氾濫する言葉

□  景浦が睨む
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――――翌日、フェリー乗り場。

波の穏やかな海を背後に、防波堤を盾にしてフェリー乗り場付近を凝視する小さな人影が3つ。
無造作に積まれた足場の不安定なテトラポットを踏み台にして、行き交う人々の往来をじいっとうかがう。

宮部を中心に置いて、右に井崎、左に小山。小山にいたっては、双眼鏡を持参する気の入れようだ。



「あれかな」

「どれです」



井崎が遠慮がちに小さく指をさしたところには、大仰にも人一倍に粧しこんだひとりの中年女性。
たしかに、女性のそばには彼女の息子と思しき少年がおり、その両手には大量の紙袋が提げられている。
しかし、そこにはいまひとつ宮部たちの思う都会人が放つ「都会感」や「オーラ」が感じられない。
どう見ても都会人からはほど遠く、本土からの買い物より舞い戻った島の住民でしかなかった。

あの東京から来るのなら、もっと小洒落た親子に違いない。と双眼鏡を覗き込みながら小山が言った。
露骨に肩を落とす井崎を横目に、宮部はそっと息を吐き捨てて、首をゆるく横に振って笑った。
ところが、その途端。「待ってました!」と言わんばかりに威勢のいい女性の声が、3人の耳を劈いた。



「うーわ、暑い。磯臭い、田舎臭い、潮でベタベタする!」



――――間違いない、アレだ。

ぴこぴこハンマーで叩かれたもぐらさながらの機敏さでいったん防波堤の裏に引っ込んでプチ会議。
まるで、ご近所の夫婦問題に花を咲かせる井戸端会議中の奥様たちのように体を寄せて、ひそひそ話。

ふいに、3人の頭の上に、ひとつの人の影が覆い被さった。その影にみんなが気がついたのは、しばらくしてだった。
途端、まるで石のように固まった井崎と、きゅっと黙り込んだ小山。そして、あくまで寡黙な宮部。
這う影を辿って立ち上がった宮部が見たところにいたのは、遠路はるばる海を渡ってきた女性。
また、こちらをのぞくその女性は、彼女を仰ぎ見た宮部と目が合うや否や、人懐こい顔に破顔した。



「君ら、島の小学生? 何年何組?」

「……5年生です。学級はひとつしかありません」



驚愕に声無き悲鳴をあげる井崎と小山を余所に、宮部は堂々とした調子でその問いに答えた。
すると、女性はそれに満足したようにひとつ大きく頷いて、自分の後ろからひとりの少年を引っぱり出した。



「この子、景浦介山。君らと同級になるから、仲良くしてやってね」

「…………」



ほら、介山。の言葉と一緒に、自分の母親によって無理やりに宮部たちの前にせり出された少年。

深く刻まれた眉間のしわ。一文字に結ばれた唇。不満たらたらな顔つき。たっぱのある大きな体。
きわめつけは、そこに見るもののすべてを端から牽制するかのように睨む切れ長の眼。
少年――景浦は、その不機嫌顔をぴくりともさせず、宮部をはじめ、井崎や小山を睨みつけた。

景浦のその横着な態度が癪に障ったのか、小山はそれを隠しもせずに非難のほどを宮部に耳打ちした。
そのいっぽうで、井崎は小山とは反対に防波堤を身軽に越えると、物怖じせずに景浦に歩み寄った。



「俺、井崎源次郎。こっちの長身が宮部さんで、その隣が小山。よろしくな」



井崎の簡単な紹介に品良く会釈をした宮部と、あからさまな舌打ちをこぼして顔を避けた小山。
景浦も一応はそこから宮部と小山を見たが、だからといって愛想をよくするわけでもない。

ところが、井崎が握手をもとめて手をさし出したとき、わずかばかりだが牽制の眼差しが怯んだ。
しかし、その異変に井崎が声を発するよりも早く、景浦はまたもとの不機嫌顔をそこに貼りつけた。
そして、さし出された手をさめた眼で一瞥すると、鼻を鳴らしてそっけなく視線を余所にやった。





「かんじ悪ィ奴」

「まあまあ小山くん、そう言わず」



遠ざかる景浦親子の背中を見送り終えた途端、まるで堰を切ったように小山が文句を吐露した。
それを宮部がやんわりと咎めるが、その顔はほとほと困り果てたふうで、そう満更でもなさそうだ。



「人見知りってやつかな」



握り返されることのなかった右の手を無意味に開いたり閉じたりしながら、蚊の鳴くような声で井崎が言う。



「けっ、あの顔で人見知りってタマかよ」



防波堤の上を歩く小山は、いまだ景浦への不服が尽きないようで、鳥の嘴みたく唇を尖らせた。
その姿は、まるで融通の利かない子どものようだ。そんな小山を見て、宮部は堪らず笑った。

陽射しはさっきに比べて幾分やわらかになったが、5分も外に立っていれば汗をかく蒸し暑さはちっとも変わらない。
たった7日の尊い命をいっしょうけんめいにまっとうする油蝉の鳴き声は、やがてつくつくぼうしの鳴き声と入れ替わる。
港沖では、汽笛を鳴らすフェリーが無数の漁船の間を縫いながら漁港を出て行くのが見えた。

幼馴染たちの後ろを歩く井崎には、握手をもとめた際の景浦の困惑したような顔がどうしても忘れがたかった。



後日、母親の予告どおり、景浦は宮部ら幼馴染3人組の所属するクラスへ転入した。
しかして、この間の威圧的な態度は健在しており、景浦少年はさっそく浮いた存在となった。
転校初日から腫れ物になってしまったのだった。はて、以前の学校でもそうだったのだろうか。

もっとも海岸に面したベランダ側。教壇を基準に前から3列目。そこが景浦のために設けられた座席。
授業中はもちろん。休み時間に手洗いに立つより他、景浦が席をはずすことはなかった。

そして、宮部たちが遠巻きにその様子をうかがって、景浦に声をかける機会を計りかねていた真っ只中。
あの親子に関わるとろくなことがない。と島の大人たちが言っていたという話を同級生のひとりから聞いた。
それは、嘘か本当かもさだかではない、根も葉も無いただの噂話。

宮部、井崎、小山の3人は顔を見合わせて、どれも似たような沈痛な面持ちで景浦に目をやった。



大人は事ある毎に道徳をすすめ、子どもにビデオや教科書を説かせては虐めや差別の悪を語る。
そのくせ、自分たちは自分のおこないを棚に上げ、素知らぬ顔でその悪を平然とやってのけるのだ。

嗚呼、なんたる矛盾。奴らはじつに狡い生き物だ。



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