グリレ

□言ってほしい
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この病室に来て、今日で10日が経とうとしていた。


1日寝ても、2日寝ても、今日で10日寝ても、オレは起き上がらなかった。



このまま目を覚まさずに、力尽きる可能性が高いです。

大事な話がありますと呼び出しを受けて、病室に集合した家族に向かって、医者は冷酷な処刑人みたいに言い放ちやがった。
この部屋に運ばれてきた時は五分五分だった可能性は、一向に回復の兆しを見せない事でずるずると死に傾いていたみたいで、薬漬けで弱体化してる肉体は、今や気力だけで持ってる状態らしい。
ここ数日で散々泣いた筈のじーさんは、その医者の言葉にまた泣いた。
おいじーさん、干からびてそっちが先に死んじまうからやめとけ、なんて言葉は、憂いのきく寂しい目元を見ている内に喉に引っ込んだ。
数日でげっそり痩せた上に干物になりそうなのは、誰でもないオレが原因だ。
泣いてる老人に追い討ちで軽口叩いたら、今日まで命を持ち堪えさせてくれてる神様に即見捨てられるだろう。


「…まだ、生きてるぜ。じーさん」

だから元気出してくれ、オレ自身死ぬ感じしねーし大丈夫だからさ、と言葉を変えた。震える肩に手を添えようしたけど、手は体を貫通し、気持ちが伝わる事は無い。
この10日間、本体のオレは良くも悪くも変化は無かった。医者に処置をされてはいたが、ひたすら寝るだけで平和なもんだし、死ぬ感じしないだろ?
一方のオレも、風が強い日に窓から吹き飛ばされる事も無く、平和にこの病室で過ごしていた。ひたすら潜水と煩悩での合体を試みる日々で、全く効果を出せずに疲労困憊してるけどな。
魂だから体の疲れを感じてる訳じゃねえ。魂のくせに感情は機能してるから、皆を悲しませてるだけで精神は消耗し、肉体に戻れない事にへこんで落ち込んでた所だ。

そんな中で、この宣告かよ。

閉鎖された空間で、変化の無いオレとオレ。
もう一生病室の住人として時間が過ぎてくんじゃないかと、錯覚し始めていた所だったけど。
身体と魂の関係は確実にタイムリミットが迫っていたんだな。

病室はこの上無く空気が重い。誰も言葉を出すこと無く、目は深い悲しみに沈んでいる。


「…まだ、生きてる」

オレは自分や皆に言い聞かせるように、言葉を呟いた。
最近、皆同じような目をしてるな。哀絶な暗い色をした目だ。
初日に地方から駆けつけてくれた時は皆、こんな色はしていなかった。
確かに悲しそうな顔をしてたし、皆死を感じてはいたけどよ。
どこかで起き上がるんじゃないか、大丈夫なんじゃないかと、根拠無い自信を持って、微かに差すくらいの希望の光を持ってくれていたんだ。
なのに起き上がらない現実を見ていくうちに、瞳が濁ってきた。じわじわと墨汁を流し入れられるように。
ただでさえ望みが薄かったのに、先程宣告されたその瞬間、目は希望も何もない、ついに真っ黒に変わった。
姉さんも、親戚も、医者までも、この部屋にいる全員が、来るかもしれないその時をもう覚悟している。

「…生きてる」


端的に言うと、皆がオレが生き返る事を日に日に諦めてきていた。
死人みたいな目に変わっていく来訪者達に、オレは絶対大丈夫だから心配すんな、と言える立場でもなくなっていた。


「…生きて、る」

何回やろうと、肉体に魂が戻らない。
絶対に起きなければいけないと思える事を感じていないのか、飛び込んでみようが叫んでみようが、肉体と魂は別離したままで、みんなにいつか目を覚ますから待ってろ!と言って、今日まで泣かしてる。
いつかすらも、もう駄目だ。
解決法も分からず、八方塞がりのこの状態で、今この瞬間もカウントダウンされてる。
とにかく動かなきゃならない、オレにはそれしか無いのだ。
そうは分かっているが、死ぬのを覚悟してる皆の顔が、虚しかった。
心配かけてるオレに選択権は無く、戻れるように頑張らなきゃいけないんだが、待っててくれる顔は原動力だ。
だけど皆が、オレをもう死ぬ物として見ている。


「…頑張るから、待っててくれよ」

自分の声にも、覇気は無かった。
もしも今、魂のオレが鏡に映ったとして、自分の顔を覗き込めたとして。
オレの眼も、暗闇じゃないとは断言出来なかった。



そんな中で、目に墨汁を垂らす死神なぞスカイアッパーで吹っ飛ばしていそうな規格外がいた。


家族が帰っていき、誰もいなくなった静かな朝の病室で、オレがぼんやりして10回目の朝の空を窓から見ていると、スライドのドアがゆっくり開いた。

時刻は9時ちょうど。 
来ると思ったぜ。今日は薄いブルーのポロシャツ。似合うじゃん。

ドアを開けて、白い廊下を背景にレッドが立っていた。


「……レッド、おはよう」

我ながら腑抜けた声で、レッドに挨拶した。
私服コレクションが見れるのは、この部屋に来て唯一良かったと思えるぜ。
レッドは毎日、ジムへの出勤前、空いた時間に少しだけ、オレに会いに来てくれる。
オレって幸せもんだなーなんて思ってると、部屋に入るとピカチュウに向かい、水が入ったペットボトルを差し出し飲ませていく。
訂正だ、会いに来るのはオレじゃなく、ピカチュウかもしれねえ。


