風がつよくなった

□第2話 苦難の粒が残るでしょう
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目を覚ますと、心配そうにこちらをみている真田少年の姿が視界に広がった。
首をもたげると、眉を下げた彼が「さっきはすまなかった」と謝罪をこぼした。


「気にしないで。役に立てたならよかった。」
「…頭は?気持ち悪くないか?」
「うん平気。真田しょ…真田くんは?」
「俺は平気だ。お前のサポートがあったからな」

はにかみながらそう言う彼にわたしも安心を与えようと薄く微笑む。初めてきちんと名前を呼んだのが嬉しかったのか、「なんだか変な感じだな」とむず痒がっていた。


「ゆっくり休むといい。春休みはまだあるからな。落ち着いたら外にも出よう」


真田くんはそう言うと部屋を出て行った。外か…部屋に閉じこもっているのは精神的にもあまりよくない気がして、身体の調子が整えばそれもいいなと思いながら微睡に身を任せることにした。



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美鶴のお下がりの衣類を見に纏う。
高校生が着るにはいささか大人っぽい気もするが、精神年齢は十分に大人なのでほっとした。一階のラウンジに降りると、めいめい好きなように過ごしていたがわたしの姿を見るなり餌を待っていた猫のように集まってきた。


「パジャマ以外の服を見るのはなかなか新鮮だな!」
「アキ声デケェよ。身体はもういいのか?」
「サイズは問題なさそうだな。私のお下がりですまないな。」


彼らは嫌にわたしによくしてくれるが、その理由は幾月理事長の「同い年の後輩がよっぽど嬉しいんだね」の一言で納得ができた。
今まで前線を張ってきた彼らに初めてできた後輩は、サポート系のペルソナ持ちで同い年。きっと可愛くて仕方ないのだろう。


「みんな色々ありがとう。今日はちょっと外に出てみようかなと思ってて…。」


そう言うと、全員の視線が意味深に絡み合ったのを見た。きょとんとその無言のやりとりを見つめていたが、真田くんと美鶴ががっくりとした様子で机に戻って行った。

荒垣くんの方を見ると、「あー…」とめんどくさそうに「宿題と新入生代表スピーチの原稿が終わってないんだと。俺は特に用ねえから付き合うか?」と言われた。

慣れない土地を一人で回るのは少し心細い。彼の申し出を快く受け、準備が終わるのを待った。その間、真田くんと美鶴はずっとぶつくさ文句を言いながら手を動かしていた。


荒垣くんが髪を一つに束ね、わたしの首に自分のものらしきマフラーを巻いてきた。男の子の匂いがして少し気恥ずかしい。「お前は首回りが寒そうだ」と言われて、昔から髪を短くしていたからな…と思った。

影時間ではない外の世界は、やはり見覚えのない場所ではあったが、禍々しい緑入れの空よりは幾分か既視感がある。
モノレールが走っているのを見て、「汐留あたりが近いのかな?」と呟いたが、「どこだそりゃ?」と聞き返されてしまった。東京だとばかり思っていたけど、全然違う場所だったのだろうか?


「昼時だしどっかでなんか食うか。何が食いたい?理事長からいくらか金を預かってるしなんでもいいぜ。」
「食べたいもの…。」


最近は荒垣くんが世話を焼いていろいろ作ってくれていた。何を食べたいかと言われて脳裏に浮かんだのは脂っこくてジャンキーな食べ物だった。大人になって意図的に避けていた食べ物だったが、高校生ならまあ多少はいいだろう。


「ラーメン食べたいな」
「ラーメン?…普通女子ってこう言う時もっと洒落たもんがいいって言うんじゃねえのか?」
「ダメ?たまにはいいなと思って」
「ダメじゃねえよ。俺もラーメンはよく食う。いい店があんだ。」


荒垣くんは嬉しそうに笑って道案内をしてくれた。商店街は多くの人で賑わっている。当たり前だが、行き交う人々は誰もマスクなどしていない。令和を生きていた自分には驚きの光景だったが、本来これがあるべき姿だったのだと思うと少し切ないような気がした。


「ほら、ここだぜ。」


青いのれんには「はがくれ」と書かれている。どうやら豚骨醤油ベースの家系ラーメンのようだった。そう言えば初めて家系ラーメンを食べた時、あんまり美味しくてレッスンの帰りに何度も通ったのを思い出した。


「ここでは【特製】を頼むのがツウだぜ。ああでもお前量食えるか…?」
「今日お腹空いてるから大丈夫だと思うけど。」
「まあ、残したら俺が食うよ。」


荒垣くんが【特製】を二つ注文する。
店内に立ち込める獣のような独特の匂いが空腹を刺激して、少し大きくお腹の音が鳴って恥ずかしくなった。荒垣くんはハハハと嬉しそうに笑って「すぐ来る」と言った。


