金の奔流

□5話 再会とはじめまして
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谷垣さんの怪我はもうほぼ全快していると言ってもいい。わたしに気を使っているため歩みが遅いが、わたしなしならもっと遠くまで逃げられるだろう。

「やっぱり置いて行って」と言うと、ふざけるなと強めに腕を握られた。


谷垣さんは大きい荷物と銃を抱えているというのにぴんぴんしている。
もう春の匂いの感じられる山々はところどころ雪が解けていて、追っ手を撒くのに痕跡を残しにくいのはありがたかった。


「銃は一発だ。撃つのなら一人。先に尾形を撃てば二階堂は引くか?」
「…そんなことはないと思う。あいつは杉元くんにご執心だからね。ぼくらが関わっていると知れたら、耳をかみちぎりにくるくらいのことはする。」
「……そうだろうな。腐っても軍人だ。そうヤワな奴じゃない。」


雪道に、ヒグマの足跡を見つける。親熊の足跡の上に、小熊を歩かせているのがわかった。もう冬眠から開け始めているのか、子供をつれた母熊は、ヒグマの中でも特に恐ろしい。「これだ。ついてこい」と、熊の足跡の上を歩いて行く。それを追うようにわたしも小走りで駆けた。



「疲れたか?」
「はあ、はあ。平気」
「しかし、お前は手を撃たれてるだろ」
「痛くないよ」
「そんなわけあるか」


痛くないのは本当だが、体力の限界を迎えているのも本当だった。わたしの気力はまだ回復しきっていない。この世界には、MP回復できるようなアイテムも都合よく存在するわけではない。基本的にわたしの戦いは、相手から気力を削いで、それを糧にするほかないのだ。


「ちょっとだけ、ちょっとだけ元気分けてもらうことってできます?」
「えっと、手をつないでもらえたら」
「手を貸してほしいのか?なら早くそう言え。」


今ここで倒れてしまう方が良くない。あれだけ【MPきゅうしゅう】をしても立っていた強靭な気力の持ち主なら、すこしくらい気力を拝借しても怒らないだろう。一気に吸い取ってしまうと勘づかれるかもしれない。細心の注意を払いながら、じんわりじんわりとあたたかい谷垣の気を感じていた。



――――――――――



「朝方までここで張るの?」
「ああ。熊が埋めたシカを巡回している。それに合わせて奴らをおびき寄せよう。」
「母熊に、やつらを襲わせるんだ。」
「今の状況ではそれしか方法がない」


火を起こすことはできない。ここにいるよと居場所を知らせているようなものだからだ。谷垣さんは平気そうだった。さすが東北のマタギだ。わたしも感覚を遮断すれば寒さを感じないが、それは同時にすべての感覚を失うということで、交戦時にすぐに感覚をswitchできなければ命取りになる。


がくがくと震えながら膝を抱えていると、谷垣さんはハアとため息をついて上着の中にわたしを引っ張り入れた



「我慢しろよ」
「くっついてたらあったかいですね」
「ここで体力を消耗されすぎても困るからな。」


そう言う谷垣さんを見上げると、「うっ」とちいさく呻いてそっぽを向かれてしまった。引き寄せてきたのはそっちのくせに、照れられるとわたしもつられて恥ずかしくなる。なんだか居心地が悪くて会話を探そうと「えーとえーと」とモゴモゴしていたら、「おまえ、不思議な匂いがするな」と言われた。


「く、臭いですか?ここ最近まともに湯船に浸かれてないし…。」
「そういう意味じゃない。なんというか…線香のようなのに甘い…砂糖とも違うような…。」
「ああ。なんだ。それは香水の匂いですね。」
「なるほど香水か。しかし、市場に出回ってる香水はもっと、花みたいな匂いのするものが多かったかと思うが。」
「ぼく、お花の匂い苦手なんですよね。お寺みたいな匂いがして落ち着きませんか?この匂い。」
「言われてみればそうだな。なんだか懐かしいにおいだ。」


わたしの愛用する香水は、明治時代の人間からは物珍しいものなのだろう。しかし、日本人向けに調香された香りは谷垣さんの好みには合っていたようだ。深く眠るわけにはいかない。もう春が迫ってきているとはいえ、凍えるように寒いのだ。布越しに体温をわけあいながら、懐かしい香りの中で微睡みに落ちていった。




シカの近くで焚火を焚く。
見え見えの罠だが、狙撃手なら自分の腕に慢心して一応確認に来るかもしれない。
そう谷垣に言えば


「半分正解で半分はずれだな。尾形は慎重な男だ。不安分子を見逃したりはしない。」



焚火をくべてしばらくすると、二階堂が様子を確認に現れた。足跡を確認している。思案したような様子だったが、しばらくして銃を上に何度か上げるようなそぶりを見せて合図を送っていた。

どこだ。どこにいる。

わたしも意識を集中させてあたりを見回すが、完全に気配を殺している。まるで猫のようだ。刹那、どう猛な母熊が、二階堂の顔半分を思い切りえぐり取った。



「来た…!ヒグマ!」
「どこだ、尾形…!」


二階堂を助けないのか。
撃てば、発砲煙で居場所が特定されてしまうのを恐れているのか。
しかし、こちらに銃があることは向こうには知られていないはずだ。どうした。早く撃て!!!


二階堂のむちゃくちゃな叫び声に応えるように、発砲音がした。居場所は、あそこだ!尾形は余裕しゃくしゃくと言ったように立ち上がり、どこから撃つつもりかと笑みさえ浮かべていた。谷垣さんは迷いなく、引き金を引く



尾形は後ろ向きに倒れる。
発砲音が山にこだまする。確かに撃った。命中だ。しかし妙な胸騒ぎがする。
本当に終わったのか。



「谷垣!」
「お前、三島!」


どうやら第七師団の一人と再会したらしい。この男はわたしの知らない軍人だが、顔を見られないように谷垣さんの後ろに回った。それに気が付いた谷垣さんは「猟師の子供だ。俺が手負いなんで介助してくれていた」と方便を垂れた。


「いこう。谷垣。お前が鶴見中尉に報告するんだ。そうしたら…」


話していた三島さんの額を、正確に銃弾が撃ち抜く。思わず木の陰に谷垣さんが隠れた。「仕留めそこなった!」という言葉が小さく漏れた。



「鶴見中尉だ。尾形と二階堂を追っていたらしい。尾形の周りには兵士が集まっている。」
「……もうあの二人にぼくらを追う理由はない。はやくこの場を離れましょう。」
「……。」
「第七師団に戻りたいですか?」
「いいや。俺はコタンに戻る。」


騒ぎが落ち着くまで、わたしたちは極力音を立てずに山道を蛇行して歩いた。騒ぎが遠くに聴こえるようになったころ、雪解けに足を取られ、受け身を取ったが間に合わずに滑落した。


「うわっ!」
「サト!」
「平気です!大きな声を出さないで。先にコタンに戻っていてください。ぼくなら大丈夫です。」
「しかし」
「フチとオソマが心配です。杉元くんたちも戻ってくるかもしれませんから。急いで。」


谷垣さんはわたしを助けようと思案していたようだったが、とどまっていると軍人の声が近づいてくる。「死ぬなよ」と言い残した谷垣さんは軽快な足取りでコタンへと歩を進めていった。







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