風がつよくなった

□第2話 苦難の粒が残るでしょう
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「やあ、身体の調子はどうだい?しばらく休んでいたようだから、良くなっているとは思うんだけど。」
「ええ、あの。おかげさまで。」


部屋に訪れたのは軽薄そうな壮年の男性だった。物腰柔らかそうに見えるが、どことなく胡散臭さもある。私はぎこちなく挨拶をして、彼の続ける言葉を待った。彼は幾月という名前の学園理事長で、どうやら私をこの寮施設に招き入れた張本人らしい。


「彼らから影時間についての話は聞いていると思うんだけどね。率直に言うと、君にはシャドウとの戦いに協力してもらいたいんだ。」
「……戦い、ですか。」
「ああ。気軽に頼めるようなことではないのは理解してるんだけどね。でも、この力を使えるのは本当に限られた人間だけなんだよ。」


そう言うと、彼は人差し指で自分の頭をとんとんとつついた。


「ペルソナ、はね。」
「………。」


彼の言葉は柔らかそうに見えて、実に意志のこもったものだった。有無を言わせないような、はっきりした口調で凄みを感じる。
そのくらい「ペルソナ」を使える人間は限られているのだろう。わたしはなんと答えたらいいかわからず口ごもった。
この身体になってしまってからというもの、心まで子供に戻ってしまったようでうまく言葉が出てこない。


「…君のこと、勝手ながら調べさせてもらったよ。」
「え?」
「ご両親を痛ましい事故で亡くしているね。そして今は、叔父夫婦から資金援助を受けつつ一人で暮らしている。」
「……。」
「しかし、その援助も先日打ち切られて、君は高校進学を断念してひとりで働きながら生活を切り盛りしているそうじゃないか。…その若さで、本当に殊勝な心掛けだよ。」
「…別に、そんなにいいものでもないです。」


そう。わたしが叔父夫婦の援助を打ち切られてしまったのは、彼らがわたしを良く思っていない。それだけの事だったのだ。

両親が亡くなってすぐ、多額の保険金がおりたが、面倒を見るという名目でそれをかすめ取ったのも叔父夫婦で、それを食いつぶされた今、わたしを面倒見るメリットなどなく、彼らは義務教育を終えたわたしの面倒まで見られないと言って県外に引っ越してしまったのだ。

独りで生きていくしかなかった。
それはとても寂しくて、平坦な道ではなかったけれど、それがわたしの普通だったのだ。


「君が力を貸してくれるというのであれば、我々は君の生活のバックアップを全力で行おう。学校にも通うことができるだろう。」
「学校…?」
「ああ。月光館学園。僕が理事長を務めている学校さ。命を懸けたとても危険な戦いだもの。裏口入学くらいどうにかするよ。


その言葉は、わたしにとってとても魅力的なものだった。
なにせ、高校の入学はどんなに頑張ってもかなえられない一つの夢だったからだ。
大人になって、学歴に関する苦労は(ありがたいことに)経験することはなかったが、高校を卒業するに越したことはない。
それに、またあの地獄のような日々を過ごすことは遠慮被りたかった。


「その沈黙は肯定ととっていいのかな?」
「………あの、はい。お願いしたい、です。」


わたしの情けない返事に幾月理事長は天にも昇りそうな声をあげて身体をよじった。
これからのことを説明されていたが、わたしはただただいらぬ苦労をもう一度しなくて済んだなと安堵することしかできなかった。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


カレンダーを見ると、季節は桜も間近な3月…初春だった。
2007年…自分もこのくらいの時に中学生だったなと思い返してみた。

令和5年から平成真ん中まで時代を巻き戻ったのにどんな理由があるのか考えてみたものの、彼らの話す摩訶不思議な出来事と何か関連があるのだろう、くらいしか想像がつかない。

それに、幾月理事長の話を思い返すのであれば、わたしという人間がここで生きてきた軌跡は残っている。詳しいことを調べるにはこの時代はまだまだアナログで不便なことが多いようだった。

部屋に届いた月光館学園の制服を手に取って眺めた。
デザインのかわいい制服はこぶりで、やはり学生の自分にはぴったりだった。


「…あの頃のわたしって、こんなに小さかったんだな。」


ぼんやり呟いたとき、部屋のドアがノックされた。慌てて返答すると、ドアの向こうには少女が立っていた。わたしに影時間やシャドウのことについて説明してくれた彼女だ。


「…同じ学校に通うことになると理事長から聞いた。仲間になってくれるんだってな。」
「あ…うん。そうなったの…。」


彼女は複雑そうな表情ではあったが、ややあって右手を差し出してきた。握手を求めているようだった。


「少々強引であったことは認めるが、こうして仲間が増えることはこちらとしてはとても…嬉しいことだ。これからよろしくな。」
「うん…よろしくね。」


握り合ったお互いの手のひらはとても小さくて頼りなげだった。自分も子供ではあるが、目の前のこんな幼い少女が戦いに身を投じるなんてよっぽどのことだろうと思った。
いまいち自分に何ができるかはわからないが、力になれればいいと思った。


「どうやら同い年と言うことだし、私のことは気軽に美鶴と呼んでほしい。……仲間がむさくるしい男ばかりで、正直言うと同性の味方は…嬉しいんだ。」


彼女…美鶴は頬を染めて小さい声でそう言った。そのしぐさに少し胸を引き絞られて同調する。


「じゃあ、わたしのこともななしって呼んでほしいな。」
「ああ…その…ななし」


美鶴はぎこちなく笑うと名前を呼んでくれた。離すタイミングを失っていた掌をおたがい離して、入学のことについていろいろ話し合うことにした。


正直中学生の勉強なんて十何年もしていないのだから何も覚えていないのではという不安はあったが、身体が戻った影響もあってある程度の知識は頭の中に残っていた。入学の際に提出する宿題を終えて、持ち物を確認する。4月の入学まで、もうあまり間は無いようだった。



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