長編

□≪竜と右目と女の夢 二≫
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夢のような微睡みだった


柔らかい身体は、ごつごつした俺の身体に吸い付くようだった。
あのまま長い長い口吸いの果てに、半ば意識を失うようにして倒れ込んだ彼女を抱え込み、俺も眠りに着いたのだ

目が覚めたとき、その柔らかいからだの主が忽然と俺の腕から消えてしまっていて、飛び起きた
まさかあの暴漢に…?!
自ら死のうだなんてバカなことを?
などと嫌な思考が支配していく。
物置を出て、足早にごんべの部屋まで向かう

梵天丸様の従者という立場を、このときばかりは失念していた


部屋の近くまで行くと、梵天丸様のお声がして反射的に物陰に隠れた。
どうやらごんべが梵天丸様に着付けをしているようだった。

無事だった事への安堵と、なぜ一言も言わずに俺の元を去ったのかという怒りで、声をあらげそうになったがぐっと飲み込んだ


口の中いっぱいに広がる鉄の味。それはごんべの血の味だった。

「(嗚呼、俺は)」


いいようの無いほど、こいつのことをー…


「いってらっしゃい梵天丸」
「いってきます姉上!」

梵天丸様が道場に向かわれるのを見届けて、スッと後退した

甘い感情にとらわれるている場合ではない。

この離れに侵入するのには、まず城門をくぐらなくてはならない。しかし、城門には伊達輝政様にお墨付きをもらった一等兵士のみが警護を任されている。

昨晩の男は、どう考えてもその兵士達をねじ伏せるだけの力量を兼ね備えているようには見えなかった。
とすれば、


「城内部の人間であり、力を持たない、離れの人間をよく思わない男など」

限られているではないか

「………逃げられると思うな」


向かう先は本殿
できうることならばあまり近寄りたくはない「東館」

しかし、場合が場合だ。
何故ゆえ「今」こちら側に牙を向いたのか。
容易に想像は付くが、本人の口から自白させなければと、脇差しを強く握りしめて一歩を踏み出した。



****************





夕刻。
茜色に染まる空が美しかった。

そろそろ梵天丸が戻る時間だなと思い、夕餉の準備を進めているのだが。
とうとうこんな時間になるまで小十郎が離れにやってくることはなかった。


「(今日忙しかったのかな…)」


この時代の15歳というのは、現代での成人に匹敵するものらしく、
私が15歳だったときを思い返してみても、小十郎はよく働いているなと思っていた。

このお屋敷の当主様にも絶大な信頼を得ているらしい小十郎は、私から見てちんぷんかんぷんな巻物とよくにらめっこをしている。

それでも、梵天丸が帰ってくるころには汗だくになった梵天丸の汗を拭くために、道場の裏手側で待機をしているのに


「昨日も帰り、すごく遅かったし。何か大きな準備でもしているのかな」


自分でつぶやいた言葉に、はたと思考を止める。
そうだった。私は昨日、暴漢に襲われたのだった。

ぶるりと肩を震わせる。
外気の冷たさも相まってか、腕にはぶつぶつとしたさぶいぼが浮かんでいる。

あの時、小十郎が助けに来ていなければ。
あるいはもう少し発見が遅れていたなら。


私は自分の舌を噛み切って自害していたのかもしれない。


「(小十郎の体、大きくてごつごつしてた。15歳なのに、私より年下なのに。胸元に抱き寄せられたとき、あまいにおい……が……)」


あまいにおい?


自分の中の小十郎に矛盾を見出した。
この屋敷に来てからもう随分になるため、小十郎や梵天丸のことは目を閉じていても隅々まで想像できる。

しかし、昨晩の小十郎と、私の知っている小十郎とでは、結びつかない点があるのだ。

(突き刺さるまでの好意に近い眼差しや、抱きすくめる腕の強さなども以前とは明らかに異なっているのだが、そういうことではない)

【ねばつくような甘い匂い】だ

小十郎はとても清潔志向だ。
今の時代では高価な石鹸を、惜しむことなく賃金の中から買い付け、梵天丸や私に使わせるほどに。
部屋はいつでも片付いていないと気がすまないし、手が荒れても「匂いがするから」と香油さえ嫌う。

そんな小十郎から、インド物の小物を扱う雑貨店で炊かれているような香を思わせる甘い香りがするのは

明らかに、変だ。

それに、あの匂いは


「…村影」


笑みのきな臭いあの少年の髪から香ったあの匂いと、寸分違わず同じであった。


突然の暴漢。
帰りの遅かった小十郎。
粘つくような甘い匂い
その香りを漂わせた村影という少年
そして、同じ匂いをさせた昨晩の小十郎
≪義姫≫からの南蛮の痛み止め


「……」


パズルが組み合わさりそうなのに
ピースがもういくつか足りなかった。
それがもどかしくて、ぐるぐると高速で回る思考に気分が悪くなった。


「早く帰ってきてよ……」


何かよくないことが起きる
ただの直感だったが、そう感じた。






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