたことがあるので快く送り出してくれる
勿論、俺に再三の注意を忘れずに


「行こうぜジープ」

『グゥウ(あぁ)』


ローが乗りやすいように首を甲板に乗せる
実はこの瞬間、俺は少しだけ緊張する
俺の身体は他の海王類に比べて小さい、それでも立派に海王類
俺が本気を出せばこの船を沈めることは非常に容易い沈めようとしなくても俺が甲板に首を引っ掛けて引き寄せれば船は重力に従い傾き横転、あとは操縦室かエンジン部に穴を開けてしまえば呆気なく沈むだろう

しようと思う日なんて永遠にこないけれど


「どうした」


思いにふける間にローは特等席への搭乗を済ませていたらしくいつまで経っても動かない俺の目を覗き込んできた
なんでもないという意味を込めてひと鳴きして皮膜を張る
ドーム状のそれは薄く透明だがなかなかの強度を持っていてちょっとやそっとじゃ傷の一つも入らないし痛覚も通っていないから弱点にもならない
以前強度測定という名の実験をしたとき、シャチに蹴られてもペンギンに殴られてもイルカに銃弾を撃ち込まれてもローの鬼哭で切りつけられても傷ひとつつかなかった
けれどその強度ではまだまだだ
そのすぐ後にローが鬼哭に覇気を纏わせたら簡単に切れ目が入ってしまったからだ
こんな強度じゃ何一つ守れやしない、俺は強くならなくちゃいけない

いくら人間じゃなくても、思うだけなら自由だ
ローが好きだから守りたい、それだけのために俺は強くなる

以前はそんなこと思うどころか考えもしなかったのにな、と心の中で皮肉交じりに呟き瞳に光を灯した
それが潜水、もっと言えば海中デートの合図だ


今日は良く晴れて月も星も綺麗に写る、きっと海の中も同じような光景になっているはずだ

きっと、あの場所も…


期待を込めて海の深いところを目指した




―――――――




「………」

『………』



沈黙


海中デートはいつもこうだ
皮膜の中に居ても別に声が聞こえないわけでもなければ空気の残量を考えて呼吸回数を抑えているわけでもない
まぁそれ以前に意思の疎通自体が難しいのだから仕方がないといえばそうなのだけれどそれが理由な訳でもない
ただ、なんとなくだ
ローの方はどうか知らないし問う術もない
早々に諦めた…この世界に着てから諦めがよくなったな、この駄目人間…いや駄目海王類か


「…ジープ」


お、珍しい
海上で聞くよりも腹で響くような唸りをひとつ鳴らせばもう一度名前を呼ばれる
…なんだ?


「お前は、本当に人間みたいだな」

『ヴ、ゥ?(まぁ、元人間だからな?)』

「そうやって毎回返事を返すし、首を縦横に振る、上手い事ジェスチャーして見せて何かを伝えようとする、何か頼んでも間違えたことがない」

『グウ、ルルル(いや、そうするしかないだけなんだが)』

「ふふ、今も何か受け答えしてるしな」

『ヴウゥ、グルルァ(お前が話しかけてくるからだろ)』


何が面白いのかローはくすくすと笑う
顔を見れないのが残念だ、こんなに穏やかな声で笑うんだ、きっと凄くいい表情をしてるに違いない、何で俺の目は二つなんだと割りと当たり前な自分の肉体構造に悪態をついた


「…なんで、お前は人間じゃないんだろうな」

『?…ヴォオ、ルルルゥ(?…ロー、本当にどうした)』

「お前に言ったところで何にもならないと、わかっちゃ居るが…」


そう言いながら皮膜の中でローが俺を撫でた
…あんまり海中で撫でられるのは好きじゃない、罷り間違って皮膜を解いてしまったり目の光を消しちまいそうなんだよこのゴッドハンドが気持ちいいんだよ畜生


「すきだぜ、ジープ」

『…ヴァ、ア?(…は、あ?)』


ゴッドハンドで気を乱されながら理性を保っていた所にいきなりの核爆弾が投下された
待て待て、無防備な腹に先制パンチ繰り出すとか…いま、なんてった?


「おかしいよなぁ…おれは人間で、お前は海王類だ。知ってるか、世界には魚人と人間が共に暮らして子を成しているヤツも居るそうだ…それにしたって、おかしいよなぁ」


え、待て待て待て、待ってくれ


「お前は雄だしおれも男だ、それ以前にこの差じゃなァ…どうにもできねぇ」

『グ、ゥウウァ(頼む、本当に待ってくれ)』

「お前にヒトヒトの実を食わせてやろうかとも思ったんだが、それじゃあこうやってデートもできなくなる…お前を独り占めできなくなる、どうにか人間になれる方法はねぇもんか?」

『ヴ、ヴオォ(おい、ロー)』

「おとぎ話のようにキスでもしてみるか?それとも何か薬品を開発するか…それじゃあお前に危害が及んじまうな、駄目だ、なぁ、ジープは何かそういう方法を知らねぇか?」

『ヴゥ(待てって)』

「あぁでも、お前が人間になったら皆がお前に惚れちまうかもなァ、今もこれだけいい男なんだ、だったらこのままの方がいいのかもな、どう思う?」


どうもこうも、頼むから話を…って、話せねぇだろ俺
あー、さっきの言葉撤回するわ
俺はやっぱり人間に生まれ変わりたかったし言葉だって話したい、何が不便って全部が不便だ
こんなに溢れそうな気持ちをひとかけらだって伝えられない
抱きしめたいのにその腕がない、共に歩んで生きたいのにその脚がない、至近距離でその瞳を見たいのにマズルが邪魔だ、喜怒哀楽を示す尻尾よりももっと豊かな表情筋が欲しい



…今なら、出来るか?



『ヴォオ、グゥルル(ロー、速度上げるぞ)』

「っ、ジープ?」


伝わらないと知っていながらも人間だった頃の名残で一声かける
速度が上がったことに気付いたローは周囲を見渡しているのだろう、額の辺りでごそごそと動いてるのがわかった
警戒してるとこ悪いが別に敵なんか居ない、まだ子供の体格だが見た目はとにかく凶暴で厳つい、他の生き物は勝手に道を開いていく

そして見つけた、目的地


なんてことはない海底洞窟の入り口に速度を緩めることなく突進した



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