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□Menthol Beat
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カーテンの隙間から覗く朝日、秋になって冷え始めた朝の空気、自分の体温が移った布団の温もり


『ロー』


柔らかな、恋人の声


『ロー、起きろ』

「…んー」

『今日はロシナンテさんと出掛けるんだろ?』

「んー」

『映画行って買い物して他にも色々行きたいところがあるって言ってたろ、早くしないと朝飯も冷める』

「ん…んー」

『起ーきー…ろ!!』

「っ!?」


布団を引っぺがされて冷たい空気に体を縮込まらせる
それでもおれの恋人、涼介は容赦なく体を揺さぶってくる


「さむい、ふとんかえせ…」

『甘ったれんな、さっさとしないと着いて行かねぇぞ』

「いやだ!」


今日は月に数回あるかないかのデートの日
でもタイミングが良いのか悪いのか、年に2・3度会えるかどうかも怪しいコラさんの休日も被って3人で出掛けられる貴重な日だ
絶対に逃せないチャンス、おれは鳥肌の立つ体に鞭打って体を起こした


『はいおはようさっさと来いよ、間に合わなくなる』

「ん」


寝癖でぼさぼさな頭をくしゃりと撫ぜて部屋を出て行く、おれはいつもその瞬間、一瞬だけ目を瞑る
嗅覚を過敏にするためだ
涼介の香りは少し独特だから
香水はシトラス、使ってるシャンプーは流行のものではなく庶民的なミント系、そして、つい最近販売されたセブンスターのメンソールの香り
ミントという清涼感と刺激性を併せ持つ香り、けれど刺激的には感じないし甘くもない
香りを放つものは本人の体臭と合わさって始めて完成するものらしいから、それが涼介を完成させているのだと思うと似たような香りが鼻につくだけで胸が疼く


『ようやく来たな、遅ぇぞ』

「悪い、いただきます」

『思ってもないのに謝るな、どうぞ』


タバコを銜えたまま朝食を並べていく涼介、危ないって何度言っても聞きやしねぇ
まぁコラさんみたく服や髪を焦がさないからまだ許容してる、普通ならありえないけどな


『今日は冷えるらしいから少し厚着しろよ』

「わかった」

『この間買ったカーディガンあったろ、アレにしろ』

「インナーは?」

『白シャツ、ボタンのところにストライプ柄入ったヤツ持ってたよな』

「持ってる…パンツは?」

『………いい加減自分で服選べよ』

「涼介のセンスを信じてるんだ」

『毎度それで乗り切ろうとするな』


そんなことを言いながらも毎回ちゃんと服を選んでくれるし、天気のチェックまでしてくれる
出来た恋人なのか母親気質なのか、多分両方だろうな


「っふぐ!」

『いまなんか失礼なこと考えたろ』

「(毎回毎回、なんでわかるんだ…?)考えてねぇよ、いきなり鼻つまむな!」

『赤くなってて可愛いぜ』

「お前こそ毎回可愛いですますな!」

『それに弱いくせに』

「うるせぇ!!」


おれは褒め言葉に弱い、涼介限定で
可愛いとか、綺麗だとか、おおよそ男が言われても嬉しくないむしろ腹が立つような言葉
そんな言葉が嬉しくて仕方がないのは、おれがコイツにベタ惚れだから
口に出してなんかやらない、そんなことをして『知ってる』なんて言われた日には本当に顔から火が出ちまう


『頬に米粒つけて凄まれてもな』

「!!っそういうことは先に言えよ!!」

『可愛くてつい』

「くそ!!」


恥ずかしくて乱暴に米粒を拭う
そんな様子ですら面白いのか可愛い可愛いと笑ってる
くそ、むかつくのに反論できねぇ!
強めに睨んでやればなおも深められる笑みになんだと声をかける
すると近づいてくる涼介の手、メンソールの香りにまたドキリとする


『まだ付いてる、ん』

「!?」


米粒の付いた親指を唇に押し付けられる、これは…食えって事だよな
おれは意を決してその指を舌先で舐める


「……………ん」

『く、くくっ!何だその顔…!』

「…ふんっ!」


どうせ不細工だって言いてぇんだろうが!
涼介は可愛いだの綺麗だのは口で言うが不細工とか変な顔だとか、そういうことは言わない
言わない代わりに笑う、面白そうに、馬鹿にしたように


