きこえますか?

□カラ松の場合
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「休館日…ですか?」
「本当な再来月の予定だったのだけど、マイクの調子が良くないの。だからちょっと早いけど明日から一週間おやすみね。」


同僚の品のいいおばさまがそう言って着替えを進めている。今は頭の中の整理がうまく行っていなくて、働いて気を紛らわしたいのについていない。こんな時に長期休暇だなんて。あとから館長に詳しく説明を受けて、急なお休みで給料にも影響が出てしまうということと、日頃の勤務態度を鑑みて「冬のボーナス」をもらってしまった。受け取れないと言ったが、私の顔を立ててくれとまで言われては逆らえない。こっそり封筒の中身を見ると、3万円近い金額が入っていて、今日のご飯は豪勢になるかもと思った。


平日の博物館は暇だ。
休日になれば家族連れやカップルでそこそこ忙しいのだが、こういう日は私も掃除くらいしかやることがない。(普段掃除を専門に雇われているおじいさんは最近腰を「いわして」しまったようで入院しているらしい。)

箒を片手に玄関ホールに出ると、今一番会いたくない人がそこに立っていた。
相変わらず、見えづらい目にも眩しいほどのスパンコール。そして目を覆うサングラスは、松野カラ松さんで間違いない。なんでここに。と身体がギシリと固まると彼もギシギシという効果音がふさわしいほどぎこちない歩き方で私の方まで向かって来た。


「…大人一枚。よろしく頼む」
「は、はい。ただいま。」


カラ松さんの声は緊張しているようにこわばっていて、顔は下を向けていた。普段まっすぐ人を見るくせのついた私でさえ、なんとなく恥ずかしくて目を合わせられなかった。慌ててフロントまで行きチケットの手続きを取る。もうすでにもぎったチケットを手渡すと、ありがとうとお礼を言われた。しばらく無言でお互い立ち尽くして床を見つめていたが、カラ松さんが口を開いた。


「…博物館は初めてなんだ。そういうサービスがあるかはわからないが…良かったら案内してくれないか?」


自分の親指をきつく握った。自分とは別の生き物みたいに暴れまわる心臓に息苦しくなりながら、自分の中の精一杯明るい声で「はい」と言ったのに、恥じらう少女みたいなか細い声に耳まで熱が集まるのを感じた。



________

この博物館は、自然現象を多く扱っていて私が一番好きなブースは北極ブースだ。
ゆっくり端から見て回るのもいいかなとは思ったけれど、急な団体様が来館するとも限らない。まずはスタッフ一番のオススメをご案内するべし。ぎっくり腰で寝ているおじいさんの言葉に従うことにした。


ブースに入ると、大きな氷や夜空を模した天井が目の前に広がった。プラネタリウムのようなドーム状の空間に思わずため息が漏れる。いつ来てもここはすてきだ。
カラ松さんも同じようにため息を漏らす。気に入ってくれたのだと思うと嬉しくて思わず口元がほころぶ。


「すごいな!まるで本当に北極に来たみたいだ!」
「そうなんですよ!私ここが一番大好きで、だからカラ松さんには一番に見せたいなって!」


弾けるような明るい声で感動されて、思わず私まで同じように返したはずなのに、カラ松さんは息をひゅっと吸って口を開けたまま私をじっと見つめて来て、なにか失態をと考えている間に震える声でカラ松さんが言う


「…俺に、一番に…?」
「え、あ、いやえっと…」


今のは本当に他意の無い言葉だったのだが、ここまで反応されてしまうと私までなんだか恥ずかしくなってしまってしりすぼみな返事になってしまう。カラ松さんも恥ずかしそうにずっと後ろ頭をかいていて、また気まずい感じになってしまう。


「…名前さんが好きなものは、俺も、好きになりたい。だから、ありがとう…」

精一杯絞り出したらしい言葉にいよいよ立っていられなくなってその場にへたり込む。
カラ松さんが驚いて「どうした?!」と私の肩を支えて来て触れられた場所から走る熱にもう限界になって目尻にじわりと涙が滲んだ。それを見てより一層オロオロするかと思ったカラ松さんが、またわかりやすく息を飲んでじっと目を見つめて来てパニック寸前だ。

勘が鋭いというのは、こういうときあまり良くない。
だっていたいほど伝わってしまう。彼の私への気持ちが。私に触れたいと言う気持ちが、
私を好きだと言う気持ちが。


「………好きだ」


耳に入り込む言葉は、暖かい水のようにじわじわと私のことを飲み込んで、彼の瞳の奥まで覗ける場所まで近づいたとき、ふと額と鼻とが触れ合って、彼の瞳に映った夕焼けみたいに染まった私の顔は、痛いくらい、馬鹿らしいくらい、わかりやすく、その告白に応えを残していた。

私の耳にもとどかないくらいの吐息みたいな言葉で
「私も」とささやくと、その言葉はカラ松さんの唇で私の唇ごと飲み込まれてしまった。

彼に聞こえていたかはわからない。
ただ、夜のようなこの場所で、彼の心だけは北極の空を彩るオーロラのようにゆらめいてきらめいて、じっと動かず私たちはキスをしていた。
瞼を閉じて。
永遠のようなこの場所で。



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