長編2
□ちらつく面影
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「…逆立ちね」
朝。すがすがしい朝。
ごめん嘘。どっちかって言うとまだ夜明け前。
ネオンも電子娯楽もまったく無いこの世界では、夜型人間だった私は強制的に早寝早起きに矯正されてしまった。
目覚めてすぐに自分の持ち場である診療室にまで赴き、
囲炉裏にファイア(火炎魔法小)で火をつける。ようやく支給してもらった厚手の上着を着込み、はあと息を吐けば真っ白くにごったそれを目で感知する。
ロッジに居たときの冬。朝起き抜けに暖炉に火を灯すところから私の一日は始まっていた。何だか懐かしいなあと思いながら、せっせと掃除を始める。
何にしたって清潔が一番だ。
綺麗にしなくては。
とはいえあまり幹部の人たちは怪我や病気をしないんだけれども。
(三成さんや吉継さんのことはある種自業自得なのでカウントしていない。)
部屋がずいぶん暖まって来たので、上着を脱いで綺麗に折りたたむ。
お湯で絞った雑巾で水拭きを済ませると、漆塗りの床は光沢を放っていた。
「私ったら、やればできる子じゃん。」
自画自賛をしつつ、診療室の布団場所の畳も箒で掃いているときに、ふと夢の中での竹千代との会話を思い出す。
「……脳に血を送るって言うのはいいアイディアかも。やってみるか。」
布団を敷いた畳。
壁側に頭を向けて一気に布団を蹴り上げると、ぐんと脚が持ち上がり壁に向かっての倒立が完成した。
「んぐぅ!これは結構きつ…」
「失礼、すまないが胃薬を…」
「え?!うわっ!」
まさかこんな早朝に誰か現れるとは思わなくて完全に油断していた。
着物の裾は思いっきりはだけて下着は丸見えだし、頭に血は上ってタコみたいな顔色になってるし、髪の毛はサイヤ人なっているして、こんな恥ずかしい場面を見られるだなんて
「わぎゃっ!!」
「ごんべ!!」
ぺしゃんこに踏み潰したときのアルミ缶のような動作で倒立の姿勢から崩れ落ちた私は、ちかちか光って赤黒くぐらぐらする視界に嘔吐感を感じて思わずむせる。
恥ずかしラッキースケベな場面に遭遇してしまった青年は私を覗き込んでいる。
しかし、砂のかかったような視界の私にはそれが誰なのかもわからない。なんて難儀な
「大丈夫か?!ごんべ?!」
「はひー…さ、逆立ち…恥ずかしいれす…」
「ごんべ!しっかりしろ!」
「は…い、いえやすしゃん」
なんとまあ度しがたいことでしょう。なんでこう彼はタイミングの悪いところで私と遭遇するのやら。チクショウナンテコッタイ。
「大丈夫か?!怪我は…」
「し、してないです。ですからその、家康さん近…」
家康さんは、切羽詰まったような表情で私を抱き抱えている。
鼻と鼻がぶつかりそうな程の顔の近さにようやく羞恥心を覚えて身を捩ると、家康さんはハッとしたような表情を浮かべて後退する
「…すまない」
「い、いえ。私も恥ずかしい場面を見られてしまったので…あはは…」
あれからというもの家康さんはあまり私に顔を見せなくなった。
なにか遠慮をしているのか、言葉の一つ一つに手探りで探し当てたような不器用さを感じて妙な居心地の悪さがあるのだ
「どうかしたんですか?こんな早朝から」
「少し腹が痛くてな。薬を貰えたらと思ったのだ」
「…お腹?」
確かに家康さんの顔色はあまりよくないようだった。
快活そうに短く切られた髪の毛に、真綿のような顔色はあまりに似合わなかった
「薬の前に一回診察させてください。部屋、まだ寒くてお腹出すのしんどいかもしれませんが…」
「む…わかった」
家康さんは椅子に腰かけると、がばりとお腹の部分を開いた。
腹筋でばきばきに割れているお腹は今まで見た誰よりも男らしいそれで、どきりと胸を打つ。
そういえばこうしてまじまじと男の人の身体を見るなんてそう無いんじゃないだろうか。
家康さんはどこからどう見ても格好いい整った顔立ちに他ならないし、私好みのいい声だったりするし、それに…
「キス…」
「鱚?」
「な、何でもないです!」
この家康さんという人は、初対面で熱烈なキスをしてきたのだ。
意識してしまうのは仕方のないことではないのだろうか。
「ちょっとお腹触りますよ?」
「うむ。」
「……」
固い腹筋に手を添えると、さらに胸がどきりと跳ねる。
恥ずかしくてたまらない。
家康さんの視線が降りてくる。
手のひらに意識を集中し、ケアルの光を集約していく。
青緑の光が家康さんのお腹回りを包んでいくと、くぐもったような呻きとも喘ぎともとれない声を漏らす。
なんだかいけないことをしているような気になって一瞬手を引いてしまった。
その手を、素早く取り上げられ、またお腹に手を添えられる。
重ねられた家康さんの手のひらは、秀吉さんのものよりもずっと小さく細いのに、
ひどく懐かしく感じた。