長編

□踏み出すことが
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『放せ!放せ佐助!!』
『放せるわけ無いでしょ?!旦那まで落ちちゃったらどうするの?!』
『ならばごんべはどうなってもいいと言うのか?!』
『旦那!!落ち着いて!!下をよく見て!』

佐助に促されるまま、俺は崖下を見た
もうもうと立ち込めていた霧が徐々に晴れていき、地面までを見通すことができたが
そこは岩場の剥き出しになった川が、轟音をあげていただけだった。
ひどく、違和感を感じる

『あの岩場…川に溺れる以前の問題だ。普通は落ちたら肉が潰れて血まみれになるはずだよ』
『………』
『突然の光、ごんべちゃんの力、そして先の世の人間……認めたくないかもしれないけど、きっと』
『やめろ』
『ごんべちゃんは






先の世に帰ったんだと思う』

『やめろと言っただろう?!』

佐助の胸ぐらを掴んで地面へと組伏せる
信じたくなどない
ごんべに俺はまだ、一言も伝えていない
俺の胸を焼くこの感情を、思いを、言葉を
それなのに俺を置いて帰るなど…!

『じゃあ旦那はあそこでごんべちゃんが潰れて死んでた方が安心したって言うの?』
『な…』
『…………遅かれ早かれこうなったよ。』

佐助の瞳は偽りなく、ただ寂しげな色を見せた
その表情に俺の頭の中は一気に絶望に染まっていく

『…旦那』
『…すまない』

佐助を解放して、崖下を見つめた。

『そなたは光だ』

『そなたの居られぬ明日など、俺にとっては無意味』
『旦那…』
『……気休めでも、嘘でも構わなかった。最後にあの唇に触れたかった』
『…今日は休もう。明日からまた進めばいいさ』


親方様を待たせることに罪悪感を感じられるほど、俺の中に余裕はなかった

ただぽっかりと胸に空洞ができて、息をすることさえ苦しかった

どこかで生きてさえいてくれればいいだなんて、そんな風になど考えられなかった

ただただ
悔しくてたまらなかった














************

川の音は『せせらぎ』だなんて生易しいものではなかった
はっきり言えばこれは轟音、いや、騒音か
いやそれよりも、だ


盛大に気持ちが悪い。吐瀉物を巻き散らかしそうだ


『うげぇっ』
『ちょ、ごんべちゃん?!吐かないでよ?!』
『あはは、また片付けさせてしまうところでし…おげえ』
『はいはい。吐くならこっちでね』

どうも。前回ど派手に崖から転落いたしました私ことななしのごんべです
死んでいません。ましてや現代に帰ったわけでもありません。なぜ私がこうしているかというのも

全て、私と猿飛さんの計画だったわけで


『幸村は?』
『死ぬほど落ち込んでるけど気づいては居ないよ』
『うう…良心が痛む…』
『煙幕と光球でごんべちゃんを見えなくして俺様の分身で抱えあげた後陰に隠す…はあ、初歩の初歩の隠れ技なのに旦那ったら気づかないんだもんなあ』
『気付かれないようにやったんだからいいじゃないですか』
『俺様は部下として心配になったの…』


項垂れる猿飛さんをやさしくなでてやる

しかし、この計画にはリスクもあった

まず、幸村が朝が弱いというのが大前提であるが、これは幸村がすっきり目を覚ましてしまえば叶わなかった(覚醒しきった状態だと崖から転落するのに直ぐに助けられてしまったかもしれない)

次に分身の術。
これも、長年側に居た幸村には見破られてしまうものらしく、私を抱えあげてくれる方を分身猿飛さんにお願いしたのだが、自分の意思が効く距離というのがあるらしく、あまり離れてしまえば私は地面と熱烈大キッス(鉄の味)をするところだったのだ
(幸いにも許容範囲だったのでよかった)

そして私
ジェットコースターが苦手な私が尻込みをしてしまう可能性が何よりも高かったのだ
猿飛さんの用意してくれた光球が光源の弱いものだったら私は飛び込めなかっただろう



『本当に行くの?』
『行きますよ。でないと、幸村を騙してまでこんな危険なことしません』
『………やっぱり、依存がどうのっていうこと?』






***********


『甲斐へ向かう途中、私が元の世界に帰ってしまったように、幸村を騙してほしいんです』
『…どういうこと?』

猿飛さんは眉をひそめてそのきれいな眉間にしわを寄せた。
せっかく整った顔つきなのに、そんなふうにしたら男前が台無しだ。
そう茶化してやりたかったけれど、今この場の雰囲気には明らかにそぐわないことを理解していたので、私も話を区切らずに進めた


『私はお二人の元から去ります』


その一言を発したとたん、猿飛さんは私の腕をぐっとつかんだ。
引き寄せるでもなく、突き放すでもなく
ただ私の腕を掴んで私を見た


その瞳は驚愕でも、怒りでもなかった
ただ、すがるようなそれだった

しかし彼は『行くな』だとか『裏切る気か』だとか、そんな物騒なことは言ってこなかった
何かを思案してじっと押し黙り、私の瞳を探るように見つめて、ようやく口を開いた


『どうして?』
『…猿飛さんには前、話しましたよね。私と慶次のこと』

彼に、慶次に、そして弥三郎に
依存の矛先を向けては別れ、私はもう独りで居ることに限界を感じていた。
私だって生娘ではない
幸村から痛いほどに伝わってくる好意にずっと気づいていた。


『このままだったら幸村にまで依存してしまう。そんなの、絶対に、いや』
『………』

私は、《彼》を好きになったその日から
もうずっと私自身を見失っていたんだと思う
他人を鏡に見立てた。
必要とされれば自分の姿が見えるようで安心した。
鏡を失えばまた新しい鏡を欲しがった。
結局私は


『いつだって自分が一番かわいいの。ずっと個人主義なの』

『そんな私の都合に、幸村を巻き込みたくない』

私の言葉を最後までおとなしく聞いていた猿飛さんは、ややあって口を開いた


『…本当。個人主義だよ。アンタは』
『そうですね』
『俺様の気持ちは、どうでもいいわけ?』


猿飛さんは、掴んでいた腕にぎゅっと力をこめた。
そのとび色の瞳は揺らめいていたように見えた
月明かりが波紋を描いて、彼が泣いているように錯覚して一瞬胸が跳ねた


『俺は、アンタに依存されて破滅したって構わないよ』


猿飛さんは本当に優しい人だなと思った
それが今の私には
たまらなく苦しかった。





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