氾濫する言葉

□  小山が出遅れる
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――――七月某日。

澄み渡った青雲を無数の海鳥が飛翔し、純に青く透きとおった海の底では藻が潮の流れにたゆたう。
そこここに見渡せる青々とした山々は威風堂々とした態度をそのままに、飄々としてそびえ立つ。

本土からしばらく離れた小さな島。年々次第に過疎化が著しく進む、瀬戸内の海に浮かぶ狭い離島。
そんなこの島に、今度、はるばる本土の都会から自分たちと同年代の転入生が引っ越して来るらしい。
という話を井崎が幼馴染から耳にしたのは、ただ、ひたむきに海岸沿いを歩く下校の最中であった。



「男ですかね、女ですかね」

「さあ。それは私にもわかりかねます」



おおむね、いまどきの小学生には似つかわしくない丁寧な調子でやりとりされる素朴な会話。
ふたりの間ではそれがつねであるのか、どちらとも気に留めた様子もなく各自宅への帰路を進む。

転入生が男か女かを興味本位で問うた井崎のそれに答えたのは、その半歩前をゆく宮部だった。



じりじりと真上から照りつける太陽は、肌を焼かんばかりの熱射を地上へさんさんと容赦なく注ぐ。
証拠に、ランドセルを背負った井崎の背中は、止めどなく噴き出す汗にシャツをびっしょり濡らしていた。
おまけに、どこぞから聞こえてくる蝉の大合唱が、その暑さをより膨らませている気がした。
ちらっと横目に様子をうかがってみた宮部は、汗だくの井崎とは反対にえらく涼しげな顔つきをしている。
まるで灼熱など微塵も感じていないようで、その額や首許には汗のひとつだって浮いていないのだ。

宮部の前世は、きっと、つめたいものを専門に扱う魔法使いだったに違いない。

ときどき一帯に吹き抜ける磯の香りを乗せた生あたたかい夏の風が、宮部と井崎の黒い髪をくすぶっていく。
その風にゆるくはためいては陽のひかりに白く反射する宮部のワイシャツに、井崎は目を細めた。



「どちらにせよ、仲良くなれるといいですね」



歩くことを止めないまま、小高い防波堤越しにかなたの水平線を眺めながら宮部が呟くように言った。
その口許はわずかばかりに唇がつり上がっていて、井崎は釣られるようにして水平線に視線を投げた。

薄い青と濃い青のまじわるところ。浅い青と深い青のまじわるところ。それらがひとつになることは金輪際ない。



「おーい。宮部さーん、井崎ー」



ふいに、突然はるか後方より叫ぶようにして呼びかけられて、宮部と井崎はその歩みを止めた。
いったい何事だ。とふりかえったところから、ひとりの少年が全速力でこちらに駆け寄って来るのが見える。

揺れる衝撃にがちゃがちゃと鳴るランドセル。地面を強く叩く某有名ブランドのスニーカー。

やがて、その少年が自分たちのよく見知った人物であることがわかった宮部は、顔をやわらかに綻ばせた。
その隣では、宮部と同じように走ってくる少年の正体を掴んだ井崎が右腕を挙げて大きく手を振ってみせた。



「おー、小山ー」



小山と呼ばれたその少年は、ようやくふたりのところに辿り着くと、両膝に手をついて乱れた呼吸を整えはじめた。
深くうなだれた拍子に額に浮いた汗が足許にこぼれ落ちて、そこに無数の小さな染みを滲ませた。

暑苦しい蝉の大合唱のかたわらで海鳥たちの涼しげな鳴き声が混ざり、さざ波が耳の鼓膜を揺らす。

今日び、クラスの日直を務めていた小山は、日誌を担任に提出するなり、すぐさま校舎を飛び出した。
そうして、先に下校することをうながしておいた幼馴染たちにいましがたやっとこ追いついたところであった。
ゆえに、自分が追いつくそれまで宮部と井崎が何について何を話していたのかなんてもちろん知る由もない。
息もたえだえに火照った面をはじかれたように上げて、得意気な顔をしてここ一番の速報を発表した。



「大ニュース。今度、島に東京から転入生が――――」

「ええ、知っていますよ。ちょうど井崎くんと話していたところです」

「げえ、マジですか」

「小山の情報はいつも半周遅いよな」



残念。せっかくの速報だと思っていたそれは、すでに宮部も井崎も知り得ている情報だったらしい。
あっけなく出鼻を挫かれたしまった小山は、一瞬腑抜けた顔をしたものの、途端に苦虫を噛み潰したように笑った。
俺が知ってて、ふたりが知らないわけがないよな。と頬を掻いて、ちょっぴり照れ臭そうにはにかんだ。

基本的に大概は3人でひとつ。仲良し幼馴染3人組が揃ったところで、下校の海岸沿い道中がはじまった。

澄み渡った青雲を無数の海鳥が飛翔し、純に青く透きとおった海の底では藻が潮の流れにたゆたう。
そこここに見渡せる青々とした山々は威風堂々とした態度をそのままに、飄々としてそびえ立つ。
どこまでも続く水平線を背景に置いた漁港からは、見知った漁船が出たり入ったりをくりかえしていた。



「担任に聞いた話では、明日の15時のフェリーで来るみたいですよ」

「なるほど。では、その転入生とやらを偵察に行ってみましょう」

「……宮部さんて、わりと好奇心が旺盛ですよね」



蒼空に泳ぐ純白の雲。海底を臨むことができるほど美しい海。気持ちを落ち着かせる磯のにおい。
宮部と井崎と小山。なんらいつもと変わりない島の日常と、変わらない幼馴染がそこにある。

小山からの新しい情報にひとつ頷いた宮部からの提案は、3つの笑顔の中に取り込まれた。
ならば、明日の学校終わりに港のフェリー乗り場で待ち合わせ。
誰かが言わずとも、おのずと早速取りつけられた約束事。明日もまた、この3人で遊ぶための約束事。
顔を見合わせて笑い、そうして、やがて来たるいまだ見ぬ都会からの転入生に3人は心を躍らせた。



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