Short

□KISSして
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別に特別大好きだとか、何遍も聴いてるとかじゃあなく、頭から離れない曲というものがある。
それは何気ない拍子に頭の中で流れ出して止まらない。
ちゃんと歌詞も覚えてないのにメロディだけは離れなくて。

「だから僕は、フフンフーン♪」

誰もいないことをいいことに、部屋で一人鼻歌混じりにうろ覚えの歌詞を歌う。
誰の何の曲だっけ、と頭の片隅で考えながら書類仕事を片付ける。ちょっと楽しい。

「しあわせのフーフフーン♪」

メロディはわかるのに歌詞が出てこなくて一人で笑ってしまう。
後でちゃんとCDでも聴こう。タイトル何だったっけ?
パソコンのキーボードを叩く音が脳内で流れるサビの伴奏とリンクする。
いやほんと、楽しくなってきたな。一人で何やってるんだろう。
相変わらず歌詞も出てこないのに脳内再生が止まらないし、これはもう一度歌い切るしか止める方法はない。

「恋の力ここにある〜♪」

サビに入って漸くまともに歌詞を思い出す。それでも細かいところはご愛嬌。
あー、そうだ。思い出した。テレビで聴いたんだ。誰かがカバーしてるのを。女性歌手だ。心地いいメロディと歌声が耳に残ってる。
パソコンの画面と手元の書類を見比べて不備がないことを確かめる。
よし仕事は終わった。歌も終わりそう。

「フフン、フフン、フフンフフン♪」

うろ覚えもここまでくると酷い。
メロディは覚えてるのにな。
データを保存し、書類をトントンと机で慣らして立ち上がる。

「KISSして──」

くるりと振り返ったところで私は石になった。
書類が音を立てて勢いよく手から落ちてバラバラになる。
少し驚いた顔の上司と目が合って、顔の温度が一気に上昇する。

「大丈夫か?」
「ブ、チャラティ……?い、いつからそこに……?」
「ん?さっきだな」
「さっき……へ、へぇ……?あっ、い、いいよ!私拾うからっ」

ブチャラティが屈んだのを制して書類を集める。
聞かれた?聞かれてない?絶対聞かれたよね!?さっきっていつ!?
指先が震えて全然書類が拾えないのを見兼ねてブチャラティが代わりに拾ってくれる。

「ほら」
「ご、ごめん…」

震える手でしっかり書類を受け取る。
早く今すぐ速攻でこの場からいなくなりたい。
バラけた書類をページ順に整頓する。

「えと、あの、あの、これ、はい。た、頼まれてた書類。あとブチャラティのサイン、だけ。えと、わた、私、は、これから出るので」
「──フ、」

ブチャラティが笑う。
私が頭に?を浮かべるより早く、ブチャラティの手が私の前髪をかき上げた。

「グラッツェ、名前」
「────」

額に軽いリップ音。
ブチャラティは何事もなかったかのように私の前髪を元どおりに撫で付けて優しく頭を撫でる。
そして私の口元に人差し指を当てて、「また今度な」とその女を殺す顔で微笑んだ。
踵を返して部屋を後にするブチャラティを私は呆然と見送るしかなかった。
それから五秒程遅れて再び顔どころか身体中に熱が燈った私だけが部屋に残された。






はだかのくちびる。



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