風がつよくなった

□第4話 静けさから歩き出す
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「ほら真次郎くん、宿題するよ。」
「…だー。ハイハイやりゃいいんだろ。」
「うん。やりゃいいよ。すぐ終わらせてのんびりした方が楽でしょ。」
「…じゃあななし、終わった後メシ付き合えよ。」
「終わったらね。」


最近二人の空気が妙だ。
いや、正確にはシンジの空気が妙なのだ。
ごんべといつのまにか名前で呼び合っているのにも驚いたが、以前にもまして過保護さに磨きがかかっているような気がする。……過保護?いや、それも何だか違う気がする。どちらかと言うと執着だろうか。

シンジが彼女を見る目は、幼馴染の俺から見てもかなりドキッとするものだ。優しい目つきだが奥が据わっているような、動物的で野生的な視線というか。

対してごんべはわがままな弟をあやすような自然さで、シンジに感じるような違和感は無さそうだ。


……なんとなく、わかる。
ごんべのセイレーンのは、力を増幅させる優れた能力を持っているが、攻撃力が上がるのと同時に、なぜか妙な気持ちにさせられるのだ。
身体中の血液が沸騰するようなあの妙な感覚……。自室に戻った後も体の火照りを覚ますのにずいぶん時間がかかった。


それから数日は意識的にごんべに触れにいったように気がする。あの夜無茶を詫びた日でさえ、邪な気持ちで手を握った。髪を撫でられた時、落ち着くと同時に心臓が早鐘のようになっていたのを感じた。あれは一時的な欲が高まっていたからだと自分に言い聞かせ、次のタルタロス潜入まではごんべにちょっかいをかけるのは自重しようかと考えていたのに、シンジはこれなのだから…。


今もどさくさに紛れて肩だの髪だのを触っている。当の本人は全く意に介していないようだが…胸の奥でザワザワとしたものが広がっていくのを感じる。俺は今どっちに嫉妬していると言うんだ…。


「真次郎くん頭いいんだからもっと真面目に授業受けなよ。」
「バカ言え。授業受けないために家で勉強してんだろ。」
「なにそれ。へんなの。」
「笑うな。」


あ、また頭を撫でている。
そんなに乱暴にしたらせっかく綺麗なごんべの髪がぐちゃぐちゃになるじゃないか。ハラハラしながら見守っていたが、何だかやじうまな気がしてラウンジにいるのはよしておくことにした。二人の楽しそうなやりとりを何となくこれ以上聞きたくはなかった。



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「真田くん今日は部活早いんだね。」
「…ああ。月曜日はな。」
「じゃあ一緒に帰ろ。真次郎くん江古田先生に捕まってるから時間かかりそうだし。」
「あのバカは…。」


二人で帰るのは何となく久しぶりだ。いつもシンジが横にいる。肩を並べたごんべの方をチラリと見ると、本当に小柄で驚くくらいだった。しかし、言動は落ち着いていてどこか大人っぽく、そういう部分が魅力的だなと感じ…なくはない。

こちらを見上げて首を傾げる彼女に、今欲求をぶつけていいものかひどく悩んだ。
しかし、美鶴もシンジも「そう」で、自分だけ「そうじゃない」のは…なんだかひどく不公平だと思った。


「そういえば真田くんに聞いてみたいことがあったんだけど。」
「な、なんだ?」


自分が話し始めるより先にごんべに先を越されてしまった。慌てて返答すると、珍しく頬を染めて自信なさげにこう問われた。


「明彦くんて呼んでいい?みんな名前呼びなのに真田くんて呼ぶのはなんか…でしょ?いやならいいんだけど。」
「い、嫌なもんか!…その、そっちの方かが俺は…う、嬉しかった。」
「ほ、ほんと?ならよかった。今度からそうやって呼ぶね。」


熱い
妙な汗が噴き出ているのがわかる。
美鶴に呼ばれた時とは全然違う…。
明彦くん。
恥ずかしそうに呼ばれた名前がかわいくて、今すぐその薄くて細い肩を抱き寄せたくなったが、さすがに嫌われてしまいそうで飲み込んだ。


「ありがとう。ななし…。」
「あ、あはは。やっぱりちょっと恥ずかしいね。」


勇気を振り絞って呼んだ名前。
綺麗な名前だ。ななし。シンジがそう呼んでいるのを聞いて、おれもずっと、そう呼びたいと思っていた。


いつもは涼やかな表情の彼女が、自分の言葉に照れてうつむいているのが…劣情を掻き立てる。こんな感情を持つこと自体、きっと…許されないことだとは思う…けれど。


シンジがそうしていたように、彼女の頭に手を伸ばした。いつかそうしてもらったように撫でつけると、彼女はゆっくり顔を上げて柔らかく微笑んだ。


「…ああ、そうか。」
「ん?何?」
「いや。なんでも…何でもない。」





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「……ポロニアンモールに…小さいシャドウの反応があるな。」


美鶴が険しい顔でそう言った。
全員で顔を見合わせる。初戦のシャドウはかなり大きい個体だったが、今回はタルタロスの浅い階層から漏れてしまった小さな個体らしい。明彦くんと真次郎くんはほぼ同時に「今日はななしは待機していたらどうだ?」と提案してきた。

美鶴もそれには賛同していたが、自分がどのくらいのエネルギーを扱えるかは把握しておきたいところだった。三人の気遣いはとてもありがたかったが、「無茶はしない」という約束で同行を許可してもらえた。



ポロニアンモールにつくと、確かに一度見たことのある個体が噴水の上で水浴びするように身体をくねらせていた。
…何度見ても、不気味な生物だ。
いや、生きていると表現していいのかあやしいところではあるが…。


「各位準備はいいか?ななし無理をしない程度に頼む。」
「うん。」


セイレーンを呼び出し、彼女にそっと声をかける。「全力はもうわかったの、きょうはわたしにコントロールの仕方を教えて」と。
そうすると、彼女は薄く微笑んでうなずいた。

身体に流れる音の波紋は命…エネルギーを手繰る。叫ぶような歌は歌はない。心の奥を押し上げるような優しい音色が喉からこぼれる。全員と縁が繋がったような感覚に陥った。



「…いつもとはまた違う感覚だ。」
「心がクリアになるような…」
「私も体験するのは初めてだが…なるほど、いいものだな。」



美鶴たちが武器と召喚器を構え、シャドウに向かっていく。騒ぎ立てる心を静かさに導いて、彼らがより冷静に判断できるように、高ぶったペルソナを落ち着かせるような歌を紡いだ。


歌は、その形で大きく与える印象が変わる。
わたしはいつもさみしくて、煙たくて、暗い歌ばかり歌ってきた。そんな歌が寂しかったころの自分を慰め励ましてくれるからだった。今、新たな人生に浮足立っているわたしにも、彼らにも、今このような歌は必要だったのかもしれない。


ほどなくして歌がアウトロを迎えると、シャドウは闇に溶けて散っていった。








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