NOVEL(FFW)
□シルフ
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軍の基地内で夜明け近くに警備の交代が行われた。
バロンには珍しく霧が濃くかかっていて、少し先の視界も利かなかった。
黒い騎士の幽霊が出るという噂を思い出して、交代に向かう陸兵は気味が悪く感じた。
先に警備を受け持っていた陸兵に交代を知らせると、微かな酒気を感じた。陸兵は苦笑いした。
「こんな時に酒なんていい度胸だな。
エブラーナの王族や竜騎士団長も拘束されているのに、何かあったらどうするんだ」
「これは攻撃力を上げる為の魔法の酒さ。ここは軍の中央部だからどうせ何も出やしないだろうけどな」
酔って浮わついた陸兵が交代して宿舎に帰ろうとした時だった。
霧の向こうから黒い外套に身を包んだすらりと背の高い騎士が靴の足音をさせながら近づいてきた。
二人は剣を構えた。
「待て、軍の者か?」
一人の陸兵が話しかけると男は足を止めた。
「召集された兵ですが、この霧で道に迷いました」
黒い騎士は背が高いので男だと思っていたが、声は透き通った女のものだった。
「暗黒の騎士か。こんな時間に召集か?」
二人の陸兵は疑惑を感じた。
酔って気の大きくなった陸兵の方は、からかうように騎士に尋ねた。
「暗黒の騎士は人の生命力を吸うと聞いたが、本当なのか?やってみて証明したらどうだ?」
「おい、やめろ」
もう一人の静止も聞かずに酔った兵は騎士の顔を隠すマントを払い落とした。
二人の兵は息を飲んだ。
明け方の月のように青白くて美しい女が、宝石のような紫の瞳で二人を見ていた。
女の薔薇のように赤い唇が静かに言葉を発した。
「本当の暗黒剣なのですから試してみればあなた方は死にますよ」
女はそういって剣の柄に手をかけた。
陸兵は以前美しい女の死体に取り憑いた魔物を見たことがあったが、その目に魅入られたときと同じ寒気を感じた。
気がつくと酔っていたほうの兵が地にひれ伏して震えていた。
「お、お許しください…セシル様…」
女が側を通り過ぎても二人は暫く動けずにいた。
「一体何だったんだ。今のは…」
地面の兵士にようやくもう一人が話しかけた。
「あれは…セシル様の亡霊だ。昔見たことがあるから間違いない。
俺が不真面目に警備をしていたからお叱りに来られたんだきっと…」
死人のように青い顔で兵が呟いた。
セリアは召集場所に向かいながら胸をなでおろした。
セオドールからもらった左利き用の漆黒の剣を使わずにすんで安堵した。
勇猛なバロン兵を二人も相手をするのは避けたかったので、はったりが通じてよかったと思った。
カイン達が拘留されている場所が気になって探していたら霧の中で方向を見失っていたのだ。
暫くして先に召集場所に来ていたリシアと合流した。
身分証明が行われる高等研究所はバロンの都市部から離れた南西にあったので、
そこを目指して出発することになった。
「この霧の中を出発するのは危険じゃないか?」
リシアは護衛の陸兵たちに尋ねた。
「高等研究所から霧にも目の利く者が迎えに来るので大丈夫です」
陸兵にそういわれて二人は従うしかなかった。
「…もし君が聖騎士になれてバロンに戻れたら、私達と一緒に暮らさないか?」
リシアは道の途中でセリアに話しかけた。
「そしたらセオドール様も喜ぶだろうし、何より私も安心するんだ」
リシアの言葉にセリアは戸惑いの表情を浮かべていた。
「すまない…急にこんなこと言っても決められないよね。
すぐにでなくてもいいから考えてほしいんだ」
「ありがとう。考えるわ。それにリシアはまるで私の…」
セリアは微笑した。
「私の本当の兄さんみたいで嬉しいわ」
リシアは無理に笑顔を浮かべた。
「そうだね…いっそ本当の兄だったら良かったのに…」
リシアは寂しそうに呟いた。
そう話しているいる間にも、護衛の陸兵たちは加勢する必要もないくらいの働きをしていた。
その様子を伺いながら、さっきは屈強なバロン兵と戦わなくて本当に良かったとセリアは感じた。
正午近くになり、空には霧の合間に淡く日の光が見え始めた。
「迎えの者が来ました」
陸兵がそう言うと、セリア達の前に、鮮やかな赤い髪の兵が霧の中から姿を現した。
「ルベリア…?どうしてあなたが」
現れたのセリアの幼馴染の王族のルベリアだった。