現れたラーメンは想像以上に大きくて食べ切れるか不安だったが、口をつけるとあまりの美味しさに一気に半分程度啜ってしまった。


「ラーメン、すごくおいしい!荒垣くん!」


声のボリューム調節をミスって大きな声を出してしまった。恥ずかしくなって肩を窄めると、その姿を見た荒垣くんが私を上回る大きな声で笑った。


「子供かよ、お前…!ククク…。」
「わ、笑わないでよ、恥ずかしいから…っ!」
「美味しかったか、そりゃよかった…くっ…。」
「もう!だって、久々に食べたから…。」


案外ペロリとラーメンを平らげて、お会計を済ませた。店を出たあとも荒垣くんは思い出し笑いでずっと顔を顰めていた。


「もう!荒垣くんしつこい!」
「わりぃわりぃ、お前、デカい声も出るんだな。」
「…おとなしい子だと思ってたの?わたし、わりとハキハキしてるんだから。」
「ああ、そうだな。昨日の夜も声出てたもんな」


昨日の夜…
ペルソナを召喚した後の話か。
思えば人前であんなふうに歌ったのは随分久しぶりだった。
言われて思い出して恥ずかしくなり、唇をむすんで黙ってしまった。


「歌、うまいな」
「べつに、ふつう…。」
「そんなことねえだろ。俺はあんなふうに歌えねえよ。」
「練習すればだれでも、だよ。」


色々突っ込んで聞かれたらどうこたえようかと考えていたが、荒垣くんは「これ以上聞いてくれるな」と思っているわたしの気持ちを察したのか、それ以上は深入りされなかった。

ほっと一息ついて、彼の商店街のナビ通りにあちこちを見て回っていたが、そういえば下着などの消耗品が不足していることに思い当たって、「下着とかタオルとか買いに行きたいんだけど」と言うと、耳まで真っ赤に染め上げて「そういうことは回りくどく言えよ!」と怒られてしまった。


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陽が落ちていき、あたりはもうすっかり暗くなっていた。日用品を必要なだけ買いこむと、重たいからと言って荒垣くんが代わりに持ってくれた。広い背中をじっとみつめる。発育はいいけれど、彼は今年高校生とは思えないくらい木の回る子だった。


「ん?なんだよ。」
「ううん。荒垣くんて気が利くなって思って。」
「そうか?ああ…でもまあ、多少はそうかもな。俺、孤児院の出だから。」


そういえば一度荒垣くんはそんなようなことを言っていた。思えばわたしに気を使うのも、孤児院の子供たちと重ねてのことなのかもしれない。

荒垣くんは特に孤児院出身ということに負い目を感じていないのか、カラッとした様子だった。どちらかと言うとこんな話を聞かされてしまったわたしの反応の方を気にしていそうだったので、「どうりでしっかりしてるわけだね」とだけ答えた。彼は安心したようにひとつため息をついた後、「アキ含めて。周りはガキばっかりだからな。」と優しい表情で言った。


親のない子というのは生きにくい生き方を強いられがちだ。わたしも両親を失った後はそれは大変だった。今となればそれも過去の話だが、こうしてまた子供時代をやりなおすことになると、嫌でも当時のことを思い出してしまう。

妙な沈黙が二人の間に流れた。おそらく同じようなことを考えているのだろう。言葉を探して興味のない場所をキョロキョロ見つめていたが、ふと荒垣くんが「あのよ…」と言った。



「色々、落ち着く暇もなかったろ。やっていけそうか?ここで。」
「…うん。みんなのおかげで学校にも通えそうだし。ホント、ありがたいと思ってるよ。」
「……交換条件付きだけどな」
「それでも、一人で暮らしていくよりはずっといいよ。」



その言葉は本心からでたものだった。
あの時、一人きりの広い部屋で自分の作った食事を食べるのはとても寂しいものだった。
この寮に来てから、みんながかわるがわる部屋に現れて一緒に食事をとってくれたのは素直に嬉しいことだったのだ。

一回りちかく歳の離れた彼らではあったが、「同い年」ということもあって一緒にいると楽しく落ち着いた。そのことを伝えると、荒垣くんは頬を染めてそっぽを向きながら「そうか…」と言った。



「学校、楽しみだね。」
「俺ぁ、勉強はパスだけどな。」
「大人になったら勉強したくても機会がなくなるよ。今のうちにいっぱい勉強しとこ。」
「…大人みたいなこと言うなよな…。」


もうすぐ寮だ。
人と二人きりで思い切り遊ぶなんて久しぶりですごく楽しかった。
これからの生活に不安もあったが、こうして気にかけてくれる仲間がいるのであれば心強い。
あの日、送ることのできなかった青春をもう一度送れるチャンスが巡ってきたと、この摩訶不思議な現象を飲み込むことにして、重い扉を二人で押し開けた。







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