風がつよくなった

□第1話 きみと
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「よォ、悪いな待たせて。」
「………。」

髪の長い少年が、湯気の立ち昇る器を持って入室してきた。きちんとノックをするあたり、育ちがよさそうだった。あの時あわてて扉を開いたのは、彼らにとってわたしの目覚めというのはほんとうに待ちわびていたことだったからなのだろう。


「あ〜、たまご食えるか?ちょっとでも腹になんか入れねえとしんどいだろ。」


彼がサイドテーブルに置いたのはおかゆのようだった。溶け合った卵の黄色が鮮やかで、鼻の奥を刺激する匂いが胃を動かした。
いつまでも黙っていても困らせるだろうと、彼の顔を見つめると、「う」と小さな声を漏らしてそっぽを向かれてしまった。


「ありがとう…いただきます。」
「ゆっくり食えよ!あちいからな。」


れんげを口に運ぶ。ゆっくり口の中で味を確かめながら咀嚼すると、少年は柔らかい表情を見せた。まだ中高生くらいだというのに、自炊してとても偉いことだ。
自分の学生時代のことを思い起こしてまた心が陰っていくのを感じた。


「あ…名前、言ってなかったよな。俺は荒垣真次郎。お前は…」
「…わたし、ごんべななし」
「そうか。よろしくな。」


おかゆを口に運ぶ食器の音だけが響いている。少年…荒垣少年はわたしが食事を終えるのを待っているつもりらしい。
見られていると少し食べにくいが、せっかく作ってもらったのだ。文句は言うまい。


「あのよ。いきなり色々一気に話してわりいな。俺たちもいろいろ焦っててよ…。」


荒垣少年がそういうと、わたしはゆっくり首を振った。彼らの気遣いを感じないわけではない。あり得ない空想の中の話を聞かされた気持ちが無かったわけではないが、彼らの真剣な表情から嘘を言っていないのは十分に分かった。

それに、自分の胸の中には今まで感じ得ることのなかった不思議な感覚があり、それが彼らの言う《ペルソナ》という別人各のもたらすものだというのならば納得もできようものだった。

しかし、それ以上に
わたしはわたしの身体の時間が巻き戻ってしまっていることの方が衝撃だった。
それも、自分が思い出したくもないあの時の自分に、だ。


両親が亡くなったあの事故は、本当に不運なものだった。
もともと険悪な夫婦仲だったが、最後の思い出にと企画した旅行の最中にあんなことになるなんて。

もう思い出すことも無くなった昔のはなしだが、こうして身体が若返ったことも影響しているのか、よりクリアにあの時の出来事が思い起こされる。どうしてこんなことになっているのかわからなかったが、これも影時間とやらが関わっているのだろうか。


「…なんでずっと泣くの、我慢してんだ?」
「え?」
「その唇を巻き込んで噛む口、よく孤児院の子供たちもしてたよ。お前、泣きたいんじゃねえの?」


彼の真っ直ぐな瞳と、優しい声色がわたしの心のやわらかい部分を撫でた。
わたしはずっと泣くのを我慢していたのか、身体中をこわばらせていたことに気が付くと、ふと右目から熱いしずくがこぼれた。

荒垣少年は慌てた様子で立ち上がっておろおろしていたが、わたしの涙は止まることなくおかゆの入った器に落ちていった。


とっくの昔に大人になってしまったはずのわたしは、身体と一緒に心まで子供に戻ってしまったようで、ごはんの粒が鼻の奥に入っていくのもいとわずに静かに泣いた。

荒垣少年は、そんなわたしをただじっと見つめて、服の袖で涙を拭ってくれた。
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