風がつよくなった

□第5話 初めて光浴びたあの日のように
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バイトは順調だった。わたしの歌を目当てに通ってくれるような客も増え、高校生にしてはいささかもらっているくらいだと思う。
あの時…両親を失った時のわたしにも「こんな手段があるよ」と言って上げられれば少しは楽ができたかもしれないとぼんやり思った。


「よ、なんかおごろうか。酒は?」
「オーランドさん。わたし未成年だから。」
「固いこと言うなよ。俺が高校生の時はガンガン飲んでたぜ?」


何とか言いつつオレンジジュースを奢ってもらい黙ってそれを頂くことにする。
相変わらず何の仕事をしているのか不明な人だ。チャラついた雰囲気だが悪いヒトではないようで、ほぼ毎晩友人たちと飲み明かしている。今日はまだ連れの3人は来ていないようでこうしてわたしに絡んできたのだ。


「ガッコ、楽しい?彼氏とかいんの?」
「彼氏は別に。恋愛とかにあんまり興味ないので。」
「もったいない。カワイイ顔してんのに。ななしちゃん。」


髪を触られてむっとした表情を見せると、わりいわりいと口だけの謝罪をされた。カウベルの音と共に友人が来店したらしく、「また遊ぼうな」といい加減なことを言って席を離れてしまった。



「…もうすぐ夏休みかあ」


7月も半ばに差し掛かってきた。
シャドウ討伐ももう慣れたもので、あれからメキメキ力を付けた4人でのチームは幾月理事長も相当目をかけてくれていた。

特に真次郎くんは、「ペルソナ使いとしての適性が低い」ところから、わたしのセイレーンの力もあって随分馴染んできたようで、定期テストでもいい結果を残しているらしい。追い抜かされまいと明彦くんもいつも以上にトレーニングに性を出していた。


夏休み。学校が休みというだけで、特に変わらない長期休みなのだが、わたしにとってはすごく懐かしい響きだ。どんなふうに過ごそうかと考えていたら、マスターから「どこか出かけるなら言ってくれればシフトの融通はきかせるよ」とありがたい言葉をもらっていた。


出かける…とはいっても巌戸台の外へ出たことは実のところない。
…それにはいくつか理由があるが、一番大きな部分としてあるのは、胸の中にある「疑念」が「確信」に変わってしまうのが怖いというのが一番の理由だった。


おそらく、高校生活最初の夏休みは巌戸台分寮を出ずに終えることになるだろうと思っていたが、それは意外な形で破られることになった。




「なあ、夏休みになったらちょっと二人で出かけないか?」
「めずらしいね。美鶴が出かけようって言うなんて。」
「最近、荒垣と明彦にお前を独占されていたからな。すこしやきもち、だ。」


美鶴は普段の彼女らしからぬカワイイ文句をこぼしてそっぽを向いた。最近わたしに新しい友人ができたことと、美鶴が部活に生徒会にと忙しいことでなかなかふたりでの時間と言うのは取れていなかった。一番最初にわたしと握手をしてくれた彼女を無碍にするわけにはいかない。



「うん。いいよ。どこに行きたいとかあるの?」
「…練馬区だ。お前が住んでいた場所だよ。」
「え……。」
「こんなことがあってから一度も住み慣れた場所に帰ろうとしなかったろ?バタバタしていたということもあるが…この機会に、いっておくべきだと考えてな。」



美鶴の意見は…至極もっともなものだった。
しかし、わたしはどうしても脚が向かなかったのだ。
あの場所、あの駅、あの住所に向かうことは、とても怖いことだった。
そんな迷いを見透かしたように、美鶴はわたしの手を取って「何があってもわたしがそばにいる」と力強く言ってくれた。


気は進まなかったが、行くよりほかにないと感じた。
いつまでも、逃げていたって現実は変わらないのだ。




―――――――――――――――



夏休み初日。
疲れが出て昼まで寝るつもりの明彦くんと真次郎くんを置いて、二人でモノレールに乗った。途中新宿について、山手線に乗り換える。そこからはローカルな私鉄に乗り換えだ。


わたしの緊張は最高潮に達していた。電光掲示板が告げる駅名はどれも見知ったものだったが、まだ油断はできなかった。


何か月かぶりにやってきた最寄り駅に降り立ち、美鶴と顔を合わせる。「案内してくれ」という彼女の言葉にうなずいて、北口から歩いて徒歩10分程度の家まで歩いていくことになった。


古い記憶の街並みではあるが、懐かしい。
わたしの知っている記憶通りの住宅街。
しかし、どうしてもぬぐえない疑問がずっとずっと渦巻いている。

巌戸台なんて駅は聞いたことが無かった。そして、「あねはづる」というモノレールがわたしの知っている「ゆりかもめ」だったこと。乗り換えに苦労したわたしと違い、特に違和感を感じていなさそうな周囲と美鶴。


もしかしなくても
ここは、この東京は


「……本当にここなのか?」
「……うん、そうだよ。ここがわたしの家……。」


目の前に広がったのは、もう何年も整備されていない空き地だった。
ここにわたしの家があったはずなのに、そんなはずはないと目の前の光景が訴えかけている。震える肩を美鶴が抱いてじっと炎天下の下で立ち尽くした。

蝉のせわしない鳴き声が、ずっと耳の奥で響いている。じわじわ肌を焼く様な日差しが無遠慮に降り注いで、汗が滝のように顎の先から滴り落ちた。




やっぱりそうだ。
わたしはタイムスリップをしたんじゃない
しらない世界に迷い込んだのだ。



幾月理事長が私を調べたと言っていたが、きっと何かの事実が描き変わっているのだろう。シャドウ絡みの事件は、現実に改変をもたらす。わたしの世界でまったく影響を感じなかった「影時間」は何かの拍子にわたしに接触し、ありえない事実ごと、わたしをこの場所に連れてきたのだ。


「ななし…大丈夫か?」
「………。」



心の準備はしていた。しかしこうして現実となって目の前に広がる光景を見ると動揺が勝つ。わたしは大丈夫なんかではないのに無理やり「だいじょうぶ…。」と絞り出して踵を返した。


美鶴が慌てて追いかけてくる。
おそらく、何度か話したわたしのこれまでの人生とこの世界とのコトワリがかみ合っていなかったのだろう。賢い美鶴はいち早くそれに気が付いて、わたしと一緒にそれを確かめるべく電車を乗り継いでこんな辺鄙な場所まで一緒についてきてくれた。


「ごめんね。美鶴。気を使わせちゃって。」
「……そんなんじゃない。私は…お前が心配だったから…。」


余計なお世話だったかもしれんな。
と肩を落とした美鶴の表情は曇っている。
強気でも彼女はこのあいだまで中学生だった幼い少女だ。事実がどのような形で、どのようにわたしを慰めるかまでは考えが至らなかったらしい。


わたしはそれに怒るでもなく、美鶴の気持ちを一番に考えた。
まだ夏休みは初日だ。長い休みはわたしに休息と思考の余地を与えてくれるだろう。
美鶴の判断は、今のわたしには最良だったに違いない。



「おいしいカフェがあるの。せっかく来たんだから寄って返ろう。」
「…ああ、そうだな。」


美鶴が弱弱しく笑った。彼女の小さく柔らかい手を握って、この猛暑から逃れようと馴染みの喫茶店まで急いだ。





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