アビス

□妹
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グランコクマにてやるべきことを終わらせた私は、陛下に帰ることを伝え、マルクトから帰還した。そんな私を待っていたのは、心配げな一般信者達。
わらわらと囲んでくる彼らから守るように、イーズたちが私の周りに立っている。

「お体はもう大丈夫なのですか?」

「ご無事のご帰還、お喜び申し上げます!」

「ああ、セラフィーユ様がご無事で良かった……!」

「体調を崩されたとお聞きしました、心臓が止まってしまうかと」

「お怪我も無く何よりです」

次々に聞こえてくる無事を喜んでくる言葉に、穏やかに微笑む。その声に一つ一つ答えながら何とか馬車に乗り込み、窓から手をふりながらダアト港から教団へと移動した。

教団に移動した後も、これまた大変だった。
導師派ならびに主上派の神託の盾兵や詠師たちなどにご無事で何よりですと言われたし、ダアトに残していた情報部の人たちからもお見舞いと称して大量の花や果物や菓子などを届けられた。
情報部にはある程度情報を渡していた分、心配をかけてしまっていたらしい。

そのことに苦笑しつつ、情報部の各小隊にささやかながらも心配をかけてしまった礼として差し入れを入れるよう手配しておく。
部屋に戻ってからはさぞ書類がうず高く積まれているだろうと思っていたが、予想に反して執務机の上に置かれている書類の量は極僅かだった。
どうも第六小隊が頑張ってくれたらしい。

「良かったね。帰還した途端仕事と格闘、なんてことにならなくてさ」

「まあ屋敷の方は地獄だろうがね……はは……」

「手伝うから絶望しないで」

ミトスとシンクと共に軽口を叩きながらソファに座る。
私に与えられた部屋には接客スペースがあり、その奥には私の私室がある。
リビングダイニングを兼ねた部屋には備え付けのカウンターキッチン。更にその奥には私の寝室があり、クローゼットやベッド、本棚などがある完全なプライベート空間だ。
イーズたちはリビングダイニングまでは入ってくるが、寝室は私の許可が無い限り入ってこない。
きちんと線引きをしてくる彼らは本当に大人だと思う。

「しかし、居候の身でありながらこれ程心配されるのはなんだかなぁ」

「主様は教団の影のトップと聞いたのよね。心配するのは当たり前なのよ」

「当たり前か……」

肩を竦め、「あ、メーラは暫くここで私と生活ね」と告げれば、彼女はぬいぐるみを抱きしめながら嬉しそうにひょこひょことサイドテールを動かした。いつも思うがどうなってるんだろう。

「ってことは、ボクたちはここに集合して勉強ってことか」

「ミトスはともかくシンクは師団長としての立場がある。忙しくなるけど大丈夫かい?」

「舐めないで。やりきる」

「おお、かっこいい」

パチパチと手を叩いたら、共にコンコンとノックする音。
どちら様ですかと声をかければ、凛とした声がドアの向こうから返ってきた。

「第四師団師団長、リグレット奏手です」

「リグレットでしたか。どうぞ」

入室を促せば失礼しますと一言告げた後、ドアを開けて入ってくるリグレット。
いつもは凛とした雰囲気をたたえている彼女だったが、心なしか今日のリグレットはなにやらげっそりとしているように見えた。

「まずは無事のご帰還、お喜び申し上げます。お疲れのところ申し訳ございませんが……」

「リグレット、ココには身内しか居ませんから、楽にしてもらって構いませんよ」

「は……しかし……」

「なにやら疲れているように見受けられます。そのように常に気を張っていては、いつか倒れてしまいますよ」

「お気遣い、ありがとうございます……」

「まずは座ってください。イーズ、リグレットの分のお茶もお願いします」

「かしこまりました」

ぴしりと敬礼をした後に深々と頭を下げる彼女にソファを勧め、人数分のお茶を作っていたイーズに追加を頼む。
扉付近にいたオルラッドがきっちりドアに鍵をかけたのを見届けた後、リグレットはようやくソファに座った。

「では、改めて……長旅で疲れているところを申し訳ないのだけど、少しリレイヌ様の知恵をお借りしたいの」

「私の知恵、ですか?」

「そう。もう私や閣下の手には負えなくて……」

ふぅ、とため息をつくリグレットの顔には隠しきれていない疲れがある。
ヴァンやリグレットにも手に負えない相手とは一体なんだろうか?

「知恵を貸すのはやぶさかではありませんが……一体何なんです?」

「ティア・グランツのことよ」

眉間に皺を寄せ、吐き捨てるように言い切ったリグレット。
その言葉を聞いた途端私は、思考する。ティア・グランツ。始祖ユリアの子孫。ヴァンの妹であり、軍人になりたいという彼女の希望を一蹴し、教団の恥になるからとヴァンに彼女を諦めさせるよう伝えたのは覚えている。話を聞かないため助けてくれと泣きつかれ、ならばリグレットに軍の厳しさを教えこませろと言ったのも……覚えている。
その時は確かイーズとミトスも部屋にいたはずだ。

「……ティア・グランツって?」

「聖女様の子孫なんだって。結構前にリレイヌが軍人としての才能ないからって切り捨ててたよ。ヴァンの妹らしい」

「そうよ。閣下といい妹といい、子孫の脳には一体何が詰まっているのか……っ!」

拳を握り締めわなわなと震えるリグレットも、大分ストレスを溜め込んでいたらしい。
まるで今まで溜めていたものをぶちまけるようにして語られる内容は、私たちの顔をうへぇ、と言った感じで固定するには充分すぎる内容だった。