ルベリアは長い艶やかな髪を後ろに翻らせた。
「暫く高等研究所の護衛の任務に着くことになったの。
だから霧の幻獣を使って守ってるのよ。あなた達を安全に案内するわ」
ルベリアはそう言ってセリア達の前方を歩き出した。
セリアはルベリアの方へ向かって行った。
「ねえ、ルベリア。顔色が悪いわ。大丈夫なの?」
ルベリアは額を押さえた。
「ここの所召喚魔法を使いすぎているから少し疲れてるけど、こんなのなんでもないわ」
カーバンクルが宿っている赤いクリスタルの髪飾りが、ルベリアの頭の上で鈍い光を放っていた。
「きれいな髪飾りね」
「う」
セリアが触れた途端に、赤いクリスタルは重い音をさせてルベリアの髪から落ちた。
ルベリアは力を失ってくず折れた。
「だ…大丈夫?」
セリアがルベリアの体を支えると、その赤い髪が生き物のようにセリアの首とに巻きついて締め付けた
。リシアが気付いて何か言う前に、長い髪が舞い広がってセリアとルベリアを包んだ。
ルベリアの髪がセリアの帯刀している剣に巻きついて鞘から抜いたので、セリアはその刃を両手でつかんで止めた。
セリアは髪に魔法をかける魔物がいたと昔聞いたことがあった。
その魔法に対抗できるのは確かあの人だったが今はいなかった。
剣を渾身の力で止めようとしたが、徐々にルベリアの首めがけて沈んで行った。
魔法はルベリアの方を狙ったもののようだが、何故自分が触れて発動したのかはセリアには分からなかった。
刃先が篭手を壊して食込み始めてセリアは焦りを感じた。
「ルベリア…起きて!」
話しかけてもルベリアは眠りについて何の反応もなかった。
頭上で羽の羽ばたくような音がして、誰かがセリアの両手をつかんだ。
「大丈夫か?」
何故側でカインの声がするのだろうかとセリアは朦朧としながら思った。
カインはもう片方の手でルベリアに髪に落ちていた赤いクリスタルを押し付けて言葉を呟いた。
何故か陸兵の姿をしたカインが側で風の魔法を呟いていてセリアは目を見張った。
「来てくれたのね」
すぐ側で青い瞳が一度セリアの方を見て、またクリスタルに視線が戻った。
空気の裂ける音がして、ルベリアの髪は肩の辺りで見えない何かに切り離された。
鮮やかな赤い髪は魔力を失って地面に落ちて広がった。セリアは咳き込みながらカインを見上げた。
「ありがとう。…来てくれると信じてたわ」
カインは片膝を付いているセリアの手をとって引き上げた。
「でも、どうして?軍に拘留されていたのではなかったの?」
「よく似た身代わりを立ててきたから大丈夫だ。怪我はないか?」
「大丈夫よ。陸兵に変装して付いて来てくれたのね」
「ああ。敵に知られないようにもう少し隠しておきたかったが、ルベリアの手当てのために迎えの竜を呼ぶことにする。
君はどうする?引き返すか?」
「カインがいてくれたら大丈夫よ。このまま進みましょう」
リシアは何気なく会話をしている二人に見入っていた。
二人は互いに見慣れているのだろうが、本当に現実にこんな美しい人間が二人も存在するのだろうかと信じられない気持ちだった。
「お二人ともまるで太陽と月みたいにお美しいですよね」
陸兵の姿をした男がリシアの側でしきりに感嘆していた。
「え?…ええ、はい」
王族は美しい人間が多いと聞くが、目の前の二人は特別のようにリシアには思えた。
仲良く話している二人を見ていると、自分の入り込めない絆があるように感じられた。
「お二人ともまるで恋人同士みたいですよね」
リシアの側の男は笑顔で二人を指差しながら囁いた。
「え…ええ、そうですね」
どこかで見た顔だと思ったら、男は竜騎士団の副団長だとリシアは思い当たった。
「ルベリアが呼んでも起きないから、魔法にかかっているのかもしれない。
眠気をとる薬草を探してきます。確かこの辺にあるはずです」
セリアは森の方を目指そうとした。
「俺も一緒に行く」
「では私も…」
カインとリシアがそう言った。
「…じゃあカインには聞きたいことがあるし、一緒に行きましょう。
リシアはルベリアを見てて貰ってもいいかしら」
リシアは寂しそうに頷いた。
「ここは私達が見張ってますから安心して行かれてください」
副団長はルベリアを介抱しながら笑顔で二人に手を振った。
森に着くと薬草を探しながら二人は話した。
「ではカインの縁談の話は間違いだったのね…」
「あいつらは話を少し曲解したようだな…どうしてそう解釈したんだろうな」
