グリレ

□言ってほしい
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彼が語る横で、目に痛いような陽の光が、窓から病室に射し込み始めていた。
ベッドの上の身体は朝光に柔らかく覆われていく。
そこに丁寧に言葉を落とす彼の顔も、左側が直射日光で白ばみ眩しそうだったが、緊張して強ばった面持ちは微塵も崩れなかった。



「その人を見たことがあったジムトレーナーは、もう全員腰を抜かしてしまって。…どうして」








どうしてこの人がここにいるんだ!?


最近言わないあのお決まりのセリフが聞こえた事に驚いて、声を出した本人を見てさらに驚倒した。
目玉が落ちるくらい目を見開いて倒れて込んでいる皆、心の中でこのフレーズを叫んだに違いない。
悪党に占拠されかけてる、この目の前の悲惨なジムの光景が、更に信じられない映像に上書きされるなんて。
はっきり言って、この人と会える確率は、ジョウトで走り回ってるらしい伝説のポケモンより低いと言われているのだ。
時刻は真夜中だし幽霊なんじゃ、と思った人もいたかもしれない。
生きてるのか、死んでいるのかも分からなかった伝説の彼は、悪党の集団に紛れて、確かに立っていた。


『…なんだ?このヒョロいガキ』

『…………………』

『今俺が喋ってるんだよ』

『…………………』

『おい聞いてんのか?』


先程まで自分達ジムトレーナーに罵声を浴びせていた挑戦者は、目を白黒させる我々を怪訝そうに一瞥した後、少年にターゲットを変えて捲し立てた。
少年は、先程動かした筈の口はおろか表情も体も動いてなくて、まるで彫刻のように真正面から声を受けている。
いつか見たトレードマークの赤い帽子は無く、さらりとした艶のある黒髪が白い顔を際立たせていた。

一見、ただの華奢で色白の少年だが、空気を張りつめたような静かなオーラがだだ漏れしている。
リーダーの事故、タダバッチ狙いトレーナーへの対応という非常事態で手一杯な上に、珍客までやって来た現状。
こちらとしてはそろそろ夢か現か分からなくなってきたのに、肌でビシビシと寒気を感じて、虚ろ気味の頭もこれは現実だから起きろと警告するように、夢の世界から無理矢理叩き出す。
オーラなんて感じ取れない粗野な悪党は、無視された事に不機嫌そうに眉根を寄せた。


『ただのガキじゃねーか』

『…………………』

『バッチが欲しければ俺の後ろに並べよ』

『…………………グリーン、だ』

『は?』

『…ぼ、オレが、グリーン。………………オレに勝ったらこれ、やるぜ』


抑揚の無い声を発した少年は、自分の黒シャツの胸ポケットの中から、緑色のバッチを1つ指で摘まんで顔の横に掲げた。
この発言に、目玉が床に落ちて転がっていったジムトレーナー達を無視して、悪党の目の色が変わった。

『おお!バッチじゃねーか!いいぜ、俺が勝ったらそれを寄越せ!ボコボコにしてやるからよ!』

ぎゃはは、と下卑た笑いをすると、皆舌なめずりしながらボールを取り出し始めた。
このジムのトレーナーあたりが代理をしてると思っているのか。ボコボコは、見た目の華奢な印象で判断したのか。それとも、本当にリーダーだと思ったのか。
分からないけれど。


『…そこ、いい?』


声にはっとして顔を上げると、彼はすぐそばまで来て、座り込む僕を見下ろしていた。
垂れた髪の隙間から覗くその赤い瞳は、乏しい表情の動きに合わせて凪いているかと思ったのに、奥で業火が燃えるようにギラギラと揺れていた。
酷く怒っているように。
首をぶんふんと縦に降ると、慌てて守っていた後ろの席を譲る。
誰もいなくなったジムリーダー席の手摺の縁に、彼はそっと指先を付けると、群衆に向かってゆっくりと面を上げた。


『かかって、きなよ』










どさり、と何度目かの尻餅を床に付く音が、夜のトキワジムに響く。
その場にいる何人もが、呼吸する事さえ忘れているようだった。
大きい顔をしていたハイエナは、倒れ込んでも威勢はそのままにして、目を白黒させて彼を指差す。


『なななななななんだコイツ!!??何で、ジムリーダーの手持ちなんだ!?戦い方も、ジムリーダーそのまんまじゃねーか!!』


野太い叫び声がジム内に木霊した。
こうなるだろう結果が分かってて固唾を飲んでいた者と、初めて見た鮮やかな戦い方に驚愕する者で、観衆は二極化していた。

そのどちらの視線も集めている少年は、ジムリーダーそのまんま…と復唱するように口の中で呟いている。
銅像みたいに動きがない表情のまま、ぱちぱちと瞬きした。

『……………バレてたの?僕がグリーンじゃ無いって事』

はあああ!?と叫びが大きすぎたのか挑戦者の声が裏返った。

『バレたも何も最初から分かってるに決まってんだろ!!リーダーの顔くらい知ってんだよ!!なめてんのか!!?』

じゃあ矢張り、トレーナーあたりが代理だと勘違いしていたんだろう。
心底真面目だと言いたいように、少年は訝しげに眉を寄せた。

『なめてない…。代理しに来たけど、ここでの普段の対戦と出来るだけ公平にしようと思って、手持ちを本人から借りてきただけ』

『…借りてきた、って。そんだけで、あんなに…』

戦えるのかよ、と言葉を続けたかったであろう尻餅を付いてる悪党の顔に、少年は立ったまま腰を折ると、ずいっと顔を寄せた。

『親じゃない僕にすら負けるなら、親本人が相手じゃ話にならないよ』

風貌からは考えられない圧力に、言葉に詰まったように、悪党は悔しそうに顔を歪めていく。
胸元に付いた翠色のバッチが、赤い目の色と反響するように、ジムのライトの下で冷たく鈍く光った。


『…グリーンが、大切に守ってるこの価値を、簡単に渡すと思うな』








「…以上です。」


ジムトレーナーは困ったような表情で笑みを作る。

「悪党どもは一斉に入り口に走り去っていきました。手をひらひらさせて『……バイビー』って言ってましたよ」
 

レッドさん。


そう彼が言うと、オレの目から、出ないはずの涙が零れて落ちた。
後から後から、溢れるように頬を伝って流れていく。

そのまんま、って言われる程オレの戦い方を知っていてくれていたからなのか。
どう見てもオレに成り済ますには無理があるだろって、おかしいからなのか。
オレがジムを全力で守っていた事を、知ってくれていたからなのか。
その大好きなものを全力で、レッドも守ろうとしてくれたからなのか。

多すぎて表現が難しいなんて、初めてだった。

全部が混じりあって、今オレは泣いていた。

まさか、オレの武装で出ていったレッドが、そんな事をしてくれていたなんて、夢にも思わない。

オレはこんなに泣いているのに、臥せってるオレの方は何もリアクション出来ないまま、トレーナーは、それから、と付け加えた。

「暫くはレッドさんがリーダー代理をされるそうです。『こんなの必要ない。渡さないし』って渡す用で保管されていたバッチ、ごみ袋に纏められてましたので、早めに起きてくださいね」
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