『悪かった、怒るな。ついだよ、つい』

「どうだかな」

『本当だって』

「もう知らねぇ、ごちそうさま!」

『お粗末さま』


悪かったでもついでもないくせに

…でも


『あ、一応ブーツ出して磨いといた、部屋戻るついでに見とけよ、気に入らなけりゃ別なの出せ』


また撫ぜられる、今度はきちんとセットされたおれの頭
セットを崩さない程度の力加減は酷く心地が良いし、何よりメンソールの匂いが近くなる
言葉は態となくせに、こういうところは天然なんだ…


…許すしかなくなるだろうが、バカ


『ん?』

「…涼介の選んだものが気に入らないわけがねぇ」

『そうかよ』

「ん…」


もっとその香りが欲しくて、セットが崩れることも気にせず涼介に抱きつく
優しく抱きしめ返すついでのようにそれを直してくれる
涼介はなんでもないようにするその行為に、おれがどれだけ胸躍らせてるか知らない
おれが涼介のことを全て知らないように、涼介もおれのすべては知らない

ざまぁみろ


『ロー、引っ付いてくれるのは嬉しいが…時間がヤバイぞ』

「え」


それを聞いて時計に目をやれば後15分で家を出なければ約束の時間に間に合わないと気付く


「おっせぇよ!!」

『起こした時点で間に合わなくなると俺は言ったはずだ』

「言われたがここまでギリギリだとは思わねぇよ!!」

『自業自得、俺に文句言ってる暇があるならさっさと用意して来い』

「〜〜〜っ!!くそ、後で覚えてろ!!」

『時間に間に合ったら覚えててやるよ、さっさと行け』


本当に腹が立つ、人を虫みたいに払いやがって!!
それに、涼介はおれの動かし方をよく知ってる
おれが負けず嫌いで、素直じゃなくて、面倒な性格を熟知してる
そのせいでこうしておれは素直に従わざるをえなくなる

それに…


「おい涼介、白のシャツ…」

『アイロンかけてお前の部屋のクローゼットの中、カーディガンも同じところ、パンツは黒チェックのスキニー、スマホはベッドサイドで充電中、財布はリビングのテーブルの上』

「…おぅ」


ほら、1を聞けば10で返ってくる
こうやって遅れそうなときには助け舟まで出してくる
タバコを吸っているから当然だが強くなったメンソールの香りに後ろ髪を引かれながら言われた通りの順番で着替え、手に持ち、何とか時間に間に合うことが出来た
それに気付いた涼介は車のキーを持って立ち上がる


「タバコちゃんと消せよ」

『わかってる、行こうぜ』

「…ん」


いつものように振ってくるキス
出掛ける前はいつもこうだ、新婚夫婦のようだといったら『新婚ではねぇだろ』と返されたことがある
じゃあ夫婦なのは認めるのかと、口に出せずフリーズしたことも記憶に新しい


「んぅ、ふ…ぁ」


深い口付け、舌が絡み合うそれが好きだ
涼介の味とメンソールの甘さが相俟って、気持ちが良い
スマック程度で済ませたいのに唇に触れた途端その気がうせる
触れ合っただけで冷たさを感じるほどのミントの味が、おれの舌を涼介の口内へと誘ってくる
不可抗力なんてモンじゃない、無防備なおれの理性をこのメンソールの味がタコ殴りしてくるのが悪いんだ


「は、ぁ…ふ、んぁ」

『なぁロー、実は今週の土日休みだったりするんだが…』

「…え?」

『そしたら、この続き…シようか?』


あぁほら、まただ
唇から香る、俺の舌にまだ残ってる味がおれを魅了する
頷くしかなくなる


「いま、それを言うか?」

『ふ、ムードなくて悪かったな。行こう、遅れる』

「あぁ」


玄関で涼介の磨いてくれたブーツを履いて、立ち上がった瞬間、もう一度その唇に噛み付いた


「約束だからな」

『勿論』

「ふん」


そっぽを向いた俺は自分の唇を一舐めした
足りないんだよ、お前の味が

車に乗り込んですぐ涼介はタバコを銜える
今はこの狭い社内に満ちるメンソールの香りで我慢してやるよ


END

 

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