セリアはアルマスとベリルから聞いた話をカインに尋ねたら一笑されていたのだった。
薬草を探すセリアの手を不意にカインが掴んだ。
「それで、その間違った話に動揺して手を怪我したのか?」
棘の傷は黒く変色して治りが悪く、篭手を外すと目立っていた。
「そうだけど、よく分かったわね…」
カインは目を細めた。
「いや…言ってみただけだが、本当にそうだったのか」
セリアは青くなった。
「バロンの兵士として情けないわ。いついかなるときも冷静でないといけないのに、私は未熟ね」
カインは微笑した。
「初めから完璧な人間なんていないさ。これからは俺が君が傷ついたりしないように助けるから大丈夫だ。
だがもし俺がいない時に誰かに何か言われても動揺して惑わされるな。
…自分が何者であるか決めるのは自分自身だからな」
立場の自覚が足りないと叱責されるかと身構えていたのにセリアには意外だった。
今日は過剰に優しいから離れている間に心配されいたのだろうかとセリアは思った。
「ありがとう。そんなふうにいつも助けてくれて」
「俺がそうしたいだけだから気にするな。…俺は君が幸せになれるまで側にいるから」
まるで幸せになれたらいなくなるような言い方に聞こえてセリアは不思議に思った。
「私は結局はバロンに戻るだろうから遠くには行かないわ。
魔法やほかにも教えてもらいたいこともたくさんあるから、側にいるよ。
…カインが迷惑でなければだけど」
「…そうだな。これまでも一緒だったし迷惑なんかじゃない」
セリアもカインに微笑み返した。
「ここには薬草はなさそうだから場所を変えましょ…うっ」
セリアは立ち上がって移動しようとしたら木の枝の方向に引っ張られてのけぞった。
振り返ると一房の髪が木の枝に巻きついて結び付けられていた。
「いつの間に…」
セリアは引かれた部分を剣で切ろうとした。
「さっき呼び出したシルフの仕業だ。まだ残っていたようだ」
「シルフ?」
「風と空気の妖精だ。ルベリアの髪を切ったのもシルフ達だ。君のことが気に入ったらしい」
カインはそう言って枝のセリアの髪を解いた。
芯のある髪は癖がなくて、すぐにカインの手から滑り落ちた。
「そういえば君も左利きだったな。聖騎士になれたら俺の剣をあげられるんだが」
「そうね。…ありがとう」
セリアはカインを見上げた。
バロンの兵士の基準値を満たしているからセリアもかなり背が高いが、カインは更に5cm程は高いように見えた。
そのカインの頭に時計の形をした花が一束投げつけられた。
「探していた薬草…どうして」
セリアが頭上を見上げると、急にカインがマントを翻して目の前をふさいだ。
雨のように時計の形をした花が振ってくる音がして、音が止むと再びカインがマントを払った。
「シルフが薬草を探してくれたようだな。少し量が多いが」
カインは頭上の枝を見上げると何か魔法の言葉で会話しているようだった。
セリアには、枝の上で金の粉のようなものが煌いてみえるだけだった。
話し終えるとカインは落ちてきた薬草を数束拾った。
「薬草も手に入ったし、戻ろうか」
「うっ」
踵を返したカインに引っ張られるようにセリアはその肩に額をぶつけた。
驚いて顔を上げるとカインの髪の先とセリアの髪が結び付けられていた。
「大丈夫か?少しシルフのいたずらが過ぎるようだな」
睫毛も付きそうな近くで言われたのでセリアは思わず息を止めた。
何箇所か結びついている髪を二人で急いで解き始めた。
「…あのな」
暫くしてカインが呟いた。
「君の事は子供の頃から知っているし、今唐突にこんなこと言うつもりではなかったんだが」
カインは晴れた空のように澄んだ青い瞳をセリアに向けた。
「君は両親と俺が親しいから俺が君を助けていると思っているかもしれないが、
君が何者であっても俺にとっては大切な人間だ…大丈夫か?顔が赤いが」
セリアは息を止めたまま笑顔で何度も頷いた。カインは言葉を続けた。
「君がほかの誰かと幸せになってくれたらそれでいいと思っていたが、それは間違っていた。
自分の心に嘘をつくのはもう止める…俺も君が好きだ。他の誰にも渡したくない」
カインは解けたセリアの銀髪を肩に戻した。
手がセリアの頬を滑ってセリアは緩やかに目を閉じた。
「…大丈夫か!?」
聞き終わって酸欠で倒れたセリアは背中からカインに受け止められた。