wind tune

□Happy Birthday Dear
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何もしない、そんな選択肢は無かった。けど何かをするには自分の立場ではあまりにもできることが限られていると思った。

「おお、レイさん。今日、誕生日なんだって?そりゃ今晩は盛大に飲まないと」
業者さん達がそう声を掛けていてそれに笑顔で応じるその姿が横目に入る。隣にいるシャクヤクさんが『いいじゃない、行ってくれば』と余裕で微笑めばその分だけ自分がドス黒くなるのが判る。ざわざわする胸を抑え、今絶対にやらなくていい値札付けや品物の並び直しを始める。

「あれ、やっぱりそうじゃない?」
いかにも外の人間と思わしき女の人達があの人を指して言う。
ここは無法地帯の中でも比較的治安の良い方の地帯でーー市場がたっているくらいだから当然といえば当然なのだがーー観光客を初めとした他の土地の人間も珍しくない。そうしてそういう人達の中には少なからず海賊達がいてあの人を見るとそういう反応をするのだ。
「ちょっと!話しに行ってみようよー」
彼女達が話している。別にそれを見て初めはなんとも思わなかった。と言うか思う余裕も、こんな毎日がここまで当たり前に続くものなんだと思いもしなかったのだ。

「あ、あの!シルバーズ・レイリー副船長ですよね?」
黙れ、この“その他大勢”めが。そうどの口が言うのかという一言を誰にも聞き取れないような、それでもはっきりとあたしは吐き捨てる。“冥王シルバーズ・レイリー”様その人に違いないがここでは単なる“コーティング屋のレイ”さんだ。そんなミーハーな気持ちで話しかけていいことなんて無い。でもあたしは知ってるんだ。
「ああ、そうだよ」
そうやって柔らかく笑って立ち止まってあげること。
「あたし達海賊なんです。やっとここまで来られたんですけどまさかこんな所で会えるなんて感激ですー」
「そうなんだね。この先も大変だろうが、良い旅を祈ってるよ」
そうやってあの温かくて大きな手を差し出してあげること。

いつだって、大体笑顔で誰とでも話していて。こうして声を掛けられることだって珍しくない。自分はもう過去の人間だから、と言うけれどそうじゃないことを一番よく解っているのも自分だから、こういう時だっていつもの笑顔で笑って『こんな若いお嬢さんが知ってくれているなんて光栄だな』なんて言うのだ。
余生をゆっくり、なんて言ってたことがどこまで本気なんかなんてわからないけれど少なからずそうやって声を掛けられた後、あたしのブース前を通るくらいの時にはーー気のせいかもしれないがーーふう、と重い溜息をつくことが多いのだ。それは一瞬のこと過ぎて自分がそう思いたいだけなのかもしれないのだが、少なくともその時の顔にいつもの笑顔は無い。

いつもの笑顔なんてものはあたし達が勝手に感じている『シルバーズ・レイリー』様の幻想なのだ。勝手に本や伝承なんかで知って作り上げたもので、本人の本当がそれにそぐうものなのかなんて事は全く別のことだ。
実際にその通りじゃなくても全然構いやしないのに、あの人は少し有名な時間が長過ぎた。こうして声を掛けられたら途端にそういう顔ができるようになっている。
それでも家でお目にかかれる姿はあんなに笑ってることはなく、だからと言って冷たい感じでは決して無い。普通の人で笑っていないせいか1トーン落ちた声になる。その低い声の方が人間臭くていいと思う。

それを知っている事をあの人は知っている。あたしが知っていても構わないということなのだろう。構わずそういう姿を晒してくる。
知って、減滅するかもしれないのに。
そんなことは全く考えもしてないように。あの人は、伝説の人だから自分がここまで慕われるだけだと言った。悔しいけれどあたしにはそれを否定できるだけの事実を出すことはできなかった。
それでもそれ以上に、あたしはあの人ならばきっとそこら辺にいたただの“コーティング屋のレイさん”だったとしても、今と同じように好きだったと想う気持ちがある。むしろそうだった方がこんな気持ちにならないですんだのに、と恨めしく思うことさえある。
そうだったとしたら出逢えていないかもしれなくても、きっと今よりも素直に好きだと伝えられてられていたのに。そう思ってしまう。

他のああいう“その他大勢”があの人に話しかけて微笑むお姿を見るだけで、自分は違うのに。と歯痒くなる。違うことを他でもないあの人自身が許してくれているのに、そこから先の特別になれないことへの焦燥感が締め付けてくる。
遠いから苦しい恋だった。なのに近くなったら切ない想いになった。
もともとあの子達“その他大勢”と何ら変わらなかった。あっち側にいたからあの子達の気持ちなんて誰よりも解る。けど、あたしはもう二度とあっち側には戻ることはできないところにいるのだ。

「あ。あー、あのっ」
いつも通りあたしのブースの前を通るレイリー様に声を掛ける。手持ち無沙汰と言うかバツが悪くて咄嗟に手元にあった茶壺を持って立ち上がる辺りが情けないことこの上ない。それでもたった一言呼びかけることが、こんなにも難しくて緊張してしまうことで身体中が破裂しそうに脈打っていくのが判った。
「レイリー……様」
好きな人の名前だけ呼べない。例えこんな情けないことがなくても、目の前にいるのに呼ぶなんてことは相当の事で真っ白になる。
それでも立ち止まってくれた人が微笑んであたしを見てる。早くしないとシャクヤクさんが来てしまうのを分かっているのに、このままいたくて何も言えなくなりそうになるんだ。

