長編

□≪彼女の現と鬼の夢≫
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苦しいことや嫌なことは、きっと忘れた方がいい。
今目の前の幸せを掴もうとして足掻くことは、悪いことではないでしょう?

貴女は幸せだったでしょう。
あの日あの時大好きな仲間と愛する恋人がいて、大人でもなく子供でもなかったころの貴女は、紛れもなくこの世界の誰よりも自分は幸せだと信じて疑わなかったでしょう

でも今は?

その幸せな記憶の中に閉じ籠って、誰かが優しくしてくれてもかつての《彼》と重ね合わせて
それは逃げているだけ。
ただ目の前にある背けたい事実から逃げ出しているだけなの。


だからチャンスをあげたのよ


ねえ大丈夫。何も怖がることはないの。その《力》は貴女を守って強くしていくの
だから、迷わずに。ね?

貴女の中の想い出を、綺麗にしてあげるから

その力は、貴女を強くするものだから
ね?大丈夫よ?泣かないで?
怖がらないで?大丈夫。大丈夫


私が誰かって?
そうね、私はね




『あなたよ。ごんべ』














目を覚ますと、彼女はただひたすらに真っ黒い空間に投げ出されていた
夢からさめても未だ夢の中だというのか。少しげんなりしてうなだれる

意識の無い彼女の耳元で、ひんやりとした温度の無い声がずっと語り掛けてきていたのは知っていた

その声はどう聞いても聞き飽きた彼女自身の声に他ならなくて
その上彼女を否定してくるものだから嫌に腹が立ったようだった


『忘れるなんて無理だ』


たとえ滑稽だと罵られようが、引かれようが、あの幸せな想い出を引きずるに引きずって生きてやろうと決めたのだ

この先何か幸せなことがあったとしても、喜ぶようなできごとがあったとしても
きっとあの頃と勝手に比較をして、勝手に悲しくなるのだから。

だったら私は悲劇のヒロインでいようと決めたのだ
自分を可哀想に思えばそれだけ自分が楽だから


『あ、水』


あの緑色の水が沸き上ったと思ったが、よくみると水と言うよりも気体に近い形で、美しい螺旋を描いて地面から天へ昇っていく


『なんか…あれだ、ゲームみたい………ああっ!!』


彼女はその事実に気づいて大きな声を上げてしまった
見たことがあるに決まっている
だってこの光景は


『これ、ライフストリームだ、FF7の。どうして気づかなかったんだろ…』


いや、普通は『緑色の水=ライフストリーム』なんて風には考えが至らないとは思うが
でもそうであるとすれば、空の色に染まったこの瞳にも納得がいく


『…でもなんで?戦国時代とゲームなんて、まったく関係ないと思うんだけど…』


彼女は知らなかったのだ
この世界もまた、彼女の知っている《FF7》と何の大差の無い世界だということに


虚構の平行世界はどこかしらで繋がっている。
《生命の流れ》とするライフストリームは現代で言うところのマントルと良く似ている
その流れがどの世界に存在していたとしても、知覚されてはいないだけでなんら不自然なことではない。


彼女は知らなかったのだ
そしてこれからも知ることは無いのだろう


『…、帰りたいな』


彼女はぼう、と先の見えない暗闇の一点のみを見つめて歩みを進めた。
でたらめに歩き始めてはいるのだが、空気が少しずつ暖かくなってきているのを肌に感じて出口はこっちだと直感していた


『…わ!また、これ…』


ライフストリームが彼女の腰までまとわり付いたかと思うと、どぷりと水に変化した。
とろみのある水はまるで意思を持ったひとつの生命体のように彼女の身体を押し流していく


『帰る前に弥三郎のところ寄って行こうかな』


のんきにそんなことを考えながら彼女は波に乗っていく。縦筋の小さな光が覗くと、オッドアイで白銀の髪を持つ少年を思い浮かべた。

しかし、その光から、これまで感じたことの無いほどむっとした生臭い匂いが漂っていることに気がついた。

腐臭のような、鼻の奥をぬめるような臭いは恐怖となって背中を撫でた


『…弥三郎!』


はやる胸を押さえて、ライフストリームの中をもがきながらその縦筋に手を掛けて思い切り開いた




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