氾濫する言葉

□  宮部が挑発する
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本土からの転入生――景浦介山の母親はもともと島の人間であり、その折の彼女には婚約者がいた。
ところが、ちょうどそのころ、組織に追われて島へ高飛びしていた一端のヤクザの男に淡い恋をした。
また、その男というのがじつに役不足で、いたく人柄がよく、心優しい好青年だったのだという。
しかし、いくら人がよかれど、所詮は暴力団関係の男。島の住民がそれをタダで許す筈がなかった。
ましてや、景浦の母は婚約者が在る身。とうぜん、島の人間は猛烈な反対をした。
そこで、その男と若かりし景浦の母は、ついに駆け落ちという名の強行手段に出たのである。
そうして、本土へ逃げるように渡ってから間もなくして生まれたのが、ひとり息子――介山であった。

ただ、その後、幾許もなく景浦の父親は組織に見つかり、あっけなく「始末」されてしまったのだった。



井崎がその件について景浦の母親から聞かされたのは、ほとんどなりゆきだった。

夕飯の材料のおつかいを頼まれたところ。海の幸が豊富な直売所が軒並み連ねる賑やかな市場の一角。

本来ならば1匹100円もせずに購入できる穴子を、1匹500円で買わされようとしていた景浦の母。
ぼったくりだ。と抗議する彼女に商店の店主は馬耳東風。あろうことか、迷惑そうな顔をして突っぱねた。
それに理不尽を見た井崎は、足早に駆け寄って、馴染みの店主に一喝を喰らわせたのだった。



都会に住んでいたころの景浦には、友達と呼べるような相手は存在しなかった。つねに独りだった。
それを心配した景浦の母は、この島でなら友人もできて自由闊達に育つのではと考えたのだ。

しかしながら、その脳裏に彷彿と蘇るのは、この間、井崎がさしのべた手を放棄した際のハイライト。
介山には、かえって心苦しい想いさせちゃっただけかもねえ。
吐露された言葉と、値下げされた穴子の他にもオマケされたアジが入った白いビニール袋。
隣を歩く景浦の母の持つそれががさがさと揺れるたびに、井崎はなんとも言われぬ焦燥感に焦がされた。



「なんであんな奴つれて来たんだよ」



漂着物のひとつだって見あたらない真っ新な白い砂浜。どこまでも広く澄み渡った真っ青な海。
穏やかにそよぐ生あたたかい風がみなもを揺らして、太陽からの惜しみない直射を海面に反射させる。

その週の休日。井崎によって嫌々海岸につれてこられた景浦を見た小山の第一声がそれだった。

磯のいたる箇所に点在する潮溜まりの中で嫋やかに揺らめく磯巾着を、宮部が指で容赦なく突き潰す岩場。
砂浜からこっちを睨む景浦の耳にそれが届いているかは否として、井崎は小山の肩をど突いた。



「小山が一番気にかけてたくせに」

「そ、それは井崎が――――」



自分のことに関して頓着を見せない井崎を相手に、小山の間接的な妬心は最早ただの独り相撲である。
焦れったい。つい口走りそうになった愚痴を噛み砕いて、宮部は景浦に目をやった。

太陽からの直射に焼かれた白い砂浜の中で突っ立つ景浦は、手持無沙汰にしばらく放置されたまま。
惹かれる。
あれがこの島に越してきた日から恒常的なその不機嫌な顔が、宮部にはなぜかしら好ましかった。





「宮部さーん」



海面から顔をのぞかせて叫ぶ井崎と小山に、宮部は海抜8メートルのそこから手を振って応えた。

場所は替わり、数多の潮溜まりが在る岩場からそんなに遠くないところにそびえ立つ天然の飛び込み台。
打ち寄せる波に壁面を深くえぐられたそこは、島の子どもたちの間では有名な度胸試しスポットだ。
そして、まさしくそのてっぺんに、もっぱら切羽詰まった笑い方をする宮部と、ほんに青褪めた顔をした景浦はいた。

海は本日もいたって穏やかであるが、いかんせん高路が高路。大人でさえいったん足を竦ませるのがザラだ。

いまにでも飛び込める位置に立つ宮部とは反対に、崖縁から幾分と離れた場所にいる景浦。
都会出身。尊敬する偉人は、二天一流の開祖でもある剣豪・宮本武蔵。座右の銘は剣禅一如。
まして、これまでろくに海を見たことすらなかったと言う景浦がそれを渋るのは妥当な反応だった。



「景浦くん」



宮部が景浦の名を呼ぶ。それに釣られるふうに、俯いていた景浦の顔が擡げられた。



「かげうらくん」



もういっぺん、その音を堪能するために呼ぶ。すると、今度は互いの目がぶつかった。



「――――みやべ」



島へ移住して早数日。ようやく鼓膜を震わせた沈着な声は、随分と不慣れな調子で宮部を呼んだ。

うれしさにゆるむ唇を照れ臭そうな笑顔に転換するのは余裕綽綽。
そうして、高鳴る胸の内をとんと隠して、宮部はぱっと踵を返すなり、青く澄んだ海へ飛び込んだ。

躊躇せずに真っ青な海中へ飛び込んだ宮部の躯体を覆うように纏わりつくのは、大量の零細な気泡。
それらは、まるで微炭酸の如くしゅわしゅわと音をたててはじけ、宮部の聴覚を淡く刺激した。
堪らずにゴボッと吐き出した二酸化炭素の塊は、太陽光に反射してきらめく海面にのぼる。
その様子を海底から見届けた宮部は、近場の岩を軽く蹴りあげて、新たな酸素を求めるべく浮上した。

濡れて額に貼りつく前髪は短くて、小山のようにヘアバンドで掻き上げるためには足らない。

火照る顔で見仰いだ先では、惚けた面をした景浦が喰い入るようにしてそこからこ宮部を見下ろしていた。



「景浦の奴、大丈夫ですかね」

「景浦ー、無理すんなよー」



景浦に挑発的な喋りをするかたわら、なんだかんだで心配を口にする小山を、宮部は好ましく思う。
如何にけんもほろろな態度をとられても、不貞腐れずに声をかけ続ける井崎を、宮部は好ましく思う。

しかし、その憂いも束の間。景浦はこつぜんと岸壁の頂から消えて、かわりに破裂音があたりに木霊した。



「…………は?」



突然、予期せず目と鼻の先で噴き上がった水柱と水飛沫に、しばらく脳が状況の把握に手古摺る。
けれど、その間にも荒立った海面は次第に落ち着きを取り戻して、もとのもの静かな海へ還ってゆく。
そうして、波が充分に鎮まったころ。やがて海面に広範する波紋の中心に、ひとつの人の影が浮かび出た。

一呼吸。

閑古鳥が鳴きそうなそんな中で、誰よりも早くに状況を把握し、海面に浮遊するソレを認識したのは、小山だった。



「か、景浦ぁぁあああ!」



一帯に轟いたすさまじい絶叫が宮部と井崎の耳を劈き、飛んでいた意識をたちまち呼び戻す。
めったにない小山の絶叫でようやくわれにかえった宮部は、見事な腹打ちで着水した景浦のもとへ急いだ。

へたに挑発するんじゃなかった。



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