SHERLOCK

□夜明け前
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人の気配がする。

ベーカー街221B、古いアパートメントの一室で。
ジョン・ワトソンは夢の内にそう思ったが、目を開ける事はできなかった。
なぜなら未だ夜は明けきらず、厚いジャガード織りのカーテンの隙間からは一筋の光も差し込んではいなかったのだ。

だがしかし、ジョンは明確にそう思った。

自分以外の誰かが、部屋の中に居る、と。

空気の流れがいつもと違う。
わずかな衣擦れの音がする。

必死で瞼を押し上げようと努力してみるが、それはまさに夢の中で走ろうとするような試みであり、彼は闇から這い上がる事ができなかった。
彼は悔しさに歯噛みする。

なぜならそこに居るのが誰なのかが、彼には分かっていたからだ。
いますぐに目を開けて、そのしゃくにさわる立ち姿を捉える必要があったからだ。

ジョンは動かない身体のパーツひとつひとつに、号令をかける。
動け、そして起き上がれと。

そして…死んだはずの友人の名前を呼べ、と。
そう、彼の名前を…。

…SHER…

脳裏にその言葉が響いたとき。
ぴくり、と彼の指が動く。
そしてそれが引き金だったかのように、ジョンはベッドの上にはね起きた。

「……lock…」

夢の続きを、唇が引き継ぎ、声にならない声を発した。
心臓が激しくうっていた。
視線が闇をさまよう。

彼は…どこだ?

ばかな…彼は死んだのだ…、いるはずがない。

冷静になるにつれ、ジョンは夢に抗ってまで現実に戻ってきた自分に腹が立った。
ただでさえ不眠気味なのに、自分から起きる馬鹿がどこにいる。
ジョンは自嘲気味に右手で顔を撫でた。
ざらりとした感触に呆れる。
ヒゲもそってないのか、俺は。

ジョンはベッドから降り、スリッパを履いてカーテンの方に歩く。
そしてそれを引き、わずかな隙間から外を眺める。
まだ昏い。
車も通らない通りは死んだように静かで。
そしてどこかが異様で、現実感を欠いていた。

ジョンは街灯の下に、おかしな帽子を被った男がいるのを見つける。

SHERLOCK…!!!

口に出すより先に、頭の中にそう響いた。
まるで…ファンファーレがなるように。
体中の血液が一気に沸騰した。

ジョンは弾かれたように部屋を飛び出し、リビングを突っ切って階段を駆け下りる。
体当たりするようにドアを開け、文字通り、通りに転がりでる。
冷たいタイルの上に肩をしこたまぶつけ、思わず痛みにうめき声をあげる。
だが視線は帽子の男を探してさまよう。
確かに見たんだ、街灯の下に。
呻きながらも視線を這わせる。

街灯の…下に。

オレンジ色の光に照らされて、男が立っている。

「シャ…」

声が、出ない。
彼の名を呼ぼうとするが、出るのは吐息ばかりだ。
胸が焼けるように痛く、立ち上がることすらできなかった。
次第に目がかすんでいく。

なぜだ。

どうして。

やっと…。

やっと会えたのに…。




闇の中に男が佇んでいた。
ベッドに眠るもう一人の男を見下ろして。

眠っている男はにわかに腕を伸ばし、何かをつかむような仕草を見せる。
それから…苦しげに眉をしかめ、なにか言葉を探すように唇をふるわせた。

見下ろしている男はそれをじっと確認する。
息をひそめて、ただじっと。
やがて彼は一度だけ瞬きして、それからくるりときびすを返した。

まるで、まだその時ではない、と判断したように…。



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