レッドは今日も、無表情を顔に下げていた。


…。
……。

毎朝の無表情を、神々しい如意菩薩を拝見する気持ちでオレは迎えていたけどよ。
オレがいよいよ危ない、という話は間違いなくじーさんから聞いてるはずだ。
ジムリーダー代理になってからというもの、オレの話はレッドに筒抜けになる仕組みになってる。

なのにやってきたこいつの顔は、今日も皺一つ動かない無表情だ。
目も深紅のままで、皆のゾンビみたいな暗さはない。
更に言えば、オレがこうなる前と顔面に違いが分からない。その辺のカフェのドアでも開けてきたようにやってきたこの風貌。
危篤の人間を、前にしてるとは思えないんだが。
あの黄金色した瞳のヒビキでさえ、暗い顔をしていたっつーのに。
初回は絶叫しながらの登場だったが、昨日は突然来ると、ゲンガーを捕まえてきます、死を別の人にいくようにして貰います、と言って静かに退室。
バカと物騒を混ぜた発言で安心したが、元気は萎んだように無くなってるのは明らかで、オレは死という不思議さを垣間見ていたんだがな。

残念だな死神、誰も彼も悲しい気持ちにさせたいだろうがこの鉄仮面じゃ相手が悪いかもしれねえ。


窓から朝の光を受けてピカチュウを見下ろすレッドの顔は凛としていて、矢張り皆みたいに落ち込んでるという感じはない。


「…本当に頼もしいよな、お前」

オレは言いながら笑った。
みんながあんな状態なのに、オレを生きてるままに接する事が出来るのは流石だ。
素直に嬉しいぜ。まぁ変人だから、オレを生きてる者として扱ってるのか、あんまり考えちゃいないのか分からねえけどな。
ピカチュウに飲ませ終わるとレッドは
寝てるオレに向き直し、口を開けた。


「…僕の名前は?」


オレは空中で胡座をかきながらひっくり返った。
まあああたそれかよ。
オレに発する言葉は、10日でこれだけだ。言わない日は無く、他の言葉を足す事もない。
…お前、オレに対してこの7文字しか言えないロボットになったんじゃないのか?
聞こえないのが分かっていようが、言わずにはいられない。
変人だ変人だと思ってはいたが、ここまでとは思ってなかった。

「……なぁ」

指先を伸ばして、レッドに触れようとした。


「……お前さぁ」 


他に言うこと、ねーのか?

指は、レッドの腕を貫通してしまった。触れる事は、出来ない。
朝無表情で来ては、ピカチュウにご飯を与えて、決まったセリフを言って去っていくこいつ。
余命宣告されかけてる今日も、オレが何も喋らないのを確認すると、ドアへ靴先を向けて。

いつも通り、出勤していった。




レッドがいなくなった午前、オレは優しい光に包まれ始めた天井を見ながら考えていた。
時間が無いと宣告を受けた今、身体に戻るために頑張らなきゃいけないのに体が動かない。


僕の名前は。
僕の名前は。
僕の名前は?


ずっと考えてはいたがどんな意味があるのかさっぱり分からない。
あいつがしつこくこれに拘る理由は何だろう。

(…あいつって、何考えてんだろうな)

ゆらゆら揺れる光を見ながら、オレは思った。
オレを生かそうと頑張ってくれてるのは事実だ。
オレを生き返る事を、みんな諦めてる中、レッドは例外で、いつもと変わらずに接してくれる。
皆が意気消沈している中で、これは頼もしい事だ。
皆みたいに陰鬱になれとまでは言わないけどさ、極端だよな。無表情は無表情でどうなんだよ。実際、この状況をどう感じてるのか分からない。

石膏像みたいに、白くて整った顔。
レッドの顔を見るのは嬉しいだけなのに、今日は違った。
澄ました綺麗なその顔に。

ほんの僅かに寂しいと思った。

こうも無表情を見続けると、流石に思うんだよ。



(オレがいなくなっても、レッドは寂しく無かったりしてな)


考えないようにしていた灰暗い想像は、ここにきて初めて形を作った。
レッドは手当てや代理をしてくれて、こんなに頑張ってくれてて、贅沢なのは分かってるんだ。
でも最初からの疑問だった。あの倒れていた時から、こいつは悲しい顔しないんじゃないかって。


オレは死んだはずだったのに、いつの間にか、生きたくて躍起になって精神が参っていたのかもしれない。
オレの手持ちの代わりもいて、ジムリーダーとしての代わりもいて、みんな諦めてて。


(僕の名前は?)

今のレッドは。


「…オレだ」

ぽつりと、考えずに言葉がオレから零れ出た。

間違いなくそうだろう。
オレの手持ちはレッドに従順だ。
ジムの替わりも出来てるし、オレとして頑張ってくれてる。


「…もう、オレだよな」


みんなも覚悟を決め始めてる。
オレがいなくても代理はいて、世界は回り始めてる。
10日目、張りつめてたオレの精神は、ここで初めてぐらついた。


なぁこれさ、




オレって、生き返る必要無くなってきてるよな?




「ピカーーーーーー!!!!!!」


途端、ピカチュウが絶叫した。

その声にオレが振り向いたのと、走り出したピカチュウがナースコールにかじりついたのは同時だった。

何だよお前。
うんともすんとも言わずに、この一週間ひたすらオレを見続けてるのはどうしてだと思っていた。



容態の急変を、見張ってたのか。


肉体は、気力だけで持っています。
その言葉が頭に浮かびながら、視界の端で、心音図の数字が0に変わって確信した瞬間。

オレの意識はまた暗転した。
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