私の指示後、ヴァンはリグレットと予定をすり合わせ、一週間に一度リグレットをユリアシティに派遣することにしたらしい。

ユリアシティに派遣されたリグレットはまず、ティアの訓練のためだけにその日一日ユリアシティの広場を立ち入り禁止にする、という市長の横暴さに驚いたという。
明らかに普通の市民より優遇されているが、どうやらそれも訓練を受けるならばきちんと受けたいというティアの我が侭を市長が聞き入れた結果らしかった。

リグレットは市長の甘さに呆れながらも、まずは士官学校で配布される教科書をティアに与えて自分が居ない間の課題とした。
そして常日頃から基礎体力作りと訓練を行い、自分が居る間は実施訓練を行う、最後に自分が派遣されている間は自分の指令には従うこと、と告げたそうだ。
ティアは最初こそそれを了承したものの、教科書の量の多さと基礎体力作りの過酷さにすぐに文句を言ったという。
曰く、

「こんなにできない!」

だそうだ。

それができないならば軍人にはなれないとリグレットが言い切れば不満そうな顔をしながらも渋々了承したようだが、その時点でリグレットはティアに対してあまり良い評価は下していなかったという。

そうしてようやく実施訓練に入ったわけだが、日数を重ねていくうちにすぐにティアが基礎訓練を怠っていることに気付いたらしい。
筋力トレーニングはともかく座学の方はきちんとやっているかと思えば、そちらの方もうろ覚え。
恐らく流し読みしかしていないのだろうと、リグレットは呆れを隠せなかったそうだ。
そしてそれをティアに指摘すれば、ティアは泣きながら憤慨したのだという。

「根拠も無いのにそんな事を言うなんて酷いです! 濡れ衣だわ!」

「私は根拠も無く言っている訳ではない」

「じゃあ何か証拠があるって言うんですか!?」

「あるから言っている。まず基礎体力が出来上がっていない。私が命じた筋力トレーニングを行っていれば二週間もすれば成果が出てくるはずよ。次に筋肉の着き具合。これは服で隠れていない部分だけでも充分に解るわ。そして最後に、基礎知識すら頭に入っていない。この時点で私が渡した課題を全て終わらせていないも同然なのよ」

「あ、あんな大量にできる訳がありません!」

「士官学校に通う人間はあれを全て行っているわ。むしろ少ないくらいよ。私が持って来た課題が全てできないというならばそれは甘えでしかない。そして最後にもう一つ」

「……なんですか」

「私の命令には従うこと。最初に言った筈よ。そして貴女はそれを破った」

「私がいつ破ったというんですか!」

「私が出した課題をこなしていない。それは私の命令に従わなかったということ。そんな甘えた根性で軍人にはなれないわ。貴方が本当に軍人になりたいのならば、今すぐその甘えた根性を捨てなさい」

リグレットがそう言えば、ティアは瞳に涙を浮かべながら広場から逃げ去って行ったとか。

そして次の週にユリアシティに行った時、ついにリグレットはティアに対し不合格の烙印を押した。
なんと、訓練をサボったらしい。

何でもユリアシティでブウサギが皆殺しにされる事件があり、ティアが犯人として疑われているそうだが、呆れたリグレットはそのまま帰ろうとしたそうだ。
そうして譜陣の間に向かったリグレットだったが、顰め面をしたテオドーロに声をかけられ、

「リグレット、もう少し優しくできないか。あの子は生まれてからこの街を出たことが無いのだ」

そう言われたのだという。
成る程、この調子で甘やかされてきたのかとリグレットは大いに納得したらしい。

「詠師テオドーロ、お言葉ですが私の訓練は士官学校で行うものよりもはるかに易しいものです。それすらこなせないと言うのであれば彼女に軍人としての適正はありません。世間知らずだと言うのであれば、一生この街から出なければ宜しい。事実この街にはそのような人間も多く存在するのですから」

「しかしだな、あの子はヴァンの側で働きたいと……」

「それならばそのための努力をすべきです。しかし彼女はその努力を放棄しました。総長閣下にもこの件は報告させて頂きます。それでは、仕事が残っておりますのでこれで失礼します」

そう言って一礼したリグレットは、それでも食い下がろうとするテオドーロを振り切りそのまま教団へと帰還したらしい。

時に愚痴をはさみ、時に吐き捨てながら、リグレットはこのような内容を語ってくれた。
私たちは最早呆れるしかなく、吐き出すことで落ち着いたのか、リグレットはお茶を飲んで一つ息を吐く。

「美味しい。さすがですねイーズ様」

「……どうも」

「なんでこの世界には非常識とかバカが多いんだ?」

ぼやき、私も紅茶を飲む事で一度落ち着く。
ミトスが片手を上げたのでそっと促した。

「不適合の結果が出たのであれば、これ以上何もする必要は無いんじゃないの? 訓練をサボった以上、ある意味自業自得とも言えるし、周囲も納得すると思うけど……」

「……それが、今居るんです」

「ごふっ!?」

やばい。変な器官に茶が入った。
噎せた私の背を、メーラがそっと撫でてくる。「大丈夫ですか?」と冷静なイーズに片手を上げ、「きょ、教団に来ているということですか?」とリグレットを見た。

「そう。閣下に抗議しに来たらしいわ」

私も先程会って、思い切り睨まれたもの。
閣下に泣きつきに来たのでしょうね。

大きくため息をつきながら言うリグレットに、私はそっと頭を抱えるのだった。
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