「誕生日……、お渡ししても構いませんか?」
「え?あ、ああ」
もっと話したいことなんて山程あるのに何一つ伝えられていない。じゃあ、この次の機会に。なんて言ってたらいつになるかわからないくらい無いことかもしれないのに、それが解っていても最低限のことしか伝えられない。
少なからず驚いた様子でレイリー様がこちらを向いた。ただでさえあたしから話しかけることがないのに、ここで話しかけることなんてもっと無い。だからか妙な間が空いてしまったのだがそんなことを気にしている余裕はない。
「コレ、よかったら貰って頂けませんか?」
何かを贈りたいと思った。
けどきっと欲しいものなんて何もかも持っていて、あたしが贈らなくてもきっと誰かが今まで贈ったことのあるものなんだろうと思う。
それ以上に何か本気のものを贈ってしまってはきっと優しい人だから困らせてしまう
、それが解る。同時に隣にいる人に見られることよりもその隣いる人にも迷惑にもなりたくない。そんな偽善的なことを本気で思う。
だから、大したものなんて贈れなくなった。それでももう物で勝負なんて次元じゃない、そんな縋るような自惚れに頼った。

「お誕生日、おめでとうございます……レイリー様」
久し振りに目を見て言った。
なんて、穏やかに微笑むのだろう。
思わずそう思った。眼鏡の奥で眩しそうの細められる目が優しくて何もかもが止まってしまえばいいと願った。
「ありがとう」
短くそれだけしか言ってくれないことなんて分かっていたけど、何処かで期待していた自分が砕かれたような気がして包みを渡す手が心なしか震えた。

「たまには」
「え」
「たまには、こうして話しかけてくれないかな」
どうして、こうやって現実はあたしの理想よりもずっとロマンチストなのだろうか。
「迷惑ならばとっくに遠ざけてる」
「あ……」
どうして、この人は決まってこうあたしの望みよりも遥かに嬉しい想像もしないことを教えてくれるのだろう。
「だから君のいい時でいいから、もう少しだけ近くにおいで」
何も聞こえなるくらい自分の心臓の音がうるさいと思った。それからこの気持ちを伝えることが許されていない自分を制することができないとも。
「じゃ」
行ってしまうのは、あの人の処へなんだ。そんなことは分かってる。一番分かってる。
けど……

「レイリー様!」
振り向かなくていい。その背中でいいから聞いてほしい。そうでなければきっともう止まらない。けどそんなのは本当は望んでいないと解られているかのように振り返られる。
風になびいた髪を押さえて後ろから差し出でる陽の光がさながら絵画のように映えて、 話しかけてはいけないような神々しささえあった。男の人に美しいなどというのはおかしいことなのかもしれないのだが言葉で形容しようとすればそうとしか言えない。
それがたまらなく愛おしいと思った。この瞬間は自分のものだけだって思っていいその状況に思い上がって向けてくれる視線に奢って、気持ちだけで想いが形として出ていく。
「いつだってあたしは今日の今が、一番嬉しいです。いい時なんていつもに決まっていて、その……お誕生日なのにあたしが嬉しい事ばかりでどうしていいかわからないけど、何も違うような気がして大したものじゃいけないから罪のないものって思ったんですけど、でも!ありがとうございました」
一気に言って頭を下げた。訳がわからないことを言ってしまったのは分かっているのに余計なことを言ってしまう。

「ありがとう」
もう一度聞いたその言葉は少しだけ柔らかくなった表情から出たものだった。
頷くその人が心なしか満足そうに見えた。だからそれ以上は今日は構わないと頭を下げた。

銀糸のふわふわした髪と白い上着が風になびいていく。
何が好きなのかと問われれば、その答えをあたしは持っていない。
どうしてあの人なのかと問われれば、その答えは一つだ。よくある“海賊王の右腕・冥王 シルバーズ・レイリー”その人だから、なんて酷いことなんかじゃなくて。

知らない世界をあたしにくれた。
ずっと嫌われてたあたしに、あたしがいてもいいという自信をくれた。
奇跡も偶然も運命もあるんだって教えてくれた。
飛び込めば応えてくれる現実があることを教えてくれた。
可能性がある限り縋れば無駄ではないと応えてくれた。

伝説の人なのは知っている。
今だって皆に声を掛けられてたり、先刻のようにこの海にいる海賊達の殆どが憧れる存在だったり、如何に凄い人なのかは知ってるのに。
あたしなんかのことを認識してくれている。
あたしなんかの手紙を読んでくれている。
それだけでもこれがどれだけ大それたことなのか解らなきゃいけない。
数年前の自分が今のあたしを知ったらどうしたらそうなれるのか信じないと思う。それどころか嫉妬で発狂してしまうだろう。

自分だけに笑いかけてくれる、きっとそんな関係にあった人なんて何人もいる。
だけどそれだって限られた人で、こんな何の変哲も無い自分になんて起きることじゃないと思っていた。あたしだって“その他大勢”の一人でしかなかったのにこんなことが許されるようなところにいる。
この現実にいつだって溺れそうになるからどうしようもなくなる。
いつも夢のような現実があたしの当たり前になったから、今日くらいはその人が遠くて近くでいいと思いたかったのだ。

「好きです、レイリー様」
呟いた。何もかもが、大地からのシャボン玉のように消えなければいいと思った。

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