長編

□≪竜と右目の夢 五≫
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朝日が差し込む
ああもう朝かと腰を起こして、井戸へ水を汲みにいく。

桶に水を溜めて向かったのは離れにある申し訳程度の客室。
とはいってもこの部屋を使った人間はこれまでにおらず、物もなくがらんとしてしまっているのだが

「なんだ、起きていたか」
「…?!」


すっと障子を開けると、びくりと肩を震わせた女が目を真ん丸に見開いて俺の顔を凝視していた

何をそんなに驚く必要があるのかと思いながら部屋に足を踏み入れた。


「……な、なんで…」
「はぁ?」
「私、なんでここで寝てるの…?」
「なんでってそりゃ、テメェが昨日中庭でずぶ濡れになってたから客間に泊まったんだろ…」


そこまで喋って、はたと違和感を感じた

女の表情からして、女もそれを感じているらしく目を見合わせる。理由を口開こうとしたが、バタバタと走る慌ただしい足音にそれは遮られた


ぴしゃんと大きな音を立てて開かれた障子の先には、息を切らせた梵天丸様がいた
以前にもこんなことがあったなと思っていると、梵天丸様は俺になど見向きもせずに女の首に抱きついた


「姉上ー!!!」
「ぼ、梵天丸…」
「姉上っ…もう、会えない、かと、っ僕のせいっで」
「……違うよ梵天丸……」
「じゃあなんっで…」
「梵天丸聞いて………私、もう梵天丸の目を癒してあげられない。あの力はもう使えないの。だから…梵天丸私は、もう…」
「力なんていらない!」


こぼれてしまいそうなほどいっぱいの涙を左目に溜めて、梵天丸様は女に迫る。
その剣幕に気おされて、口をつぐんだ女に、梵天丸様は構わず言葉を紡いでいく。


「僕が好きになった…愛した姉上は…けらけらとおおきなくちをあけて笑い、異国の遊びを教えてくれて、頭を撫でて抱きしめてくれる姉上だ…癒しの力は確かにすごいけど、それがなくても姉上は僕を抱きしめてくれるだろう?」
「梵天丸…」
「姉上…僕のことを嫌いになったの?」
「嫌いになんて…嫌いになんて、なってない…」


女は困惑と迷いとを瞳の中で揺らがせていた。
梵天丸様は、この女と出会う前と後では確実にお強くなられてはいるが、この微妙な感情の揺らぎを察するにはまだ幼すぎた

昨晩の雨の日の女を思い出すと、また胸の奥がずぐりと呻く。
以前俺に記憶を対価にして居場所を選べるかと意味不明な投げかけをしてきたことは記憶に新しい。


この女には何かある


「…姉上、そういえば姉上はいつからここにいたんだ?昨日は来てくれなかったよな?」
「いや、あの、今日は泊まっていった………みたい、なんだよね、」
「泊まっていった?」


梵天丸様はきょとんと目を丸くする。
その表情は純粋な驚きに満ちていて、梵天丸様に話をさえぎられた時と同じような違和感がまたも胸の中を支配していく



「姉上。今回はあの緑の水が迎えには来なかったのだな。」



ああそれだ
違和感の正体は


女は昼過ぎ頃こちらにやってきて、一刻半ほど梵天丸様と遊び倒すと、木棚の向こうから這いずるように現れる青緑色の水に引きずられて姿を消す。

それが常となっていたため、一晩こちら側で過ごすなど、初めてで妙な違和感を感じたのだ。


朝日に反射してくせ毛がきらきらと光を放つ。
青い瞳はまるで宝石のようにきらめいてはいたが、困惑の色はぬぐえてはいなかった。




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