金の奔流

□5話 再会とはじめまして
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あっという間に、ここでひと月近くも過ごしてしまった。わたしもだいぶ谷垣さんに気を許してしまって、二人でいるときには声も素のままにしている。本当の名前はさすがに教えられないでいたが、それでも二人の間の空気はすっかり和らいだものになっていた。



「杉元たちはしばらく戻ってこないな」
「ニシン漁に行ってるらしいよ。いいな〜小樽で食べたニシン、美味しかったから」
「ニシンは無理だが、何か魚を取ってくるか。」
「え、いいの?谷垣さん脚は?」
「言ったろ?お前のおかげでほとんど治ってる。正直杖もいらないが、不審がられないほうがいいからな。」
「ぼくも一緒に」
「ダメだ。お前はまだ調子がもどってないだろ。」


谷垣さんは私の頭を撫でつけて、松葉杖を脇に挟み出て行ってしまった。
チセにフチが戻ってきて、ござ編みを始めた。オソマもやってきて「あやとり教えて」と強請ってきたので、身体の線がわからないようにシカの毛皮を着こんで二人と談笑を楽しんだ。




どのくらいそうしていただろう。チセの外が少し騒がしい。「シンナキサラ!」と言う子供たちの声が聴こえてきて、オソマもその輪に加わろうと飛び出していった。


『アシㇼパと杉元が帰ってきたかな』
『いや、子供たちが興奮してます。別の和人かもしれません。』


重い、大人の男の足音だ。
硬い雪を踏むその音が、ゆっくりこちらに向かってくる。
とっさに第七師団の事を思い出して、毛皮を被って息をひそめた。

フチに危険があるかもしれないとも思ったが、わたしの顔は一部の軍人に割れている。しっかりフードを被っていたが、鶴見中尉との会合の際に同席していた軍人がいればすぐにわたしの存在に気が付くかもしれない。そうなったときの方が状況が悪くなると踏んでの行動だった。



「……よお、ばあさん。ちょっと聴きたいことがあるんだけど、入ってもいいか?」


低く、耳を揺らす声は隙が無く、張り詰めていた。もう一人の男の声には聞き覚えがある。ハラワタを穿り出した双子の片割れだ。だらりと背中に嫌な汗をかく。


「ここで、けがをした軍人が世話になってるはずなんだが。」
『あんたたち、軍人かい?』
「何言ってるのか全然わかんねえ」


男たちはどっかりとチセに腰を下ろす。杉元くんか谷垣さんを探しに来たのか、戻ってくるのをここで待つつもりらしかった。

そうなると、毛皮を被っているわたしに視線が刺さってくる。身体を丸めて体格をわからないようにしているが、もしかしたらあの二人……いや、そもそも「得体のしれない少年」が身を隠していると思われても仕方ない。


「ごほ、ごほごほ。」


女の声で咳払いする。
突き刺さっていた視線が、ため息とともに遠ざかった。なんだ女かと言いたげな態度にほっとする。

しかし、毛皮を引っぺがされて、瞳の色を確認されてしまえばすぐにわたしのことはバレてしまうだろう。こうなったら具合の悪い女の振りを徹底するべきだった。


アイヌ語しか喋らないフチとコミュニケーションを取ることを早々に諦めた軍人は、片割の方に「ばあさんの肩でも揉んでやれ」と言った。それが善意からくる行動ではないことは一目瞭然だった。


そうして、軍人はわたしの近くまでやってくると腰を下ろした。たしかに、人質は一人よりも二人の方がいい。じわりといやな汗が腹の方まで滑り落ちて、息が詰まった。


「………」


身じろぎをした時、軍人がこっちを見ているような気がした。
頭まで毛皮を被っているから、顔は確認しようもないが、何故だかそんな気がした。
じっと見つめられている視線が痛くて心地悪い。スンスンと匂いを嗅ぐような音が聞こえてきた。


毛皮を掴んでいる手のそばに、男の生白い手が伸びる。なんで…!毛皮をはがされてしまう。そう思った瞬間



「お、尾形上等兵…!」



谷垣さんが帰ってきた。こちらに伸びていた手が引っ込み「久しぶりだな。谷垣一等卒。」と言った。ほっとしたのもつかの間、どうやら尾形…と名乗る軍人は谷垣さんの謀反を確認しに来たようで、質問攻めにされている。

