風がつよくなった

□第6話 唇に熱が残っている
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「ずいぶんいい顔になって戻ってきたな。」
「………。」


オーランドさんが茶化してくるが、こっちはそれどころじゃない。脂汗が背中に流れている。あんなことになるなんて誰が想像できるの?
……いや、わたしの想像力が足りないだけかもしれない。


「あの子、彼氏…ってわけじゃなさそうだな。でも、お前を見てる目がすごかったよ。」
「……。」
「あんな目でいつも見られてたらさすがに気が付くんじゃないの?…本気だって。」


もちろん、あの屋上の日からずっと気付いていたけど。それは彼にとっていいことじゃない。わたしは彼より一回り以上も年上で(…精神年齢だけだけれど)彼は未来ある本物の少年なんだ。こんなわたしなんかに本気になっていいわけない。



「マスター。今日はこれで帰ります。」
「ン。気を付けて帰れよ。」


着替えて外に出るとき、オーランドさんが肩を掴んできた。今は正直オーランドさんの軽口に付き合う元気はないのだが…。


「【本気】が荷が重いならいつでもオジさんと遊ぼうぜ。」
「……淫行になりますよ。」
「お〜〜、こわ!」


彼の手をしっしと払ってBARを出る。
こんな気持ちで彼の待つ寮に帰らなくてはならないなんてなんだか憂鬱だ。
ため息をつきながらドアを開けると
出てすぐの車止めの上に真次郎くんがうずくまるように座っていて思わずぎょっとした。



「い…いたの?」
「…いちゃ悪いかよ」
「ええ…だって普通ああいうことの後って距離開いたりするもんじゃないの…?」
「……帰り、暗いだろ。一人で帰らせらんねえよ。」



ああそうだった。彼はこういうところがすごくしっかりしてるんだった。
少々気まずい空気は流れていたが、彼がいつも通りを徹底してくれていたのでなんとか肩を並べることができた。



「バイト、いつから?」
「6月くらいから…。」
「なんで言ってくれなかったんだよ。」
「………みんなに心配かけたくなかったから。」



わたしの言葉にあきれたようなため息をつく真次郎くんに少しむっとしたが、かれは切なく顔をゆがめて見つめてきた。なんて顔をしてわたしを見るんだ。
さっきまでの強引なキスを思い出して視線を外してしまう。



「……なあ。」



この問いかけに返答をしちゃだめだ。
かれは今伝える気でいる。こんな、寮への帰り道で。大人らしく、これは誤魔化してうやむやにしてしまった方がいい。…子供の頃の私が大人たちにそうされてきたように。



「頼む。ちゃんと聞いてくれ。」
「できないよ。」
「今言わないとダメなんだ。」


真次郎君の切実な声が背中に突き刺さる。
思わず足を止めて、振り返ってしまった。
半分だけ街灯に照らされた彼の表情は、照れているというより覚悟を決めたような、切なさに身を落としているようなそれで、見入ってしまった。

なんて…綺麗なの。



「ななしが…好きだ。」



刹那。わたしのなかのセイレーンが疼いた。
影時間でもないのに。
彼と屋上で繋がったときのようなあの感覚が身体中に流れる。
彼のカストールが呼応するように共鳴しているのか、真次郎くんも胸を押さえていた。


彼の決意
明彦くんを守りたいと思ったこと。
孤児院の院長を亡くした悲しみ。
適性を付けるために無理やり訓練を続けたこと。
わたしの笑う顔
わたしの笑う声
彼の笑う顔
彼の笑う声

倒壊する家屋
下敷きになる誰か
泣いている子供…。



凶弾に倒れる彼



去来する過去と未来が渦巻いて、わたしの目の奥からはいくつも涙が落ちていった。
鞄を落としてその涙をせき止めようとしたが、できなかった。
指の隙間から落ちていく光の粒が地面をどんどん濡らしていく。


真次郎くんがわたしに駆けよって、さっきよりもずっと優しく顎を掴んで顔を上げさせた。
涙でグチャグチャの汚い顔のわたしを見て、真次郎くんも泣いていた。一体何を見たのだろう。わたしと同じものを見たのかもしれない。



「…ずっとそばにいる。」



真次郎くんが肩を引き寄せてわたしを抱きしめた。カストールとセイレーンが手を合わせ合っているのを感じる。わたしたちも確かめ合うように、手のひらを合わせて指を絡めた。

見たこともないはずの、彼が今の彼に重なった。
暗い目をして、誰ともつながり合うことを恐れて、戦いから退いたひとりぼっちの彼。
わたしが今こうして、今の彼と一緒に居られることは何かの奇跡以上に無いのだという確信を得る。綺麗な瞳に吸い込まれるように、彼の頬にわたしの頬を寄せた。



「わたしも…そばにいるよ。」



真次郎君はただただわたしの背中を抱きしめて、わたしもそうした。どうしてか、彼を失ってしまうかもしれない予感が胸に渦巻いてこわかった。彼を守ることができるなら、なんだってしよう。きっとわたしはそのために…時間と世界を越えてまでここに来たのだという、確証のない真実が胸に強く宿る。



これが愛や恋なのかはわからないが今は他の誰よりも、真次郎くんを守りたいと思ってやまなかった。


――――――――――――――



季節は巡り、あっという間に寒さの感じる秋口になった。
夏休みはとても楽しいものだった。明彦くんや美鶴と一緒に少し遠出をしたり、真次郎くんとは二人で出かけたりもした。

ただ…あの日強いつながりを感じた真次郎くんとは、そのあまりの衝撃に関係性があいまいなままなのは否めない。彼の告白を受けて、わたしが返した言葉はどちらともとれるようなものだったからだ。

もうあの言葉から三か月近くも経つのに返事をしないままでいるのは少し申し訳ない気持ちもあるが、勇気が出ないのも確かだった。


カレンダーを見つめる。10/4
この世界に来て、高校生になって
もう…半年も経ったのか。


ふと照明が落ちる。
影時間だ。
今日は何も起こらないといいが…と考えていた矢先、頭の隅に美鶴の通信が入り込んできた。


「みんな。休んでいるところ済まない。住宅街に…シャドウの反応だ。」


めいめい慌てて飛び起きる。
もうシャドウの討伐など慣れたものだ。
言葉は少なくとも、信頼が自分たちの中に繋がっている。準備を終えて、ポイントまで急ぐことにした。


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