ここに至るまでの流れを聴かされていなかったわたしは、興味本位とこの状況の打開のために耳をそばだてていた。
谷垣さんの焦ったような言葉には、嘘らしきものは見当たらない。なるほどそんな因果があって、杉元くんたちと顔見知りだったのだと妙に納得する。


尾形もそれを感じたのか、「お前は器用な嘘をつけるような男じゃない」と言ってその場を立ち去ろうとした。はやく、はやくチセから出て行って。早鐘のようになる心臓を抑えながらそう祈る。二階堂も名を呼ばれ立ち上がった。


「ああ、そういえば……不死身の杉元を見なかったか?やつはアイヌの娘と妙な少年とつるんで刺青人皮を持っている。…目撃証言から一番近い村がここだ」


尾形のその言葉は、質問というよりは確認の意味を込めたものだった。先ほど「鎌をかけて見た」と言った声音よりずいぶん低くて底のないもの。わたしの背中はぶるりと震える。「嘘のつけない」谷垣さんはきちんとふるまえるのだろうか。わたしはぎゅっと両手を握り込んだ


「…いいえ。見ていません」
「…………そうか」



軍人の足音がどんどん遠ざかっていく、気配も薄れていって、肺の中で詰まっていた空気をいっぱいに吐き出した。汗でずぶ濡れになったアイヌの服を脱ぎ、慌てていつもの服を着こんだ。その様子を見て、谷垣は察したようにフチに言う


「おばあちゃん。俺、もう行かなくては。世話になった恩を返したかったのだが」
『おなかすいたの?』
『違いますフチ。わたしたちはここを去りますと言ったのです。』
『…サトと谷垣がここを去る?』
「…お前、ついてくる気なのか?」


谷垣さんは驚いた顔でそれは…と言葉を詰まらせていたが、杉元くんとわたしの事がこの場所で語られてしまった以上、ここにいられないのは私も同じだ。

強い決心を込めて谷垣さんと目を合わせると、フチは心配そうに谷垣さんの頬に手を添えた。その温かさに呼応するように、はらはらと涙を流している。つられて泣いてしまいそうだったが、ぞわ、と感じる悪寒に痛覚を遮断し、谷垣さんの頭を抱えてのけぞった。



バアン!!!!



わたしの手の甲を遠慮なくえぐった銃弾。それは窓の向こうから飛んできていた。狙撃。あの軍人だ!「伏せろ!」と谷垣さんが叫んで、フチにもわかるように『フチ!!外から狙われています!死角に入ってください!』と言う。


フチがわたしの手にアイヌの頭当てをしばってくれたが、今はとにかく痛みを感じないのだ。問題はない。

それよりも、ボルトを抜かれた銃しかないこの場所でどう戦うか、それが一番の懸念点だった。


窓のすだれをすべておろし、身を低くする。離れていては会話は聴こえないだろうが、ぼそぼそと耳打つように会話した。


「…俺を狙う理由は一つだ。鶴見中尉の裏切り者…尾形上等兵がその一人だったようだ。」
「谷垣さんが軍に戻ると弁解したから、謀反の報告を恐れて口封じをしようとしてるってこと?」
「恐らくそうだろう。やつらはもはや第七師団でもなんでもない…俺の敵だ。」
「谷垣さんの敵は、ぼくの敵でもある。……狙撃手は目が頼りだ。煙幕を張って、その隙に反対側の壁から脱出しよう。」
「動けそうか?サト」
「熊の軟膏でげんきいっぱいさ。」


フチと煙幕を作り、すだれから投げ飛ばす。この煙に紛れて、突進してくると考えるだろう。その隙にここから逃げ出さなくては。ふと、思い出す。二瓶の単発銃だったら、リュウの寝床に置いてあったはずだ。込められた弾は一つだけだが、ないよりはずっと心強いはずだ。



「谷垣さんはこれを」
「この銃は…!」
「アシㇼパさんに聞いていてよかった。さあ、行こう!」









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